江戸時代、富海浦は、旧山陽道の南方約18mのところに岸壁が広がっていました。記録によるとここでは、書状や小物、人を大阪へ運ぶ船頭二人乗りの飛船(とびふね)が頻繁に出入りし、「瀬戸内の飛脚船」として活躍したと残されています。
当時、大和屋政助(やまとやまさすけ)の船蔵のような独特な構造の建物がこの通りに連なり、船から雁木(石段)を上って直接家に入ることができたと言われています。
大和屋は屋号で、本名は清水与兵衛。幕末、勤皇の志士の活動を援助し、また、船による長州隊員の輸送などに尽力しました。
文久3年(1863年)9月には、長州を頼って京都から落ち延びた中山忠光卿(明治天皇の叔父)を、改造した二階の土蔵にしばらく匿いました。
元治元年(1864年)11月には、俗論派に追われた高杉晋作が、萩から山越えで徳地を通って富海まで脱出し、大和屋政助を頼りました。政助はすぐに、飛船(とびぶね)に晋作を乗せ、暴風雨の中を夜の間に下関まで送りました。翌朝には、追っ手が富海に来て、危機一髪であったと伝えられています。
飛船は、荒天時にも危険を顧みず”勤王の志士”たちを運び、明治維新に多大な貢献をしました。
基本情報
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