松下村塾
世界遺産|当時の建物が現存。幕末の志士を数多く輩出した吉田松陰主宰の私塾
■一度は訪れたい、歴史好きや幕末ファンの聖地
吉田松陰の叔父、玉木文之進が自宅で私塾を開いたのが始まりで、後に松陰の外伯父にあたる久保五郎左衛門が継承し、子弟の教育にあたりました。そして安政4年(1857)、28歳の松陰がこれを継ぎ、主宰することになりました。松下村塾は、幕末の志士を数多く輩出した、いわば「明治維新胎動の地」です。わずか1年余りの間に、久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山県有朋、山田顕義、品川弥二郎など、幕末の明治維新で活躍した多くの逸材を育てました。
■松下村塾の見どころ
①当時と同じ位置に現存する、幕末当時に建てられた木造瓦葺きの建物。建物の外から見学が可能です。
②講義室として使われていた8畳の部屋。ここで若者たちが熱い議論を交わしていました。松陰の石膏像、肖像画、机が置いてあります。
③講義室の奥の部屋には、ここに通っていた人物や松陰と関わりのあった人物の写真が展示されています。
■多くの偉人を輩出した、吉田松陰の教育方針とは?
当時この地域が松本村と呼ばれていたことからその名がつけられた「松下村塾」。松陰は階級や身分に関係なく塾生を受け入れ、「学は人たる所以を学ぶなり。塾係くるに村名を以てす。(学問とは、人間はいかにあるべきか、いかに生きるべきかを学ぶことである。これを学ぶ塾の名前に村名をあてた)」と『松下村塾記』に記されているとおり、村名を冠した塾名に誇りと責任を感じ、志ある人材を育成しようとしました。教え子たちの長所を伸ばし、講義より討論を重視した松陰のもとで学んだ塾生たちが、後に明治維新を担う志士として活躍したのです。
萩市内に残る松陰先生や塾生ゆかりの地
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世界遺産「明治日本の産業革命遺産」とは?
2015年7月、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として九州を中心に23資産が世界文化遺産に登録されました。萩では、幕末から明治にかけて国の形を大きく変え、短期間で産業化に成功した稀有な歴史に価値があるとされ、松下村塾のほか、萩城下町・萩反射炉・恵美須ヶ鼻造船所跡・大板山たたら製鉄遺跡の計5資産が、日本の近代化・産業化の歩みが分かる遺産として登録されました。萩市内の世界遺産や歴史スポットを巡るモデルコースはこちら
こだわり条件
- 有料
- 一部有料
- 予約制
- 一部予約制
- 団体可(30名以上)
- ガイドサービス
基本情報
- 住所
- 〒758-0011 山口県萩市椿東1537
- お問い合わせ
- 松陰神社社務所
- 電話番号
- 0838-22-4643
- FAX番号
- 0838-22-4282