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菊ケ浜土塁(女台場)

【全体概要】菊ケ浜の南側にあります。文久・元治の頃、萩の沖合にも黒船が出没した際、海防のために築造した砲塁です。

  • 萩・長門エリア
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菊ケ浜土塁(女台場)

江泊瓦窯跡

【全体概要】この窯跡は,防府市東方にある江泊山の丘陵北斜面で発見された平安時代の瓦窯です。周防国府や国分寺に供給していたと考えられています。

  • 山口・防府エリア
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江泊瓦窯跡

三田尻浜大会所跡

三田尻浜の統轄を行ったり、防長塩田の総元締めとしての役割もあった大年寄という役人がいたのが鶴浜の大会所です。現在は、初代大年寄田中藤六の碑をはじめとする5基の石碑が建立、または移設され、往時をしのぶことができます。

  • 山口・防府エリア
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三田尻浜大会所跡

吉田松陰と寺嶋忠三郎訣別の地

【全体概要】安政6年(1859)吉田松陰が萩の野山嶽から江戸に護送される途中、弟子の寺嶋忠三郎と師が無言の別れを告げた場所です。 師弟それぞれの思いを詠んだ歌碑が建てられています。(周南市指定文化財)

  • 岩国・柳井・周南エリア
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吉田松陰と寺嶋忠三郎訣別の地

上長瀬一里塚

【全体概要】山口から萩に向かう、防長の国境をこえた最初の一里塚。凝灰岩を積み上げて径5mの塚をつくっています。

  • 萩・長門エリア
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上長瀬一里塚

吉田松陰東送の碑

【全体概要】安政6年(1859)5月25日午前9時ごろ、江戸幕府により東送を命ぜられた吉田松陰は、唐丸籠に乗り、食事ができる程度にゆるく手を縛られ、小雨の中萩を後にしました。途中、小休止をとった萩往還沿いの夏木原で、日本の現状を憂い、行く末を案じて詠んだ詩が…

  • 萩・長門エリア
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吉田松陰東送の碑

井上馨遭難の碑

井上は元治元年(1864)中園町袖解橋で藩庁の反対勢力に襲われ重傷を負いましたが、医者所郁太郎によって一命をとりとめました。

  • 山口・防府エリア
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井上馨遭難の碑

五卿登陸処

文久3年(1863)の「八・一八の政変」後、勤王派の7人の公卿が京都を追われ、3隻の船に分乗して兵庫を船出して長州に向かいました。1番船には三条実美、2番船には三条西季知・壬生基修・四条隆謌・錦小路頼徳、3番船には東久世通禧・沢宣嘉が乗り込みました。3隻とも…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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五卿登陸処

陶陶窯跡

陶陶窯跡は、須恵器を焼いた窯で、平安時代初期に使われたものと思われます。この地方の地名を陶ということからわかるように、この地では古くから窯業が盛んに行われていました。現在陶地区の北側の山裾一帯には広く須恵器の破片が散布しており、各所に窯跡と見られる…

  • 山口・防府エリア
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陶陶窯跡
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