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潮音洞
平成の名水百選に選ばれた人工水路
漢陽寺本堂裏にある灌漑用随道。江戸時代に造られた水路用のトンネルです。 藩政時代最初の水利工事の遺跡で、この人工水路の取水口から洞入口まで270m、洞の長さ88m。これによって周囲の耕作地を大いに潤したといわれています。平成20年6月に潮音洞と清流通り…
- 岩国・柳井・周南エリア

松陰神社
令和7年に世界文化遺産登録10周年
明治40年(1907)に創建された、吉田松陰を祭神とする神社。松下村塾、吉田松陰幽囚ノ旧宅が「明治日本の産業革命遺産」として、平成27年7月に世界文化遺産登録。
- 萩・長門エリア

十朋亭維新館
明治維新への扉を開いた「維新策源の地 山口」の歴史にふれる…
十朋亭は、代々醤油製造を業とする萬代家の離れとして建てられました。幕末期に長州藩主毛利敬親が、萩から山口へ藩庁を移した際、藩の役人たちの宿舎として利用されました。当主・萬代利兵衛が志士達の活動を援護していたことから、多くの来客があったと伝えられ、桂…
- 山口・防府エリア

萩反射炉修理現場見学ツアー
塔体部など、通常見ることができない角度から反射炉が見れる。
萩反射炉修理調査期間中に足場台を設置し、この機会を利用した、観光客向けの見学ツアーを実施。タイミングが良ければ、足場台からJR列車が見れるかも。(実施期日・日にち:未定(調査期間中に複数回実施予定))
- 萩・長門エリア

築山跡(大内氏遺跡)
八坂神社、築山神社の境内がその地で、大内氏別邸築山館の跡。築山館は80間四方を土塁で囲み、その外面は大石をたたみあげられていました。この土塁も天明3年頃(1783)西北の隅を残してくずされ、その土で庭園の池を埋めてしまったと伝えられています。
- 山口・防府エリア

藩校養老館
津和野を支えた偉人を輩出した教育機関
津和野藩校「養老館」は、津和野8代藩主亀井矩賢によって天明6年(1786)に創設され、嘉永6年(1853)の大火後の安政年間に殿町に現在みることのできる建物が移設新築されました。現在残されている校舎「武術棟」(槍術教場、剣術教場)と土蔵「御書物蔵」の2棟、そし…
- 山口・防府エリア

萩反射炉

佐波川関水
【みどころ】1186年(文治2)、東大寺を建て直す役割を担った俊乗房重源(しゅんじょうぼうちょうげん)は、佐波郡の山で木を切りだし、佐波川をつかって海まで流し、奈良へと送りました。このとき、川底が浅く木を流しにくいところでは、川をせきとめて水位をあげ、 …
- 山口・防府エリア

三田尻御舟倉跡
毛利水軍の根拠地で往時をしのぶ
三田尻の御舟倉は、萩藩の水軍の根拠地でした。藩主の御座船や軍船が常置され、船の建造や修理も行われました。また周辺には関係者の住宅があり、それにちなんだ地名が今日も残っています。現在では通堀、これに通じる船入水路の一部を残すのみです。また、下関の功山…
- 山口・防府エリア

福原史跡公園
宇部の領主福原家は毛利藩の永代家老として、萩堀内の屋敷に暮らし、宇部の邸は御田屋(おたや:遠方の田地を経営するために設けた建物)と呼ばれていました。1976年(昭和51年)、市の史跡公園として開放された園内には、井戸跡、屋敷神、樹木が残存しています。表門…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

旧萩藩御船倉
藩主の御座船や軍船を格納した御船倉
藩主の御座船(ござぶね)や軍船を格納した船倉で、浜崎重要伝統的建造物群保存地区に位置しています。明治以後の埋め立てにより、現在は河岸から離れたところに位置していますが、往時は松本川に面して船が自由に出入り出来る場所でした。屋根を葺いた旧藩時代の船倉…
- 萩・長門エリア

大田・絵堂戦跡記念碑
慶応元年(1865)1月、美東町の大田・絵堂を主戦地として、保守派の藩政府軍と、諸隊との戦いが始まりました。下関の功山寺で決起した高杉晋作に呼応した諸隊と、鎮圧しようとした藩政府軍とが対峙し、10日間の交戦で諸隊が勝利しました。現在、呑水、絵堂、川上の戦…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

岸見の石風呂
岸見の石風呂は、東大寺再建の用材を切り出した時の遺跡で、人夫の保養のため重源上人によって作られたものです。地元の花崗岩石を積み上げた幅4.4m、奥行3.6m、高さ1.8mの石室からなり、土間には石が敷きつめられており、石室は木造茅葺きの覆屋により保護されて…
- 山口・防府エリア

春帆楼
日清講和条約が締結された会場であり、「フグ食用禁止令」を伊藤博文が解禁した「ふぐ料理」の公許第1号店でもあります。「春帆楼」の名も伊藤博文の命名。隣接して日清講和記念館があり、条約締結の会場で使用された調度品や写真、資料などが公開、展示されています…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

野山獄・岩倉獄跡
萩藩の牢獄跡で、武士が野山獄、町人や農民は岩倉獄に入れられました。安政元年(1854)に海外密航に失敗した吉田松陰は野山獄、その時の従者金子重輔は岩倉獄に投ぜられました。野山獄跡には十一烈士の碑、岩倉獄には重輔絶命の詩碑と松陰が重輔に与えた詩碑が建てら…
- 萩・長門エリア

周防国衙跡
周防国衙跡は、周防国の行政を司る役所(国府)が置かれたところです。奈良時代から平安時代の役所が周辺一帯に広がっていたことが発掘調査でわかっています。政庁があったと推定されている場所は現在公園として整備されています。ここには明治の初めまで国庁寺という…
- 山口・防府エリア

土蔵相模跡
【施設概要】JR品川駅南側、線路と交わる八ツ山橋を渡ると、国道第一京浜の東側に平行する狭い街筋があります。ここが江戸時代、東海道で日本橋につぐ第一番目の宿場として旅籠百軒という繁栄をきわめた品川宿の跡です。 中でも酒楼相模屋は高級妓楼として知られ、…
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徳山毛利陣屋跡
【全体概要】毛利輝元の次男・就隆は、元和3年(1617)に都濃郡・熊毛郡内の三万石余りを領地として分け与えられ、慶安3年(1650)下松から交通の便に恵まれた野上村に館を移し、地名を「徳山」と改めました。その後、藩の改易・再興を経て、明治4年(1871)に山口…
- 岩国・柳井・周南エリア

萩焼深川古窯跡群
慶長5年(1600)の毛利輝元の萩移封に伴い、朝鮮の陶工 李勺光(りしゃっこう)の一統も安芸広島から萩に移住し、松本中ノ倉(現 萩市椿東)に窯を構築しました。萩焼は、輝元によりひらかれたこの藩窯「窯薪山御用焼物所」(かままきやまごようやきものしょ)(松本焼…
- 萩・長門エリア

周防灘干拓遺跡 高泊開作浜五挺唐樋
切石による精緻な樋の構造と技術に感嘆
高泊の浜五挺唐樋は、江戸時代における周防灘での干拓の実態を示す貴重な遺跡であり、また、切石による精緻な樋の構造は、当時の土木技術の到達点をよく示しています。高泊開作は、小野田の高泊湾を干拓したもので、1668年(寛文8)に完成。樋門は幅10.81m、総高6.18…
- 下関・秋吉台・宇部エリア
