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春帆楼

日清講和条約が締結された会場であり、「フグ食用禁止令」を伊藤博文が解禁した「ふぐ料理」の公許第1号店でもあります。「春帆楼」の名も伊藤博文の命名。隣接して日清講和記念館があり、条約締結の会場で使用された調度品や写真、資料などが公開、展示されています…

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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春帆楼

長門鋳銭所跡

長門鋳銭所跡は、覚苑寺境内一帯と考えられ、奈良・平安時代に銭貨の鋳造を行った所です。長門国衙に付設され、その開設は和同年間(708~715)で、史跡地内からは、708年(和銅1)から鋳造が開始された貨幣である和同開珎1枚と、それを作ったときの型、るつぼや鞴口な…

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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長門鋳銭所跡

大内氏遺跡附凌雲寺跡

吉敷中尾の高台に高さ3m、厚さ2mの石垣があり、凌雲寺総門の遺構といわれています。大内氏30代当主義興の墓があります。

  • 山口・防府エリア
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大内氏遺跡附凌雲寺跡

錦の御旗製作所跡

慶応3年(1867)討幕の勅命が下り、品川弥二郎は京都西陣で材料を購入し、ここにあった養蚕所の一室で御旗の製作にあたりました。ここで製作された錦の御旗が、鳥羽伏見の戦において官軍の陣頭に立てられました。

  • 山口・防府エリア
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錦の御旗製作所跡

涙松跡/涙松遺跡(萩往還)

人々が萩のまちとの別れを惜しみ涙した場所

江戸時代、萩城下から山口へ通じる藩主御成街道は、萩市大屋から左へ折れるので、城下が見えるのもここが最後となります。松並木の間に見え隠れする萩を見返り、別れの涙を流すというので、ここの街道並木を「涙松」と呼んでいます。幕末、吉田松陰が安政の大獄で江戸…

  • 萩・長門エリア
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涙松跡/涙松遺跡(萩往還)

吉田松陰防長路惜別の地

吉田松陰の歌碑が建っています。安政の大獄で、幕府の召喚をうけた吉田松陰が籠で護送される途中、広島県との境である小瀬川に差し掛かかった際、防長二州と最後の別れを覚悟して惜別の歌を詠みました。現在、小瀬川にはこの歌を刻んだ吉田松陰歌碑が建てられています…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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吉田松陰防長路惜別の地

寺島忠三郎関連史跡

寺嶋忠三郎は、天保14年(1843)近習寺嶋太治郎の二男として生まれました。16才で松下村塾に入り吉田松陰の弟子となり、尊王攘夷運動に尽くしましたが、禁門の変に際して久坂玄瑞とともに自刃しました。顕彰碑と辞世の碑が建てられています。

  • 岩国・柳井・周南エリア
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寺島忠三郎関連史跡

四境の役砲撃戦跡

四境の役大島口の戦において、戦火の火蓋が切られた戦いで、幕府軍軍艦から撃たれた砲撃の跡が浄西寺の石垣に今も残っている。

  • 岩国・柳井・周南エリア
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四境の役砲撃戦跡

旦の登り窯

ノスタルジーに浸る窯跡

【全体概要】日本舎密(せいみ)製造株式会社(現:日産化学工業)の製造する硫酸などを運ぶための容器を、明治26年から旦の製陶所で生産していました。旦の登り窯は、その当時の窯跡です。また、生産された瓶は「硫酸瓶」と呼ばれています。幅7.5m、煙突の高さ12.3m…

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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旦の登り窯

井上馨遭難の碑

井上は元治元年(1864)中園町袖解橋で藩庁の反対勢力に襲われ重傷を負いましたが、医者所郁太郎によって一命をとりとめました。

  • 山口・防府エリア
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井上馨遭難の碑

周防灘干拓遺跡 高泊開作浜五挺唐樋

切石による精緻な樋の構造と技術に感嘆

高泊の浜五挺唐樋は、江戸時代における周防灘での干拓の実態を示す貴重な遺跡であり、また、切石による精緻な樋の構造は、当時の土木技術の到達点をよく示しています。高泊開作は、小野田の高泊湾を干拓したもので、1668年(寛文8)に完成。樋門は幅10.81m、総高6.18…

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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周防灘干拓遺跡 高泊開作浜五挺唐樋

吉田松陰詩碑

嘉永6年(1853)2月に吉田松陰が江戸へ行く途中、室津の日和山の砲台場を見学しました。同年10月、浦賀で黒船を見た松陰は、長崎にロシア船が来航したことを知り、密航して外国へ行くために船に乗ろうと長崎に向かう途中、ここ室津に寄り歌を詠みました。詩碑は松陰ゆ…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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吉田松陰詩碑

久賀の石風呂

久賀の石風呂は、西日本最古の石積式蒸風呂で、構造は、地元の花崗岩石を積み上げて石室を築き、内部は粘土で厚く塗り、土間はたたき固めになっています。石室の大きさは、幅 5.4m、奥行4.6m、高さ2.5m、一度に17人入れるこの地方では最大規模のものとして知られ、…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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久賀の石風呂

立石孫一郎の碑

第二奇兵隊幹部の立石孫一郎は、倒幕を急ぐあまり仲間を引き連れて隊を脱走し、倉敷代官所などを襲撃しました。その後、幕軍に追われることとなり、慶応2年(1866年)藩命に背いたとされ千歳橋の橋上で暗殺されました。その場所の近くに、石碑と小さな祠が建てら…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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立石孫一郎の碑

周防鋳銭司跡

最初に銭貨が鋳造された708年から平安時代初期にかけて、鋳銭の事業の大部分が、この鋳銭司で行われました。9世紀中頃まで鋳造していたが、いつの間にか廃絶しました。

  • 山口・防府エリア
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周防鋳銭司跡

明治維新百年記念公園

四境の役(慶応2年大島口の戦)の古戦場で、園内にはこの戦役で活躍した人々をたたえた記念碑がある。

  • 岩国・柳井・周南エリア
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明治維新百年記念公園

野山獄・岩倉獄跡

萩藩の牢獄跡で、武士が野山獄、町人や農民は岩倉獄に入れられました。安政元年(1854)に海外密航に失敗した吉田松陰は野山獄、その時の従者金子重輔は岩倉獄に投ぜられました。野山獄跡には十一烈士の碑、岩倉獄には重輔絶命の詩碑と松陰が重輔に与えた詩碑が建てら…

  • 萩・長門エリア
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野山獄・岩倉獄跡

花岡勘場跡地

花岡勘場跡地は、萩藩創建期の頃に設置された都濃宰判(代官所)の跡地です。代官は年3回春秋冬に萩から出張して重要な決裁を行っていました。日頃は大庄屋が出勤して代官の代わりを務めていたといいます。付近には、御茶屋(本陣)・御番所・高札場などがあり、花岡…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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花岡勘場跡地

津和野藩藩邸跡

旧藩主亀井氏の邸宅跡。建物のあった部分は高校に、庭園部分が嘉楽園として公開されています。

  • 山口・防府エリア
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津和野藩藩邸跡

金麗社

祭神は菅原道真、旧称天満宮。1865年、藩政府軍と諸隊が大田・絵堂で戦った際に、諸隊の本陣が置かれたところです。境内には、その時の戦利品や多くの石碑があります。

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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金麗社