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佐波川関水
【みどころ】1186年(文治2)、東大寺を建て直す役割を担った俊乗房重源(しゅんじょうぼうちょうげん)は、佐波郡の山で木を切りだし、佐波川をつかって海まで流し、奈良へと送りました。このとき、川底が浅く木を流しにくいところでは、川をせきとめて水位をあげ、 …
- 山口・防府エリア

周防国衙跡
周防国衙跡は、周防国の行政を司る役所(国府)が置かれたところです。奈良時代から平安時代の役所が周辺一帯に広がっていたことが発掘調査でわかっています。政庁があったと推定されている場所は現在公園として整備されています。ここには明治の初めまで国庁寺という…
- 山口・防府エリア

350年の橋を守る「橋守」がご案内 錦帯橋の魅力の深層に触れ…
350年の橋を守る「橋守」がご案内 錦帯橋の魅力の深層に触れる…
五連の木造橋の錦帯橋は、世界唯一の錦帯橋式アーチ構造でできています。創建から350年以上、幾度もの架け替えを経ながらも地元の職人たちによって、口伝えのほか、古くは1699年に遡る図面や、型板などを基に、木組みの工法やデザイン・構造を変えることなく守り継が…
- 岩国・柳井・周南エリア

十朋亭維新館
明治維新への扉を開いた「維新策源の地 山口」の歴史にふれる…
十朋亭は、代々醤油製造を業とする萬代家の離れとして建てられました。幕末期に長州藩主毛利敬親が、萩から山口へ藩庁を移した際、藩の役人たちの宿舎として利用されました。当主・萬代利兵衛が志士達の活動を援護していたことから、多くの来客があったと伝えられ、桂…
- 山口・防府エリア

悴坂一里塚

涙松跡/涙松遺跡(萩往還)
人々が萩のまちとの別れを惜しみ涙した場所
江戸時代、萩城下から山口へ通じる藩主御成街道は、萩市大屋から左へ折れるので、城下が見えるのもここが最後となります。松並木の間に見え隠れする萩を見返り、別れの涙を流すというので、ここの街道並木を「涙松」と呼んでいます。幕末、吉田松陰が安政の大獄で江戸…
- 萩・長門エリア

世界遺産登録10周年企画 萩城下町周遊プログラム(リアル宝…
宝の地図をもとに、萩城下町内に点在する手がかりを集め、謎を…
宝の地図をもとに、萩城下町内に点在する手がかりを集め、謎を解き、お宝を探し出すイベントです。果たして、あなたは全ての謎を解き明かし、時を超えて守り継がれた「萩のお宝」を見つけ出すことができるでしょうか?宝箱を発見した方には萩・明倫学舎で、世界遺産記…
- 萩・長門エリア

宇津観音堂
日本海にそびえたつ断崖絶壁と弘法大師の正観音
見島の宇津観音堂には、全国3か所にあるといわれ、弘法大師が彫られたといわれる正観音が祭られています。御利益が多いといわれ、四国や九州からも参拝があります。お堂は赤褐色の火山噴出物の断崖に立っていますが、観音崎の断崖絶壁と日本海は素晴らしい眺めです。
- 萩・長門エリア

吉田松陰東送の碑
【全体概要】安政6年(1859)5月25日午前9時ごろ、江戸幕府により東送を命ぜられた吉田松陰は、唐丸籠に乗り、食事ができる程度にゆるく手を縛られ、小雨の中萩を後にしました。途中、小休止をとった萩往還沿いの夏木原で、日本の現状を憂い、行く末を案じて詠んだ詩が…
- 萩・長門エリア

福川本陣跡
【全体概要】福川本陣は、初めは藩主の領内巡視や参勤交代などの休憩所であったが、享保6年(1721)幕府の参勤交代における随行員制限令が発せられ、山陽道においても海路から陸路による通行が激増し、幕府の要人や西国大名などの宿泊や休憩の場所を提供する重要な宿…
- 岩国・柳井・周南エリア

