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大村益次郎医学記念碑
江戸時代、ここには長州藩の獄舎と処刑場がありました。大村益次郎がここで処刑された女囚の解剖を行い、藩の医学校山口好生堂の生徒に見学させ、講義をしました。近代医学黎明の地として記念碑が建てられています。
- 山口・防府エリア

立石孫一郎の碑
第二奇兵隊幹部の立石孫一郎は、倒幕を急ぐあまり仲間を引き連れて隊を脱走し、倉敷代官所などを襲撃しました。その後、幕軍に追われることとなり、慶応2年(1866年)藩命に背いたとされ千歳橋の橋上で暗殺されました。その場所の近くに、石碑と小さな祠が建てら…
- 岩国・柳井・周南エリア

旧萩藩御船倉
藩主の御座船や軍船を格納した御船倉
藩主の御座船(ござぶね)や軍船を格納した船倉で、浜崎重要伝統的建造物群保存地区に位置しています。明治以後の埋め立てにより、現在は河岸から離れたところに位置していますが、往時は松本川に面して船が自由に出入り出来る場所でした。屋根を葺いた旧藩時代の船倉…
- 萩・長門エリア

野谷の石風呂
1186年(文治2)ころ、俊乗房重源(しゅんじょうぼうちょうげん)が東大寺を建て直すための役割を担い、佐波郡の山中から多くの建築用材を奈良に送る仕事をしました。野谷の石風呂は、作業をする人たちの病気治療のために重源がつくった施設の一つです。石風呂は石を…
- 山口・防府エリア

福原史跡公園
宇部の領主福原家は毛利藩の永代家老として、萩堀内の屋敷に暮らし、宇部の邸は御田屋(おたや:遠方の田地を経営するために設けた建物)と呼ばれていました。1976年(昭和51年)、市の史跡公園として開放された園内には、井戸跡、屋敷神、樹木が残存しています。表門…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

上関砲台跡(室津日和山、長島東山)
吉田松陰も訪れた、上関海峡の両端に備えられた江戸末期の砲台
江戸末期、毛利藩は外敵からの防衛の為に要所に砲台を築造。上関海峡の両端(室津日和山、長島瀬戸東山)の丘にも砲台が築かれ大砲が備え付けられました。嘉永6年(1853)2月に吉田松陰が江戸へ行く途中、室津の日和山の砲台場を見学しました。慶応二年(1866年)四境…
- 岩国・柳井・周南エリア

向山文庫跡
清水家の家老だった難波家の土蔵。清水親知の遺品と自家の蔵書が残っており,明治39年(1906)には村民にも一般開放していた。昭和51年(1976),光市史跡に指定された。
- 岩国・柳井・周南エリア

三田尻御舟倉跡
毛利水軍の根拠地で往時をしのぶ
三田尻の御舟倉は、萩藩の水軍の根拠地でした。藩主の御座船や軍船が常置され、船の建造や修理も行われました。また周辺には関係者の住宅があり、それにちなんだ地名が今日も残っています。現在では通堀、これに通じる船入水路の一部を残すのみです。また、下関の功山…
- 山口・防府エリア

長門鋳銭所跡
長門鋳銭所跡は、覚苑寺境内一帯と考えられ、奈良・平安時代に銭貨の鋳造を行った所です。長門国衙に付設され、その開設は和同年間(708~715)で、史跡地内からは、708年(和銅1)から鋳造が開始された貨幣である和同開珎1枚と、それを作ったときの型、るつぼや鞴口な…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

悴坂一里塚

奥阿武宰判勘場跡
【全体概要】勘場跡は、貞享4年(1687年)から明治11年の初めまでの200年間、奥阿武宰判の代官所として、むつみ村、阿東町、須佐町、田万川町、阿武町(奈古を除く)を統括し、政治・文化の中心地でした。現在は、敷地及び周辺の石組みが残っています。
- 萩・長門エリア

明倫館遺構聖廟(海潮寺)

勝栄寺土塁及び旧境内
【全体概要】南北朝時代に陶弘政が創建した時宗寺院。南北朝時代の時宗寺院は、政治的、軍事的な性格を持ち、寺院でありながら城郭の機能を果たす例が多く、この時期に土累と環濠が設けられたと考えられています。県下における中世寺院城郭の唯一の例として貴重なもの…
- 岩国・柳井・周南エリア

萩往還(防府)
萩往還は、慶長9年(1604)の萩城築城後、その城下と三田尻(防府)をほぼ直線で結ぶ参勤交代道として開かれた陰陽連絡道で、全長およそ53キロメートルの街道。近世の民衆や維新の志士たちの交通路として重要な役割を果たしてきた古道です。防府市内の関連の遺跡として…
- 山口・防府エリア

津和野藩藩邸跡

御山神社経塚
御山神社経塚は阿武町惣郷にある経塚。築造は12世紀ごろと推定されています。経塚は、永く後世に伝えるため経典を経筒などに入れて地中に納め、塚を築いたもので、この経塚は、御山神社社務所横の土中より発見されました。
- 萩・長門エリア

岸見の石風呂
岸見の石風呂は、東大寺再建の用材を切り出した時の遺跡で、人夫の保養のため重源上人によって作られたものです。地元の花崗岩石を積み上げた幅4.4m、奥行3.6m、高さ1.8mの石室からなり、土間には石が敷きつめられており、石室は木造茅葺きの覆屋により保護されて…
- 山口・防府エリア

一ノ瀬城跡
防長の地に大内、厚東、豊田の三氏鼎立の時代があり、一ノ瀬城はその豊田氏の本城で、東麓広畑の地が居館跡です。現在は「豊田大領豊田氏館跡」の碑が立つのみとなっています。
- 下関・秋吉台・宇部エリア

皇典講究所跡
【施設概要】皇典講究所は、明治15年に当時の麹町区飯田町(現在の千代田区飯田橋)に設立されました。 その後、明治22年に山田顕義を筆頭発起人として日本法律学校が開設され、また山田はさらに明治23年には皇典講究所の事業を拡張し、日本文化を研究するため…
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周布政之助の碑
【全体概要】周布は藩政の主導権を幕府の考え方に従おうとする俗論等に奪われた責任を取り、自刃しました。その場所の近くに功績を伝える碑が建っています。
- 山口・防府エリア








