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日置峠山の須恵器窯跡

向山文庫跡
清水家の家老だった難波家の土蔵。清水親知の遺品と自家の蔵書が残っており,明治39年(1906)には村民にも一般開放していた。昭和51年(1976),光市史跡に指定された。
- 岩国・柳井・周南エリア

周防鋳銭司跡
最初に銭貨が鋳造された708年から平安時代初期にかけて、鋳銭の事業の大部分が、この鋳銭司で行われました。9世紀中頃まで鋳造していたが、いつの間にか廃絶しました。
- 山口・防府エリア

乙女峠 マリア聖堂
キリシタン殉教の悲話を伝える、聖母マリアが降臨の聖地
キリスト教が厳禁だった明治初期に長崎浦上から多くの隠れキリシタンが流人として送られ、殉教した信者は37人にも及びました。マリア聖堂は、殉教者を追悼するため昭和26年に建立され、聖堂内のステンドグラスには殉教物語が描かれています。また、聖母マリアが降臨さ…
- 山口・防府エリア

吉田松陰東送の碑
【全体概要】安政6年(1859)5月25日午前9時ごろ、江戸幕府により東送を命ぜられた吉田松陰は、唐丸籠に乗り、食事ができる程度にゆるく手を縛られ、小雨の中萩を後にしました。途中、小休止をとった萩往還沿いの夏木原で、日本の現状を憂い、行く末を案じて詠んだ詩が…
- 萩・長門エリア

勝栄寺土塁及び旧境内
【全体概要】南北朝時代に陶弘政が創建した時宗寺院。南北朝時代の時宗寺院は、政治的、軍事的な性格を持ち、寺院でありながら城郭の機能を果たす例が多く、この時期に土累と環濠が設けられたと考えられています。県下における中世寺院城郭の唯一の例として貴重なもの…
- 岩国・柳井・周南エリア

野谷の石風呂
1186年(文治2)ころ、俊乗房重源(しゅんじょうぼうちょうげん)が東大寺を建て直すための役割を担い、佐波郡の山中から多くの建築用材を奈良に送る仕事をしました。野谷の石風呂は、作業をする人たちの病気治療のために重源がつくった施設の一つです。石風呂は石を…
- 山口・防府エリア

赤禰武人処刑場の碑

〜萩藩主ゆかりの「英雲荘」で歴史に浸る〜特別昼食『お殿様・…
江戸時代、萩藩主が休泊所として利用した公館「英雲荘」。江戸から大正へと続く歴史の面影を色濃く残すこの国指定史跡を拝観し、優雅な昼食のひとときを過ごす特別なプランです。最大の魅力は、通常は飲食が制限されている歴史的空間で、特別にお食事ができること。か…
- 山口・防府エリア

英雲荘で檜皮葺コースター・アートフレーム作り体験 ~英雲荘…
英雲荘や山口市・五重塔の屋根に使われている<檜皮葺の屋根葺き>を英雲荘で疑似体験します。檜皮葺と同じピッチで7段ほど檜皮を貼り付けます。コースターにするため、皮の厚みを考慮し高さ調節します。皮の表裏の色の違いを生かしたパターンにするなど、個人の好み…
- 山口・防府エリア

寺島忠三郎関連史跡
寺嶋忠三郎は、天保14年(1843)近習寺嶋太治郎の二男として生まれました。16才で松下村塾に入り吉田松陰の弟子となり、尊王攘夷運動に尽くしましたが、禁門の変に際して久坂玄瑞とともに自刃しました。顕彰碑と辞世の碑が建てられています。
- 岩国・柳井・周南エリア

吉田松陰と寺嶋忠三郎訣別の地
【全体概要】安政6年(1859)吉田松陰が萩の野山嶽から江戸に護送される途中、弟子の寺嶋忠三郎と師が無言の別れを告げた場所です。 師弟それぞれの思いを詠んだ歌碑が建てられています。(周南市指定文化財)
- 岩国・柳井・周南エリア

須佐唐津古窯跡群
【全体概要】須佐唐津古窯跡群は、須佐湾から南東へ約3.8㎞入った犬鳴山の北麓にあり、古くから須佐唐津窯とよばれる三基の登窯(のぼりがま=斜面につくって効率よく熱が行き渡るようにしたもの)と、これに付随する地域からなります。窯が築かれた年代は不明である…
- 萩・長門エリア

長門鋳銭所跡
長門鋳銭所跡は、覚苑寺境内一帯と考えられ、奈良・平安時代に銭貨の鋳造を行った所です。長門国衙に付設され、その開設は和同年間(708~715)で、史跡地内からは、708年(和銅1)から鋳造が開始された貨幣である和同開珎1枚と、それを作ったときの型、るつぼや鞴口な…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

四境の役大島口戦跡碑

大和屋政助の船蔵
江戸時代、富海浦は、旧山陽道の南方約18mのところに岸壁が広がっていました。記録によるとここでは、書状や小物、人を大阪へ運ぶ船頭二人乗りの飛船(とびふね)が頻繁に出入りし、「瀬戸内の飛脚船」として活躍したと残されています。当時、大和屋政助(やまとやま…
- 山口・防府エリア

萩往還(防府)
萩往還は、慶長9年(1604)の萩城築城後、その城下と三田尻(防府)をほぼ直線で結ぶ参勤交代道として開かれた陰陽連絡道で、全長およそ53キロメートルの街道。近世の民衆や維新の志士たちの交通路として重要な役割を果たしてきた古道です。防府市内の関連の遺跡として…
- 山口・防府エリア

脱隊諸士招魂の碑
脱退諸士を慰霊する招魂碑
1869(明治2)年、藩政府は奇兵隊を含む諸隊を再編する兵制改革を行いました。これを不服とした約2千人の隊士が内乱を起こし、鎮圧され、首謀者らはこの地で処刑斬首されました。その霊を弔うため招魂碑が建てられました。
- 山口・防府エリア

伊藤井上両公上陸の碑
文久3年(1863年)、「長州ファイブ」の一員としてイギリスにいた伊藤博文、井上馨は、英米仏蘭の4ヶ国連合艦隊が下関を攻撃するとの情報に接し、英国留学を中断して帰国の途につきました。両名は、元治元年(1864年)6月24日に富海に上陸し、飛船問屋入本屋磯七の宅…
- 山口・防府エリア

周布政之助の碑
【全体概要】周布は藩政の主導権を幕府の考え方に従おうとする俗論等に奪われた責任を取り、自刃しました。その場所の近くに功績を伝える碑が建っています。
- 山口・防府エリア








