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巖流島
名勝負の舞台となった小さな無人島
関門海峡に浮かぶ周囲1.6kmほどの小さな島「巌流島」は、宮本武蔵と佐々木小次郎が男を懸けて戦った地。島の正式名称は「船島(ふなしま)」ですが、敗者を想う地元の人々が戦いに敗れた小次郎の流派をとって、「巌流島」と呼ぶようになりました。二人の英雄に想いを…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

壇之浦古戦場跡(みもすそ川公園)
関門海峡での歴史的一戦に思いをはせる!
1185年(寿永4年)に、源氏と平家の最後の合戦「壇之浦の戦い」が起きました。合戦の地は「早鞆の瀬戸」とも言われ、関門海峡の幅が最も狭く潮の流れが激しい場所です。平家の敗戦を覚悟した二位の尼は、わずか8歳の安徳天皇を抱き壇之浦の海へ入水しました。この時二位…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

大内氏館跡(大内氏遺跡)
かつて大内氏の居館があった場所
館跡には現在龍福寺がありますが、室町時代には周防の守護職大内氏の居館があったところです。正平15年(1360)頃大内弘世が大内御堀からこの地に館を移し、京の街を模して、街造りをしたといわれています。館は現在の龍福寺境内とほぼ一致する100間四方の敷地を堀と…
- 山口・防府エリア

萩反射炉
世界遺産に登録されている西洋式の金属溶解炉
安政3年(1856),萩藩は外国からの脅威に備えて軍事力の強化をはかるために、鉄製大砲の鋳造に必要な反射炉の導入を試みました。炉は玄武岩とレンガを使用し、基底は長方形で上部が漸次狭くなり、2本の煙突にわかれていて、高さは10.5mあります。反射炉の遺構は萩…
- 萩・長門エリア

佐波川関水
【みどころ】1186年(文治2)、東大寺を建て直す役割を担った俊乗房重源(しゅんじょうぼうちょうげん)は、佐波郡の山で木を切りだし、佐波川をつかって海まで流し、奈良へと送りました。このとき、川底が浅く木を流しにくいところでは、川をせきとめて水位をあげ、 …
- 山口・防府エリア

回天訓練基地跡

萩城下町
世界遺産の町並みを散策
分厚い白壁の重厚な武家屋敷、夏みかんが顔を出す土塀や鍵曲など、かつて城下町として栄えた町並みが色濃く残る萩城下町。高杉晋作や木戸孝允など幕末から明治維新に活躍した偉人の生家が現存し、その足跡をたどることもできる見どころ豊富な城下町
- 萩・長門エリア

三田尻塩田記念産業公園
塩のまち防府の歴史を伝える体験施設
三田尻の塩田は塩の干満を利用して海水を引き込む『入浜式』で、西暦1960年(昭和35年)に操業を終えるまで、260年間三田尻塩田は良質の塩を作り続けました。公園では、昔の塩田作業の模型や様々な展示物等で塩の生産について学ぶことができます。公園のシンボルであ…
- 山口・防府エリア

涙松跡/涙松遺跡(萩往還)
人々が萩のまちとの別れを惜しみ涙した場所
江戸時代、萩城下から山口へ通じる藩主御成街道は、萩市大屋から左へ折れるので、城下が見えるのもここが最後となります。松並木の間に見え隠れする萩を見返り、別れの涙を流すというので、ここの街道並木を「涙松」と呼んでいます。幕末、吉田松陰が安政の大獄で江戸…
- 萩・長門エリア

牛島
室積半島の南方約8kmの周防灘上にあり、光市で人のすむ唯一の島。全島がほぼ山地で、南側には1935年(昭和10)に日本で初めて発見された県指定天然記念物のモクゲンジの群生地があります。また、牛島漁港藤田・西﨑の波止は、水産庁の「未来に残したい漁業漁村の歴史…
- 岩国・柳井・周南エリア

