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周防灘干拓遺跡 高泊開作浜五挺唐樋

切石による精緻な樋の構造と技術に感嘆

高泊の浜五挺唐樋は、江戸時代における周防灘での干拓の実態を示す貴重な遺跡であり、また、切石による精緻な樋の構造は、当時の土木技術の到達点をよく示しています。高泊開作は、小野田の高泊湾を干拓したもので、1668年(寛文8)に完成。樋門は幅10.81m、総高6.18…

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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周防灘干拓遺跡 高泊開作浜五挺唐樋

伊藤井上両公上陸の碑

文久3年(1863年)、「長州ファイブ」の一員としてイギリスにいた伊藤博文、井上馨は、英米仏蘭の4ヶ国連合艦隊が下関を攻撃するとの情報に接し、英国留学を中断して帰国の途につきました。両名は、元治元年(1864年)6月24日に富海に上陸し、飛船問屋入本屋磯七の宅…

  • 山口・防府エリア
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伊藤井上両公上陸の碑

野谷の石風呂

1186年(文治2)ころ、俊乗房重源(しゅんじょうぼうちょうげん)が東大寺を建て直すための役割を担い、佐波郡の山中から多くの建築用材を奈良に送る仕事をしました。野谷の石風呂は、作業をする人たちの病気治療のために重源がつくった施設の一つです。石風呂は石を…

  • 山口・防府エリア
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野谷の石風呂

藩校養老館

津和野を支えた偉人を輩出した教育機関

津和野藩校「養老館」は、津和野8代藩主亀井矩賢によって天明6年(1786)に創設され、嘉永6年(1853)の大火後の安政年間に殿町に現在みることのできる建物が移設新築されました。現在残されている校舎「武術棟」(槍術教場、剣術教場)と土蔵「御書物蔵」の2棟、そし…

  • 山口・防府エリア
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藩校養老館

大田・絵堂戦跡記念碑

慶応元年(1865)1月、美東町の大田・絵堂を主戦地として、保守派の藩政府軍と、諸隊との戦いが始まりました。下関の功山寺で決起した高杉晋作に呼応した諸隊と、鎮圧しようとした藩政府軍とが対峙し、10日間の交戦で諸隊が勝利しました。現在、呑水、絵堂、川上の戦…

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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大田・絵堂戦跡記念碑

牛島

室積半島の南方約8kmの周防灘上にあり、光市で人のすむ唯一の島。全島がほぼ山地で、南側には1935年(昭和10)に日本で初めて発見された県指定天然記念物のモクゲンジの群生地があります。また、牛島漁港藤田・西﨑の波止は、水産庁の「未来に残したい漁業漁村の歴史…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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牛島

土蔵相模跡

【施設概要】JR品川駅南側、線路と交わる八ツ山橋を渡ると、国道第一京浜の東側に平行する狭い街筋があります。ここが江戸時代、東海道で日本橋につぐ第一番目の宿場として旅籠百軒という繁栄をきわめた品川宿の跡です。 中でも酒楼相模屋は高級妓楼として知られ、…

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土蔵相模跡

寺島忠三郎関連史跡

寺嶋忠三郎は、天保14年(1843)近習寺嶋太治郎の二男として生まれました。16才で松下村塾に入り吉田松陰の弟子となり、尊王攘夷運動に尽くしましたが、禁門の変に際して久坂玄瑞とともに自刃しました。顕彰碑と辞世の碑が建てられています。

  • 岩国・柳井・周南エリア
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寺島忠三郎関連史跡

三田尻御舟倉跡

毛利水軍の根拠地で往時をしのぶ

三田尻の御舟倉は、萩藩の水軍の根拠地でした。藩主の御座船や軍船が常置され、船の建造や修理も行われました。また周辺には関係者の住宅があり、それにちなんだ地名が今日も残っています。現在では通堀、これに通じる船入水路の一部を残すのみです。また、下関の功山…

