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築山跡(大内氏遺跡)

八坂神社、築山神社の境内がその地で、大内氏別邸築山館の跡。築山館は80間四方を土塁で囲み、その外面は大石をたたみあげられていました。この土塁も天明3年頃(1783)西北の隅を残してくずされ、その土で庭園の池を埋めてしまったと伝えられています。

  • 山口・防府エリア
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築山跡(大内氏遺跡)

萩往還(防府)

萩往還は、慶長9年(1604)の萩城築城後、その城下と三田尻(防府)をほぼ直線で結ぶ参勤交代道として開かれた陰陽連絡道で、全長およそ53キロメートルの街道。近世の民衆や維新の志士たちの交通路として重要な役割を果たしてきた古道です。防府市内の関連の遺跡として…

  • 山口・防府エリア
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萩往還(防府)

奥阿武宰判勘場跡

【全体概要】勘場跡は、貞享4年(1687年)から明治11年の初めまでの200年間、奥阿武宰判の代官所として、むつみ村、阿東町、須佐町、田万川町、阿武町(奈古を除く)を統括し、政治・文化の中心地でした。現在は、敷地及び周辺の石組みが残っています。

  • 萩・長門エリア
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奥阿武宰判勘場跡

菊ケ浜土塁(女台場)

【全体概要】菊ケ浜の南側にあります。文久・元治の頃、萩の沖合にも黒船が出没した際、海防のために築造した砲塁です。

  • 萩・長門エリア
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菊ケ浜土塁(女台場)

勝栄寺土塁及び旧境内

【全体概要】南北朝時代に陶弘政が創建した時宗寺院。南北朝時代の時宗寺院は、政治的、軍事的な性格を持ち、寺院でありながら城郭の機能を果たす例が多く、この時期に土累と環濠が設けられたと考えられています。県下における中世寺院城郭の唯一の例として貴重なもの…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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勝栄寺土塁及び旧境内

金麗社

祭神は菅原道真、旧称天満宮。1865年、藩政府軍と諸隊が大田・絵堂で戦った際に、諸隊の本陣が置かれたところです。境内には、その時の戦利品や多くの石碑があります。

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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金麗社

大和屋政助の船蔵

江戸時代、富海浦は、旧山陽道の南方約18mのところに岸壁が広がっていました。記録によるとここでは、書状や小物、人を大阪へ運ぶ船頭二人乗りの飛船(とびふね)が頻繁に出入りし、「瀬戸内の飛脚船」として活躍したと残されています。当時、大和屋政助(やまとやま…

  • 山口・防府エリア
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大和屋政助の船蔵

一ノ瀬城跡

防長の地に大内、厚東、豊田の三氏鼎立の時代があり、一ノ瀬城はその豊田氏の本城で、東麓広畑の地が居館跡です。現在は「豊田大領豊田氏館跡」の碑が立つのみとなっています。

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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一ノ瀬城跡

日置峠山の須恵器窯跡

傾斜面を堀り抜いた「地下式登窯」で、奈良時代のものと推定されます。この種の窯跡が山口県の山陰地方で発見されるのは珍しく、価値の高い史跡です。

  • 萩・長門エリア
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日置峠山の須恵器窯跡

津和野藩藩邸跡

旧藩主亀井氏の邸宅跡。建物のあった部分は高校に、庭園部分が嘉楽園として公開されています。

  • 山口・防府エリア
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津和野藩藩邸跡

吉田松陰詩碑

上関大橋のたもと、松陰ゆかりの砲台場があった地に建てられた…

嘉永6年(1853)2月に吉田松陰が江戸へ行く途中、室津の日和山の砲台場を見学しました。同年10月、浦賀で黒船を見た松陰は、長崎にロシア船が来航したことを知り、密航して外国へ行くために船に乗ろうと長崎に向かう途中、ここ室津に寄り歌を詠みました。詩碑は松陰ゆ…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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吉田松陰詩碑

吉田松陰防長路惜別の地

吉田松陰の歌碑が建っています。安政の大獄で、幕府の召喚をうけた吉田松陰が籠で護送される途中、広島県との境である小瀬川に差し掛かかった際、防長二州と最後の別れを覚悟して惜別の歌を詠みました。現在、小瀬川にはこの歌を刻んだ吉田松陰歌碑が建てられています…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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吉田松陰防長路惜別の地

旧萩藩御船倉

藩主の御座船や軍船を格納した御船倉

藩主の御座船(ござぶね)や軍船を格納した船倉で、浜崎重要伝統的建造物群保存地区に位置しています。明治以後の埋め立てにより、現在は河岸から離れたところに位置していますが、往時は松本川に面して船が自由に出入り出来る場所でした。屋根を葺いた旧藩時代の船倉…

  • 萩・長門エリア
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旧萩藩御船倉

周防鋳銭司跡

最初に銭貨が鋳造された708年から平安時代初期にかけて、鋳銭の事業の大部分が、この鋳銭司で行われました。9世紀中頃まで鋳造していたが、いつの間にか廃絶しました。

  • 山口・防府エリア
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周防鋳銭司跡

吉田松陰と寺嶋忠三郎訣別の地

【全体概要】安政6年(1859)吉田松陰が萩の野山嶽から江戸に護送される途中、弟子の寺嶋忠三郎と師が無言の別れを告げた場所です。 師弟それぞれの思いを詠んだ歌碑が建てられています。(周南市指定文化財)

  • 岩国・柳井・周南エリア
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吉田松陰と寺嶋忠三郎訣別の地

大内氏遺跡附凌雲寺跡

吉敷中尾の高台に高さ3m、厚さ2mの石垣があり、凌雲寺総門の遺構といわれています。大内氏30代当主義興の墓があります。

  • 山口・防府エリア
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大内氏遺跡附凌雲寺跡

大村益次郎医学記念碑

江戸時代、ここには長州藩の獄舎と処刑場がありました。大村益次郎がここで処刑された女囚の解剖を行い、藩の医学校山口好生堂の生徒に見学させ、講義をしました。近代医学黎明の地として記念碑が建てられています。

  • 山口・防府エリア
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大村益次郎医学記念碑

脱隊諸士招魂の碑

脱退諸士を慰霊する招魂碑

1869(明治2)年、藩政府は奇兵隊を含む諸隊を再編する兵制改革を行いました。これを不服とした約2千人の隊士が内乱を起こし、鎮圧され、首謀者らはこの地で処刑斬首されました。その霊を弔うため招魂碑が建てられました。 

  • 山口・防府エリア
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脱隊諸士招魂の碑

明倫館遺構聖廟(海潮寺)

【全体概要】海潮寺本堂は、藩校明倫館の聖廟堂を移築したもの。聖廟は、市指定有形文化財(建造物)に指定されています。

  • 萩・長門エリア
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明倫館遺構聖廟(海潮寺)

やげん谷一里塚

【全体概要】江戸時代、街道沿いに造られた一里塚の一つ。

  • 岩国・柳井・周南エリア
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やげん谷一里塚