宇津観音堂
日本海にそびえたつ断崖絶壁と弘法大師の正観音
見島の宇津観音堂には、全国3か所にあるといわれ、弘法大師が彫られたといわれる正観音が祭られています。御利益が多いといわれ、四国や九州からも参拝があります。お堂は赤褐色の火山噴出物の断崖に立っていますが、観音崎の断崖絶壁と日本海は素晴らしい眺めです。
- 萩・長門エリア

大村益次郎医学記念碑
江戸時代、ここには長州藩の獄舎と処刑場がありました。大村益次郎がここで処刑された女囚の解剖を行い、藩の医学校山口好生堂の生徒に見学させ、講義をしました。近代医学黎明の地として記念碑が建てられています。
- 山口・防府エリア

菊屋家住宅 秋の庭園特別公開
紅葉の時期にあわせて普段は非公開の新庭を特別公開
藩の御用商人をつとめていた菊屋家。菊屋家住宅(国指定重要文化財)は、現存する商家としては最古の部類に属し、400年の歴史があります。普段は非公開の美しい新庭を特別に公開。この新庭は、明治から昭和期にかけて大規模な作庭を行い現在の庭となったもので、約500…
- 萩・長門エリア

周防国衙跡
周防国衙跡は、周防国の行政を司る役所(国府)が置かれたところです。奈良時代から平安時代の役所が周辺一帯に広がっていたことが発掘調査でわかっています。政庁があったと推定されている場所は現在公園として整備されています。ここには明治の初めまで国庁寺という…
- 山口・防府エリア

高杉晋作終焉の地
病をおして小倉口の戦いを指揮した高杉晋作が、慶応3年(1867)4月、27歳8カ月の短くも激しい生涯を閉じた場所です。辞世の「おもしろきこともなき世をおもしろく…」は、晋作の人生観とその凝縮された生涯が見事に表された句としてよく知られています。
- 下関・秋吉台・宇部エリア

長登銅山跡
慶長年間(1596~1615)から寛保年間(1741~44)までの約150年の間、盛んに採掘されました。聖武天皇の時代、奈良の大仏鋳造にこの銅を使用し、「奈良上り」が「長登」の地名の由来だとされていたが、最近の発掘調査で奈良時代の銅山跡が明らかとなり、日本最古の鉱…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

潮音洞
平成の名水百選に選ばれた人工水路
漢陽寺本堂裏にある灌漑用随道。江戸時代に造られた水路用のトンネルです。 藩政時代最初の水利工事の遺跡で、この人工水路の取水口から洞入口まで270m、洞の長さ88m。これによって周囲の耕作地を大いに潤したといわれています。平成20年6月に潮音洞と清流通り…
- 岩国・柳井・周南エリア

野山獄・岩倉獄跡
萩藩の牢獄跡で、武士が野山獄、町人や農民は岩倉獄に入れられました。安政元年(1854)に海外密航に失敗した吉田松陰は野山獄、その時の従者金子重輔は岩倉獄に投ぜられました。野山獄跡には十一烈士の碑、岩倉獄には重輔絶命の詩碑と松陰が重輔に与えた詩碑が建てら…
- 萩・長門エリア

恵美須ヶ鼻造船所跡
世界遺産|洋式軍艦の建造に先駆的な役割をはたした造船所
1853(嘉永6)年、幕府は各藩の軍備・海防力の強化を目的に大船建造を解禁し、のちに萩藩に対しても大船の建造を要請しました。1856(安政3)年、萩藩は洋式造船技術と運転技術習得のため、幕府が西洋式帆船の君沢型(スクーナー船)を製造した伊豆戸田村に船大工棟梁…
- 萩・長門エリア

乙女峠 マリア聖堂
キリシタン殉教の悲話を伝える、聖母マリアが降臨の聖地
キリスト教が厳禁だった明治初期に長崎浦上から多くの隠れキリシタンが流人として送られ、殉教した信者は37人にも及びました。マリア聖堂は、殉教者を追悼するため昭和26年に建立され、聖堂内のステンドグラスには殉教物語が描かれています。また、聖母マリアが降臨さ…
- 山口・防府エリア