  • 山口・防府エリア
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三田尻御舟倉跡

錦の御旗製作所跡

慶応3年(1867)討幕の勅命が下り、品川弥二郎は京都西陣で材料を購入し、ここにあった養蚕所の一室で御旗の製作にあたりました。ここで製作された錦の御旗が、鳥羽伏見の戦において官軍の陣頭に立てられました。

  • 山口・防府エリア
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錦の御旗製作所跡

毛利元就公歯廟

2基の宝篋印塔。毛利元政が、父元就の33回忌に元就の歯をお墓に納めたものです。

  • 岩国・柳井・周南エリア
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毛利元就公歯廟

周布政之助の碑

【全体概要】周布は藩政の主導権を幕府の考え方に従おうとする俗論等に奪われた責任を取り、自刃しました。その場所の近くに功績を伝える碑が建っています。

  • 山口・防府エリア
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周布政之助の碑

旦の登り窯

ノスタルジーに浸る窯跡

【全体概要】日本舎密(せいみ)製造株式会社(現:日産化学工業)の製造する硫酸などを運ぶための容器を、明治26年から旦の製陶所で生産していました。旦の登り窯は、その当時の窯跡です。また、生産された瓶は「硫酸瓶」と呼ばれています。幅7.5m、煙突の高さ12.3m…

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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旦の登り窯

室積台場跡

江戸時代末、四国艦隊の報復攻撃に備え沿岸に砲台場を築いたもの。当時の長州藩は男手が不足し、後に残った婦女子が中心になってこれを築きました。このことから、通称「女台場」といわれています。市指定史跡となっています。

  • 岩国・柳井・周南エリア
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室積台場跡

乙女峠 マリア聖堂

キリシタン殉教の悲話を伝える、聖母マリアが降臨の聖地

キリスト教が厳禁だった明治初期に長崎浦上から多くの隠れキリシタンが流人として送られ、殉教した信者は37人にも及びました。マリア聖堂は、殉教者を追悼するため昭和26年に建立され、聖堂内のステンドグラスには殉教物語が描かれています。また、聖母マリアが降臨さ…

  • 山口・防府エリア
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乙女峠 マリア聖堂

唐樋札場跡(萩往還)

萩市の中心部、唐樋(からひ)町に位置する「札場跡」。藩府・萩と防府三田尻を結ぶ、萩往還の起点となる場所です。周防・長門両国の一里塚の基点とされました。また、幕府や藩からの「御触」(法令や規則など)が掲げられた高札も立っていました。

  • 萩・長門エリア
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唐樋札場跡(萩往還)

赤崎神社 楽桟敷・楽踊

赤崎山の北東斜面にある自然にできたすり鉢状の地形を巧みに利用した野外劇場。谷底の踊庭(おどりにわ)で奉納される「楽踊」「南条踊」「芝居」などを観覧する場として整備されました。階段状の桟敷は「高桟敷」と呼ばれ、一段の石積みの高さは90~170㎝。踊庭は「…

  • 萩・長門エリア
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赤崎神社 楽桟敷・楽踊

明倫館遺構聖賢堂

 聖賢堂は藩校明倫館の聖廟前、観徳門の左右にあった東塾・西塾の遺構である。 明倫館廃校の後、両塾を合わせて1棟とし、市内東田町の阿呼社境内に移築されていたが、大正7年(1918)に再び元の地の明倫館跡へ移された。 建物は切妻造り、起こり屋根桟瓦葺き…

  • 萩・長門エリア
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明倫館遺構聖賢堂

久賀の石風呂

久賀の石風呂は、西日本最古の石積式蒸風呂で、構造は、地元の花崗岩石を積み上げて石室を築き、内部は粘土で厚く塗り、土間はたたき固めになっています。石室の大きさは、幅 5.4m、奥行4.6m、高さ2.5m、一度に17人入れるこの地方では最大規模のものとして知られ、…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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久賀の石風呂

赤禰武人処刑場の碑

赤禰は3代目奇兵隊総督となり活躍しましたが、藩内の俗論派と正義派諸隊の調停を図ったことが二重スパイと疑われ、この地で処刑されました。

  • 山口・防府エリア
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赤禰武人処刑場の碑