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旧萩藩御船倉
藩主の御座船や軍船を格納した御船倉
藩主の御座船(ござぶね)や軍船を格納した船倉で、浜崎重要伝統的建造物群保存地区に位置しています。明治以後の埋め立てにより、現在は河岸から離れたところに位置していますが、往時は松本川に面して船が自由に出入り出来る場所でした。屋根を葺いた旧藩時代の船倉…
- 萩・長門エリア

野谷の石風呂
1186年(文治2)ころ、俊乗房重源(しゅんじょうぼうちょうげん)が東大寺を建て直すための役割を担い、佐波郡の山中から多くの建築用材を奈良に送る仕事をしました。野谷の石風呂は、作業をする人たちの病気治療のために重源がつくった施設の一つです。石風呂は石を…
- 山口・防府エリア

御山神社経塚
御山神社経塚は阿武町惣郷にある経塚。築造は12世紀ごろと推定されています。経塚は、永く後世に伝えるため経典を経筒などに入れて地中に納め、塚を築いたもので、この経塚は、御山神社社務所横の土中より発見されました。
- 萩・長門エリア

周防灘干拓遺跡 高泊開作浜五挺唐樋
切石による精緻な樋の構造と技術に感嘆
高泊の浜五挺唐樋は、江戸時代における周防灘での干拓の実態を示す貴重な遺跡であり、また、切石による精緻な樋の構造は、当時の土木技術の到達点をよく示しています。高泊開作は、小野田の高泊湾を干拓したもので、1668年(寛文8)に完成。樋門は幅10.81m、総高6.18…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

旧小野田セメント製造株式会社竪窯
日本に完存する唯一のセメント焼成用竪窯
【全体概要】旧小野田セメント製造株式会社竪窯は、わが国最初のセメント焼成窯です。高さ9.6メートル、煉瓦を積み上げて作った竪窯で徳利の形に似ていることから、徳利窯(とっくりがま)と呼ばれています。国重要文化財。(平成16年12月10日指定)
- 下関・秋吉台・宇部エリア

大和屋政助の船蔵
江戸時代、富海浦は、旧山陽道の南方約18mのところに岸壁が広がっていました。記録によるとここでは、書状や小物、人を大阪へ運ぶ船頭二人乗りの飛船(とびふね)が頻繁に出入りし、「瀬戸内の飛脚船」として活躍したと残されています。当時、大和屋政助(やまとやま…
- 山口・防府エリア

萩焼深川古窯跡群
慶長5年(1600)の毛利輝元の萩移封に伴い、朝鮮の陶工 李勺光(りしゃっこう)の一統も安芸広島から萩に移住し、松本中ノ倉(現 萩市椿東)に窯を構築しました。萩焼は、輝元によりひらかれたこの藩窯「窯薪山御用焼物所」(かままきやまごようやきものしょ)(松本焼…
- 萩・長門エリア

萩往還(防府)
萩往還は、慶長9年(1604)の萩城築城後、その城下と三田尻(防府)をほぼ直線で結ぶ参勤交代道として開かれた陰陽連絡道で、全長およそ53キロメートルの街道。近世の民衆や維新の志士たちの交通路として重要な役割を果たしてきた古道です。防府市内の関連の遺跡として…
- 山口・防府エリア

奥阿武宰判勘場跡
【全体概要】勘場跡は、貞享4年(1687年)から明治11年の初めまでの200年間、奥阿武宰判の代官所として、むつみ村、阿東町、須佐町、田万川町、阿武町(奈古を除く)を統括し、政治・文化の中心地でした。現在は、敷地及び周辺の石組みが残っています。
- 萩・長門エリア

錦の御旗製作所跡
慶応3年(1867)討幕の勅命が下り、品川弥二郎は京都西陣で材料を購入し、ここにあった養蚕所の一室で御旗の製作にあたりました。ここで製作された錦の御旗が、鳥羽伏見の戦において官軍の陣頭に立てられました。
- 山口・防府エリア

岸見の石風呂
岸見の石風呂は、東大寺再建の用材を切り出した時の遺跡で、人夫の保養のため重源上人によって作られたものです。地元の花崗岩石を積み上げた幅4.4m、奥行3.6m、高さ1.8mの石室からなり、土間には石が敷きつめられており、石室は木造茅葺きの覆屋により保護されて…
- 山口・防府エリア

八幡隊結成の地
八幡隊は文久3年(1863)9月に堀真五郎を初代総督として八幡馬場で結成された隊です。総督には当初、久坂玄瑞が推されましたが、自由な身の振りを求めて辞退し、代わりに堀真五郎を就かせました。
- 山口・防府エリア

長門鋳銭所跡
長門鋳銭所跡は、覚苑寺境内一帯と考えられ、奈良・平安時代に銭貨の鋳造を行った所です。長門国衙に付設され、その開設は和同年間(708~715)で、史跡地内からは、708年(和銅1)から鋳造が開始された貨幣である和同開珎1枚と、それを作ったときの型、るつぼや鞴口な…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

毛利元就公歯廟

津和野藩藩邸跡

萩焼古窯跡群
【全体概要】江戸時代初期、萩藩主である毛利家は、文禄・慶長の役(1592~98)で連れ帰った朝鮮人陶工に命じて松本村中の倉(現萩市椿東)に御用窯を開きました。御用窯はそののち大津郡深川村三ノ瀬(そうのせ・現長門市湯本)にも分かれたため、それぞれの窯品を「松…
- 萩・長門エリア

住吉神社の石造燈台
海上交通の安全を見守る「萩往還」関連史跡
萩藩の水軍の本拠地である御舟倉へ続く入川(いりかわ)の河口に、海上交通の安全を祈願するために、ささやかな祠が建てられ住吉大明神が祭られていたが、水軍の船頭らの願い出で、正徳(しょうとく)5年(1715)、住吉神社が創建されました。石造燈台は、その境内地に…
- 山口・防府エリア

悴坂一里塚

勝栄寺土塁及び旧境内
【全体概要】南北朝時代に陶弘政が創建した時宗寺院。南北朝時代の時宗寺院は、政治的、軍事的な性格を持ち、寺院でありながら城郭の機能を果たす例が多く、この時期に土累と環濠が設けられたと考えられています。県下における中世寺院城郭の唯一の例として貴重なもの…
- 岩国・柳井・周南エリア

吉田松陰東送の碑
【全体概要】安政6年(1859)5月25日午前9時ごろ、江戸幕府により東送を命ぜられた吉田松陰は、唐丸籠に乗り、食事ができる程度にゆるく手を縛られ、小雨の中萩を後にしました。途中、小休止をとった萩往還沿いの夏木原で、日本の現状を憂い、行く末を案じて詠んだ詩が…
- 萩・長門エリア








