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花岡勘場跡地

花岡勘場跡地は、萩藩創建期の頃に設置された都濃宰判(代官所)の跡地です。代官は年3回春秋冬に萩から出張して重要な決裁を行っていました。日頃は大庄屋が出勤して代官の代わりを務めていたといいます。付近には、御茶屋(本陣)・御番所・高札場などがあり、花岡…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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花岡勘場跡地

周布政之助の碑

【全体概要】周布は藩政の主導権を幕府の考え方に従おうとする俗論等に奪われた責任を取り、自刃しました。その場所の近くに功績を伝える碑が建っています。

  • 山口・防府エリア
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周布政之助の碑

向山文庫跡

清水家の家老だった難波家の土蔵。清水親知の遺品と自家の蔵書が残っており,明治39年(1906)には村民にも一般開放していた。昭和51年(1976),光市史跡に指定された。

  • 岩国・柳井・周南エリア
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向山文庫跡

吉田松陰東送の碑

【全体概要】安政6年(1859)5月25日午前9時ごろ、江戸幕府により東送を命ぜられた吉田松陰は、唐丸籠に乗り、食事ができる程度にゆるく手を縛られ、小雨の中萩を後にしました。途中、小休止をとった萩往還沿いの夏木原で、日本の現状を憂い、行く末を案じて詠んだ詩が…

  • 萩・長門エリア
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吉田松陰東送の碑

悴坂一里塚

【全体概要】萩唐樋の札場から最初の一里の地点に所在。

  • 萩・長門エリア
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悴坂一里塚

明倫館遺構聖廟(海潮寺)

【全体概要】海潮寺本堂は、藩校明倫館の聖廟堂を移築したもの。聖廟は、市指定有形文化財(建造物)に指定されています。

  • 萩・長門エリア
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明倫館遺構聖廟(海潮寺)

菊ケ浜土塁(女台場)

【全体概要】菊ケ浜の南側にあります。文久・元治の頃、萩の沖合にも黒船が出没した際、海防のために築造した砲塁です。

  • 萩・長門エリア
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菊ケ浜土塁(女台場)

やげん谷一里塚

【全体概要】江戸時代、街道沿いに造られた一里塚の一つ。

  • 岩国・柳井・周南エリア
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やげん谷一里塚

富永有隣の碑

維新の動乱期、数々の功績を残しながら自身の来歴を語ろうとせず、また、同志や門弟達が新政府の要職に就き脚光を浴びている時も、ひとり裏街道を歩き、隠遁と苦難の生活にあまんじた人物が富永有隣です。明治17年から生涯を閉じるまで、この場所で後進の指導にあた…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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富永有隣の碑

赤崎神社 楽桟敷・楽踊

赤崎山の北東斜面にある自然にできたすり鉢状の地形を巧みに利用した野外劇場。谷底の踊庭(おどりにわ)で奉納される「楽踊」「南条踊」「芝居」などを観覧する場として整備されました。階段状の桟敷は「高桟敷」と呼ばれ、一段の石積みの高さは90~170㎝。踊庭は「…

  • 萩・長門エリア
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赤崎神社 楽桟敷・楽踊

四境の役大島口戦跡碑

この戦いに破れた幕府軍は、翌年大政を奉還しました。

  • 岩国・柳井・周南エリア
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四境の役大島口戦跡碑

国司親相幽閉賜剣之地

【全体概要】本藩三家老の一人国司親相が幽閉され切腹した澄泉寺跡。(碑は御弓町公園内へ移設)

  • 岩国・柳井・周南エリア
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国司親相幽閉賜剣之地

住吉神社の石造燈台

海上交通の安全を見守る「萩往還」関連史跡

萩藩の水軍の本拠地である御舟倉へ続く入川(いりかわ)の河口に、海上交通の安全を祈願するために、ささやかな祠が建てられ住吉大明神が祭られていたが、水軍の船頭らの願い出で、正徳(しょうとく)5年(1715)、住吉神社が創建されました。石造燈台は、その境内地に…

  • 山口・防府エリア
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住吉神社の石造燈台

五卿登陸処

文久3年(1863)の「八・一八の政変」後、勤王派の7人の公卿が京都を追われ、3隻の船に分乗して兵庫を船出して長州に向かいました。1番船には三条実美、2番船には三条西季知・壬生基修・四条隆謌・錦小路頼徳、3番船には東久世通禧・沢宣嘉が乗り込みました。3隻とも…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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五卿登陸処

日置峠山の須恵器窯跡

傾斜面を堀り抜いた「地下式登窯」で、奈良時代のものと推定されます。この種の窯跡が山口県の山陰地方で発見されるのは珍しく、価値の高い史跡です。

  • 萩・長門エリア
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日置峠山の須恵器窯跡

毛利元就公歯廟

2基の宝篋印塔。毛利元政が、父元就の33回忌に元就の歯をお墓に納めたものです。

  • 岩国・柳井・周南エリア
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毛利元就公歯廟

福川本陣跡

【全体概要】福川本陣は、初めは藩主の領内巡視や参勤交代などの休憩所であったが、享保6年(1721)幕府の参勤交代における随行員制限令が発せられ、山陽道においても海路から陸路による通行が激増し、幕府の要人や西国大名などの宿泊や休憩の場所を提供する重要な宿…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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福川本陣跡

吉田松陰詩碑

嘉永6年(1853)2月に吉田松陰が江戸へ行く途中、室津の日和山の砲台場を見学しました。同年10月、浦賀で黒船を見た松陰は、長崎にロシア船が来航したことを知り、密航して外国へ行くために船に乗ろうと長崎に向かう途中、ここ室津に寄り歌を詠みました。詩碑は松陰ゆ…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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吉田松陰詩碑

皇典講究所跡

【施設概要】皇典講究所は、明治15年に当時の麹町区飯田町(現在の千代田区飯田橋)に設立されました。 その後、明治22年に山田顕義を筆頭発起人として日本法律学校が開設され、また山田はさらに明治23年には皇典講究所の事業を拡張し、日本文化を研究するため…

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皇典講究所跡

吉田松陰と寺嶋忠三郎訣別の地

【全体概要】安政6年(1859)吉田松陰が萩の野山嶽から江戸に護送される途中、弟子の寺嶋忠三郎と師が無言の別れを告げた場所です。 師弟それぞれの思いを詠んだ歌碑が建てられています。(周南市指定文化財)

  • 岩国・柳井・周南エリア
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吉田松陰と寺嶋忠三郎訣別の地