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旧新橋停車場

【施設概要】イギリスで鉱山と鉄道の技術を研究して帰国した井上勝は、日本にも鉄道敷設の必要性を強く感じ、その実現を夢見ました。 その夢の第一歩として、汐留の一角に鉄道建設のための最初の杭が打ち込まれ、1872年(明治5年)に新橋~横浜間に日本最初の鉄道が…

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旧新橋停車場

大田・絵堂戦跡記念碑

慶応元年(1865)1月、美東町の大田・絵堂を主戦地として、保守派の藩政府軍と、諸隊との戦いが始まりました。下関の功山寺で決起した高杉晋作に呼応した諸隊と、鎮圧しようとした藩政府軍とが対峙し、10日間の交戦で諸隊が勝利しました。現在、呑水、絵堂、川上の戦…

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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大田・絵堂戦跡記念碑

唐樋札場跡(萩往還)

萩市の中心部、唐樋(からひ)町に位置する「札場跡」。藩府・萩と防府三田尻を結ぶ、萩往還の起点となる場所です。周防・長門両国の一里塚の基点とされました。また、幕府や藩からの「御触」(法令や規則など)が掲げられた高札も立っていました。

  • 萩・長門エリア
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唐樋札場跡(萩往還)

旧小野田セメント製造株式会社竪窯

日本に完存する唯一のセメント焼成用竪窯

【全体概要】旧小野田セメント製造株式会社竪窯は、わが国最初のセメント焼成窯です。高さ9.6メートル、煉瓦を積み上げて作った竪窯で徳利の形に似ていることから、徳利窯(とっくりがま)と呼ばれています。国重要文化財。(平成16年12月10日指定)

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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旧小野田セメント製造株式会社竪窯

錦の御旗製作所跡

慶応3年(1867)討幕の勅命が下り、品川弥二郎は京都西陣で材料を購入し、ここにあった養蚕所の一室で御旗の製作にあたりました。ここで製作された錦の御旗が、鳥羽伏見の戦において官軍の陣頭に立てられました。

  • 山口・防府エリア
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錦の御旗製作所跡

毛利元就公歯廟

2基の宝篋印塔。毛利元政が、父元就の33回忌に元就の歯をお墓に納めたものです。

  • 岩国・柳井・周南エリア
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毛利元就公歯廟

室積台場跡

江戸時代末、四国艦隊の報復攻撃に備え沿岸に砲台場を築いたもの。当時の長州藩は男手が不足し、後に残った婦女子が中心になってこれを築きました。このことから、通称「女台場」といわれています。市指定史跡となっています。

  • 岩国・柳井・周南エリア
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室積台場跡

明治維新百年記念公園

四境の役(慶応2年大島口の戦)の古戦場で、園内にはこの戦役で活躍した人々をたたえた記念碑がある。

  • 岩国・柳井・周南エリア
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明治維新百年記念公園

寺島忠三郎関連史跡

寺嶋忠三郎は、天保14年(1843)近習寺嶋太治郎の二男として生まれました。16才で松下村塾に入り吉田松陰の弟子となり、尊王攘夷運動に尽くしましたが、禁門の変に際して久坂玄瑞とともに自刃しました。顕彰碑と辞世の碑が建てられています。

  • 岩国・柳井・周南エリア
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寺島忠三郎関連史跡

周防灘干拓遺跡 高泊開作浜五挺唐樋

切石による精緻な樋の構造と技術に感嘆

高泊の浜五挺唐樋は、江戸時代における周防灘での干拓の実態を示す貴重な遺跡であり、また、切石による精緻な樋の構造は、当時の土木技術の到達点をよく示しています。高泊開作は、小野田の高泊湾を干拓したもので、1668年(寛文8)に完成。樋門は幅10.81m、総高6.18…

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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周防灘干拓遺跡 高泊開作浜五挺唐樋

赤禰武人処刑場の碑

赤禰は3代目奇兵隊総督となり活躍しましたが、藩内の俗論派と正義派諸隊の調停を図ったことが二重スパイと疑われ、この地で処刑されました。

  • 山口・防府エリア
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赤禰武人処刑場の碑

陶陶窯跡

陶陶窯跡は、須恵器を焼いた窯で、平安時代初期に使われたものと思われます。この地方の地名を陶ということからわかるように、この地では古くから窯業が盛んに行われていました。現在陶地区の北側の山裾一帯には広く須恵器の破片が散布しており、各所に窯跡と見られる…

  • 山口・防府エリア
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陶陶窯跡

四境の役砲撃戦跡

四境の役大島口の戦において、戦火の火蓋が切られた戦いで、幕府軍軍艦から撃たれた砲撃の跡が浄西寺の石垣に今も残っている。

  • 岩国・柳井・周南エリア
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四境の役砲撃戦跡

大和屋政助の船蔵

江戸時代、富海浦は、旧山陽道の南方約18mのところに岸壁が広がっていました。記録によるとここでは、書状や小物、人を大阪へ運ぶ船頭二人乗りの飛船(とびふね)が頻繁に出入りし、「瀬戸内の飛脚船」として活躍したと残されています。当時、大和屋政助(やまとやま…

  • 山口・防府エリア
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大和屋政助の船蔵

吉田松陰防長路惜別の地

吉田松陰の歌碑が建っています。安政の大獄で、幕府の召喚をうけた吉田松陰が籠で護送される途中、広島県との境である小瀬川に差し掛かかった際、防長二州と最後の別れを覚悟して惜別の歌を詠みました。現在、小瀬川にはこの歌を刻んだ吉田松陰歌碑が建てられています…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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吉田松陰防長路惜別の地

日置峠山の須恵器窯跡

傾斜面を堀り抜いた「地下式登窯」で、奈良時代のものと推定されます。この種の窯跡が山口県の山陰地方で発見されるのは珍しく、価値の高い史跡です。

  • 萩・長門エリア
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日置峠山の須恵器窯跡

金麗社

祭神は菅原道真、旧称天満宮。1865年、藩政府軍と諸隊が大田・絵堂で戦った際に、諸隊の本陣が置かれたところです。境内には、その時の戦利品や多くの石碑があります。

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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金麗社

萩焼深川古窯跡群

慶長5年(1600)の毛利輝元の萩移封に伴い、朝鮮の陶工 李勺光(りしゃっこう)の一統も安芸広島から萩に移住し、松本中ノ倉(現 萩市椿東)に窯を構築しました。萩焼は、輝元によりひらかれたこの藩窯「窯薪山御用焼物所」(かままきやまごようやきものしょ)(松本焼…

  • 萩・長門エリア
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萩焼深川古窯跡群

佐波川関水

【みどころ】1186年(文治2)、東大寺を建て直す役割を担った俊乗房重源(しゅんじょうぼうちょうげん)は、佐波郡の山で木を切りだし、佐波川をつかって海まで流し、奈良へと送りました。このとき、川底が浅く木を流しにくいところでは、川をせきとめて水位をあげ、 …

  • 山口・防府エリア
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佐波川関水

赤崎神社 楽桟敷・楽踊

赤崎山の北東斜面にある自然にできたすり鉢状の地形を巧みに利用した野外劇場。谷底の踊庭(おどりにわ)で奉納される「楽踊」「南条踊」「芝居」などを観覧する場として整備されました。階段状の桟敷は「高桟敷」と呼ばれ、一段の石積みの高さは90~170㎝。踊庭は「…

  • 萩・長門エリア
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赤崎神社 楽桟敷・楽踊