恵美須ヶ鼻造船所跡
世界遺産|洋式軍艦の建造に先駆的な役割をはたした造船所
1853(嘉永6)年、幕府は各藩の軍備・海防力の強化を目的に大船建造を解禁し、のちに萩藩に対しても大船の建造を要請しました。1856(安政3)年、萩藩は洋式造船技術と運転技術習得のため、幕府が西洋式帆船の君沢型(スクーナー船)を製造した伊豆戸田村に船大工棟梁…
- 萩・長門エリア

萩焼深川古窯跡群
慶長5年(1600)の毛利輝元の萩移封に伴い、朝鮮の陶工 李勺光(りしゃっこう)の一統も安芸広島から萩に移住し、松本中ノ倉(現 萩市椿東)に窯を構築しました。萩焼は、輝元によりひらかれたこの藩窯「窯薪山御用焼物所」(かままきやまごようやきものしょ)(松本焼…
- 萩・長門エリア

八幡隊結成の地
八幡隊は文久3年(1863)9月に堀真五郎を初代総督として八幡馬場で結成された隊です。総督には当初、久坂玄瑞が推されましたが、自由な身の振りを求めて辞退し、代わりに堀真五郎を就かせました。
- 山口・防府エリア

福原史跡公園
宇部の領主福原家は毛利藩の永代家老として、萩堀内の屋敷に暮らし、宇部の邸は御田屋(おたや:遠方の田地を経営するために設けた建物)と呼ばれていました。1976年(昭和51年)、市の史跡公園として開放された園内には、井戸跡、屋敷神、樹木が残存しています。表門…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

上関砲台跡(室津日和山、長島東山)
吉田松陰も訪れた、上関海峡の両端に備えられた江戸末期の砲台
江戸末期、毛利藩は外敵からの防衛の為に要所に砲台を築造。上関海峡の両端(室津日和山、長島瀬戸東山)の丘にも砲台が築かれ大砲が備え付けられました。嘉永6年(1853)2月に吉田松陰が江戸へ行く途中、室津の日和山の砲台場を見学しました。慶応二年(1866年)四境…
- 岩国・柳井・周南エリア

ふくの国山口「幸ふく」成就の旅~ふくの国で重ね押し「幸ふく…
重ね押しスタンプラリーを楽しんで幸福をゲットしよう!
江戸時代から人々の幸せの舞台となっている場所を巡り、幸福をゲットしよう!重ね押しスタンプラリーで『御城印』『御乗印』の印状が完成します。①『やまぐち・つわの幸ふく御城印』 :岩国城・萩城・津和野城の三城を巡って”幸ふく御城印”をゲット!台紙…
- 岩国・柳井・周南エリア

春帆楼
日清講和条約が締結された会場であり、「フグ食用禁止令」を伊藤博文が解禁した「ふぐ料理」の公許第1号店でもあります。「春帆楼」の名も伊藤博文の命名。隣接して日清講和記念館があり、条約締結の会場で使用された調度品や写真、資料などが公開、展示されています…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

平家の一杯水
「壇ノ浦の戦いで深手を負い、命からがら岸に泳ぎ着いた平家の武将が水溜りを見つけ、飲んでみると真水だった。が、もう一口飲もうとしたら塩水になっており、その場で力尽きた」という伝説が残っているところです。碑の近くの渚に湧き出る清水には祠が建てられ、今も…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

徳山毛利陣屋跡
【全体概要】毛利輝元の次男・就隆は、元和3年(1617)に都濃郡・熊毛郡内の三万石余りを領地として分け与えられ、慶安3年(1650)下松から交通の便に恵まれた野上村に館を移し、地名を「徳山」と改めました。その後、藩の改易・再興を経て、明治4年(1871)に山口…
- 岩国・柳井・周南エリア

城下町とっておき体験プラン ”今 むかし 時間の歯車を回す旅”
萩城下町のいいとこどり非日常体験
着物を着る、人力車で巡る、お抹茶を点てる…江戸の城下町風情が色濃く残る萩のまちで3つの体験がセットで楽しめる体験プランです。着物体験・抹茶体験・人力車体験を組み合わせてお楽しみいただけます。
- 萩・長門エリア








