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住吉神社の石造燈台

海上交通の安全を見守る「萩往還」関連史跡

萩藩の水軍の本拠地である御舟倉へ続く入川(いりかわ)の河口に、海上交通の安全を祈願するために、ささやかな祠が建てられ住吉大明神が祭られていたが、水軍の船頭らの願い出で、正徳(しょうとく)5年(1715)、住吉神社が創建されました。石造燈台は、その境内地に…

  • 山口・防府エリア
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住吉神社の石造燈台

四境の役大島口戦跡碑

この戦いに破れた幕府軍は、翌年大政を奉還しました。

  • 岩国・柳井・周南エリア
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四境の役大島口戦跡碑

上長瀬一里塚

【全体概要】山口から萩に向かう、防長の国境をこえた最初の一里塚。凝灰岩を積み上げて径5mの塚をつくっています。

  • 萩・長門エリア
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上長瀬一里塚

五卿登陸処

文久3年(1863)の「八・一八の政変」後、勤王派の7人の公卿が京都を追われ、3隻の船に分乗して兵庫を船出して長州に向かいました。1番船には三条実美、2番船には三条西季知・壬生基修・四条隆謌・錦小路頼徳、3番船には東久世通禧・沢宣嘉が乗り込みました。3隻とも…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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五卿登陸処

益田親施幽閉賜剣之地

【全体概要】本藩三家老の一人益田親施が幽閉され切腹した惣持院跡。(碑はモウリマンション角へ移設)

  • 岩国・柳井・周南エリア
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益田親施幽閉賜剣之地

陶陶窯跡

陶陶窯跡は、須恵器を焼いた窯で、平安時代初期に使われたものと思われます。この地方の地名を陶ということからわかるように、この地では古くから窯業が盛んに行われていました。現在陶地区の北側の山裾一帯には広く須恵器の破片が散布しており、各所に窯跡と見られる…

  • 山口・防府エリア
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陶陶窯跡

蕃書調所跡

【施設概要】アメリカのペリーが黒船を率いて来航し、幕府に開国を求めたのが嘉永6年(1853)、それから二年後の安政2年(1855)、幕府は九段坂下に洋学研究所を設け、まもなく蕃書調所と改称しました。 蕃書調所の開所から約2年後、現在の山口県山口市出身で、新…

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蕃書調所跡

呼坂宿駅本陣跡

関戸(岩国)、玖珂、椙杜、今市に次ぐ近世山陽道の宿駅です。

  • 岩国・柳井・周南エリア
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呼坂宿駅本陣跡

富永有隣の碑

維新の動乱期、数々の功績を残しながら自身の来歴を語ろうとせず、また、同志や門弟達が新政府の要職に就き脚光を浴びている時も、ひとり裏街道を歩き、隠遁と苦難の生活にあまんじた人物が富永有隣です。明治17年から生涯を閉じるまで、この場所で後進の指導にあた…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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富永有隣の碑

飢民の供養塔(大恩寺)

享保17年(1732年)、ウンカの異常発生によって西日本一帯は大凶作となり、庶民は飢えに苦しみました。ことに周防の国は悲惨で、備蓄用の倉を空にしてもなお手の施しようがなかったと言われています。飢民の供養塔は、この時の幾百人の餓死者を弔うためのものです。

  • 岩国・柳井・周南エリア
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飢民の供養塔(大恩寺)

吉田松陰東送の碑

【全体概要】安政6年(1859)5月25日午前9時ごろ、江戸幕府により東送を命ぜられた吉田松陰は、唐丸籠に乗り、食事ができる程度にゆるく手を縛られ、小雨の中萩を後にしました。途中、小休止をとった萩往還沿いの夏木原で、日本の現状を憂い、行く末を案じて詠んだ詩が…

  • 萩・長門エリア
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吉田松陰東送の碑
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