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津和野藩藩邸跡

陶陶窯跡
陶陶窯跡は、須恵器を焼いた窯で、平安時代初期に使われたものと思われます。この地方の地名を陶ということからわかるように、この地では古くから窯業が盛んに行われていました。現在陶地区の北側の山裾一帯には広く須恵器の破片が散布しており、各所に窯跡と見られる…
- 山口・防府エリア

一ノ瀬城跡
防長の地に大内、厚東、豊田の三氏鼎立の時代があり、一ノ瀬城はその豊田氏の本城で、東麓広畑の地が居館跡です。現在は「豊田大領豊田氏館跡」の碑が立つのみとなっています。
- 下関・秋吉台・宇部エリア

国司親相幽閉賜剣之地

上長瀬一里塚

富永有隣の碑
維新の動乱期、数々の功績を残しながら自身の来歴を語ろうとせず、また、同志や門弟達が新政府の要職に就き脚光を浴びている時も、ひとり裏街道を歩き、隠遁と苦難の生活にあまんじた人物が富永有隣です。明治17年から生涯を閉じるまで、この場所で後進の指導にあた…
- 岩国・柳井・周南エリア

八幡隊結成の地
八幡隊は文久3年(1863)9月に堀真五郎を初代総督として八幡馬場で結成された隊です。総督には当初、久坂玄瑞が推されましたが、自由な身の振りを求めて辞退し、代わりに堀真五郎を就かせました。
- 山口・防府エリア

須佐唐津古窯跡群
【全体概要】須佐唐津古窯跡群は、須佐湾から南東へ約3.8㎞入った犬鳴山の北麓にあり、古くから須佐唐津窯とよばれる三基の登窯(のぼりがま=斜面につくって効率よく熱が行き渡るようにしたもの)と、これに付随する地域からなります。窯が築かれた年代は不明である…
- 萩・長門エリア

益田親施幽閉賜剣之地

旧新橋停車場
【施設概要】イギリスで鉱山と鉄道の技術を研究して帰国した井上勝は、日本にも鉄道敷設の必要性を強く感じ、その実現を夢見ました。 その夢の第一歩として、汐留の一角に鉄道建設のための最初の杭が打ち込まれ、1872年(明治5年)に新橋~横浜間に日本最初の鉄道が…
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独立一勺の水
この地は、江戸時代に、真言宗龍門寺のあった所です。三代藩主広嘉の病気治療のため岩国を訪れ、錦帯橋創建のきっかけを作った独立禅師が、「一勺源頭の水…」の漢詩を詠んだといわれる所です。
- 岩国・柳井・周南エリア

五卿登陸処
文久3年(1863)の「八・一八の政変」後、勤王派の7人の公卿が京都を追われ、3隻の船に分乗して兵庫を船出して長州に向かいました。1番船には三条実美、2番船には三条西季知・壬生基修・四条隆謌・錦小路頼徳、3番船には東久世通禧・沢宣嘉が乗り込みました。3隻とも…
- 岩国・柳井・周南エリア

飢民の供養塔(大恩寺)
享保17年(1732年)、ウンカの異常発生によって西日本一帯は大凶作となり、庶民は飢えに苦しみました。ことに周防の国は悲惨で、備蓄用の倉を空にしてもなお手の施しようがなかったと言われています。飢民の供養塔は、この時の幾百人の餓死者を弔うためのものです。
- 岩国・柳井・周南エリア

やげん谷一里塚

蕃書調所跡
【施設概要】アメリカのペリーが黒船を率いて来航し、幕府に開国を求めたのが嘉永6年(1853)、それから二年後の安政2年(1855)、幕府は九段坂下に洋学研究所を設け、まもなく蕃書調所と改称しました。 蕃書調所の開所から約2年後、現在の山口県山口市出身で、新…
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