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御山神社経塚
御山神社経塚は阿武町惣郷にある経塚。築造は12世紀ごろと推定されています。経塚は、永く後世に伝えるため経典を経筒などに入れて地中に納め、塚を築いたもので、この経塚は、御山神社社務所横の土中より発見されました。
- 萩・長門エリア

江泊瓦窯跡

明治維新百年記念公園

菊ケ浜土塁(女台場)

土蔵相模跡
【施設概要】JR品川駅南側、線路と交わる八ツ山橋を渡ると、国道第一京浜の東側に平行する狭い街筋があります。ここが江戸時代、東海道で日本橋につぐ第一番目の宿場として旅籠百軒という繁栄をきわめた品川宿の跡です。 中でも酒楼相模屋は高級妓楼として知られ、…
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住吉神社の石造燈台
海上交通の安全を見守る「萩往還」関連史跡
萩藩の水軍の本拠地である御舟倉へ続く入川(いりかわ)の河口に、海上交通の安全を祈願するために、ささやかな祠が建てられ住吉大明神が祭られていたが、水軍の船頭らの願い出で、正徳(しょうとく)5年(1715)、住吉神社が創建されました。石造燈台は、その境内地に…
- 山口・防府エリア

長門鋳銭所跡
長門鋳銭所跡は、覚苑寺境内一帯と考えられ、奈良・平安時代に銭貨の鋳造を行った所です。長門国衙に付設され、その開設は和同年間(708~715)で、史跡地内からは、708年(和銅1)から鋳造が開始された貨幣である和同開珎1枚と、それを作ったときの型、るつぼや鞴口な…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

明倫館遺構聖賢堂
聖賢堂は藩校明倫館の聖廟前、観徳門の左右にあった東塾・西塾の遺構である。 明倫館廃校の後、両塾を合わせて1棟とし、市内東田町の阿呼社境内に移築されていたが、大正7年(1918)に再び元の地の明倫館跡へ移された。 建物は切妻造り、起こり屋根桟瓦葺き…
- 萩・長門エリア

向山文庫跡
清水家の家老だった難波家の土蔵。清水親知の遺品と自家の蔵書が残っており,明治39年(1906)には村民にも一般開放していた。昭和51年(1976),光市史跡に指定された。
- 岩国・柳井・周南エリア

呼坂宿駅本陣跡

毛利元就公歯廟

大村益次郎医学記念碑
江戸時代、ここには長州藩の獄舎と処刑場がありました。大村益次郎がここで処刑された女囚の解剖を行い、藩の医学校山口好生堂の生徒に見学させ、講義をしました。近代医学黎明の地として記念碑が建てられています。
- 山口・防府エリア

悴坂一里塚

福川本陣跡
【全体概要】福川本陣は、初めは藩主の領内巡視や参勤交代などの休憩所であったが、享保6年(1721)幕府の参勤交代における随行員制限令が発せられ、山陽道においても海路から陸路による通行が激増し、幕府の要人や西国大名などの宿泊や休憩の場所を提供する重要な宿…
- 岩国・柳井・周南エリア

勝栄寺土塁及び旧境内
【全体概要】南北朝時代に陶弘政が創建した時宗寺院。南北朝時代の時宗寺院は、政治的、軍事的な性格を持ち、寺院でありながら城郭の機能を果たす例が多く、この時期に土累と環濠が設けられたと考えられています。県下における中世寺院城郭の唯一の例として貴重なもの…
- 岩国・柳井・周南エリア

旧萩藩御船倉
藩主の御座船や軍船を格納した御船倉
藩主の御座船(ござぶね)や軍船を格納した船倉で、浜崎重要伝統的建造物群保存地区に位置しています。明治以後の埋め立てにより、現在は河岸から離れたところに位置していますが、往時は松本川に面して船が自由に出入り出来る場所でした。屋根を葺いた旧藩時代の船倉…
- 萩・長門エリア

普門寺塾跡

吉田松陰詩碑
上関大橋のたもと、松陰ゆかりの砲台場があった地に建てられた…
嘉永6年(1853)2月に吉田松陰が江戸へ行く途中、室津の日和山の砲台場を見学しました。同年10月、浦賀で黒船を見た松陰は、長崎にロシア船が来航したことを知り、密航して外国へ行くために船に乗ろうと長崎に向かう途中、ここ室津に寄り歌を詠みました。詩碑は松陰ゆ…
- 岩国・柳井・周南エリア

花岡勘場跡地
花岡勘場跡地は、萩藩創建期の頃に設置された都濃宰判(代官所)の跡地です。代官は年3回春秋冬に萩から出張して重要な決裁を行っていました。日頃は大庄屋が出勤して代官の代わりを務めていたといいます。付近には、御茶屋(本陣)・御番所・高札場などがあり、花岡…
- 岩国・柳井・周南エリア

皇典講究所跡
【施設概要】皇典講究所は、明治15年に当時の麹町区飯田町(現在の千代田区飯田橋)に設立されました。 その後、明治22年に山田顕義を筆頭発起人として日本法律学校が開設され、また山田はさらに明治23年には皇典講究所の事業を拡張し、日本文化を研究するため…
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