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長州藩下屋敷跡
【施設概要】江戸時代初め、長州藩では江戸における屋敷が手狭になったため、幕府に願い出て寛永13年に麻布龍土町に新しい屋敷を拝領しました。 当初は27,000坪余りだった敷地は、後年には周辺の空き地も買い足して36,080坪にもなり、付近の山や谷まで…
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大楽寺
【全体概要】本堂奥の位牌堂には、幕末の勤皇歌人として有名な野村望東尼の位牌が祀られています。墓地には、幕末に萩藩主毛利敬親公の側近として活躍した後、群馬県の初代県令や明治天皇皇女である貞宮多喜子内親王の養育主任などを歴任した楫取素彦男爵の墓もありま…
- 山口・防府エリア

三田尻御茶屋(英雲荘)
歴史のロマンを感じる毛利のお茶屋
御茶屋とは、参勤交替や領内巡視の時の旅館として、また他藩の特使等をもてなす時などに使用していた藩の公館です。萩藩7代藩主で、防府の発展に尽力した毛利重就が隠居後にここに住みました。幕末には京都の政変の難を逃れた三条実美などの七卿をはじめ、志士たちが…
- 山口・防府エリア

遠石八幡宮
お正月には多くの人で賑わう
推古天皇の時代に宇佐八幡宮の分霊社として建立されました。下関壇ノ浦での源平合戦の前哨戦が行なわれた記録が古鐘に刻まれており、鐘は文化財に指定されています。
- 岩国・柳井・周南エリア

平家の一杯水
「壇ノ浦の戦いで深手を負い、命からがら岸に泳ぎ着いた平家の武将が水溜りを見つけ、飲んでみると真水だった。が、もう一口飲もうとしたら塩水になっており、その場で力尽きた」という伝説が残っているところです。碑の近くの渚に湧き出る清水には祠が建てられ、今も…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

土蔵相模跡
【施設概要】JR品川駅南側、線路と交わる八ツ山橋を渡ると、国道第一京浜の東側に平行する狭い街筋があります。ここが江戸時代、東海道で日本橋につぐ第一番目の宿場として旅籠百軒という繁栄をきわめた品川宿の跡です。 中でも酒楼相模屋は高級妓楼として知られ、…
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錦帯橋周辺定時コースガイド
ガイドの説明でより深い観光を
名勝 錦帯橋周辺をガイド付きで楽しむことができます。紅葉の時期には毎日ガイドを受け付けており季節を楽しめます。また、12月には錦帯橋周辺の展示施設を巡るガイド(1~2時間)も実施しています。錦帯橋の料金所にガイドが待機していますのでぜひお声がけくださ…
- 岩国・柳井・周南エリア

舟郡ダム展望台(青龍湖)
響灘と川棚平野を一望。アルフレッド・コルトーと種田山頭火が…
2001年、青龍湖(舟郡ダム)の完成によって、湖からつながる鬼ヶ城連山がまるで青龍の両腕となり、川棚平野と響灘に浮かぶ厚島を包み込んでいるように見えます。2002年4月に、誰もが憩える湖公園としてオープンしました。展望台から見える無人島「男島」(別名:孤留…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

御汗観音
天保3年,中島屋太郎右衛門,桂掛比丘の2人が夢の中で観世音のお告げをきき,鹿水山中から掘り出し安置したものと伝えられ,観音像が常に濡れているところから御汗観音と呼ばれている。
- 岩国・柳井・周南エリア

常満寺の大イチョウ
常満寺を開いたのは、平氏の武将佐原十郎盛光(1293年没)といわれ、1727年(享保12)火災に遭い、1739年(元文4)この地に移転しました。本堂前にある大イチョウは、根元の周囲約10m、目の高さの幹周り6m、高さ約30mの雌樹です。
- 岩国・柳井・周南エリア

大村益次郎墓
大村益次郎は、1825年(文政8)吉敷郡鋳銭司村(現山口市鋳銭司)の医家に生まれ、蘭学・医学を学び、兵学をもって萩藩に仕えました。四境戦争(1866年(慶応2))では、優れた戦術をもって幕府軍を破り、討幕の機を早め、戊辰の役にも参謀として活躍。明治維新後は軍…
- 山口・防府エリア

室津
江戸時代漁港として使われた静かな港町で、海岸から一筋山側に入った細い通りに沿って古い家並みが残っています。また南側の斜面地に建てられた集落は、昔の漁村らしい雰囲気を伝えています。
- 岩国・柳井・周南エリア

旧萩藩校明倫館
萩藩の教育や人材育成の中枢を担った「藩校明倫館」。その跡地に建築され、国の登録有形文化財に登録された本館を含む旧明倫小学校の日本最大級の木造校舎群を改修整備し、萩の新たな観光施設となっています。長州藩の藩校跡で、亨保4年(1719)毛利吉元が城内三の丸…
- 萩・長門エリア

岩崎寺
平安時代中期~鎌倉時代初期の仏像が安置
【全体概要】「注進案」によれば坂上田村麻呂の創建、本尊は弘法大師作。境内の観音堂には、1年に1度だけ開帳される千手観音や釈迦如来など藤原期の仏像7駆が安置されています。県指定文化財。(昭和58年4月5日指定)
- 下関・秋吉台・宇部エリア

雲谷庵跡
天花の七尾山麓にあります。ここは中世の画聖雪舟のアトリエがあったところです。雪舟は大内氏の招きにより40歳頃に山口に来て、48歳の応仁元年(1467)に遣明船に乗り中国に渡りました。帰国後も雲谷庵に住み作画活動と弟子の養成につとめましたが、永正3年(1506)…
- 山口・防府エリア

吉田松陰誕生地
吉田松陰松陰が生まれ育った地から、萩市内を一望。
吉田松陰は、天保元年(1830)に家禄26石 萩藩士 杉百合之助の次男としてこの地で誕生し19歳頃までを過ごしました。萩市内を一望できる「団子岩」とよばれる高台にあり、風光明媚な場所です。誕生地そばには吉田松陰・金子重輔の銅像があり、海外密航を企てた松陰先生と…
- 萩・長門エリア

久坂玄瑞誕生地

野山獄・岩倉獄跡
萩藩の牢獄跡で、武士が野山獄、町人や農民は岩倉獄に入れられました。安政元年(1854)に海外密航に失敗した吉田松陰は野山獄、その時の従者金子重輔は岩倉獄に投ぜられました。野山獄跡には十一烈士の碑、岩倉獄には重輔絶命の詩碑と松陰が重輔に与えた詩碑が建てら…
- 萩・長門エリア

一升谷の石畳(萩往還)
江戸時代の面影が残る石畳
萩往還の一升谷は、明木から釿切(ちょうのぎり)間の約2km、標高差約300mの坂道で、昔から、あまりに急な坂道のために、「一升の炒り豆を食べながら歩くと、坂を登りきるまでにちょうど食べつくしてしまう」ことから、このように呼ばれていたといわれています。幅約…
- 萩・長門エリア

宇津観音堂
日本海にそびえたつ断崖絶壁と弘法大師の正観音
見島の宇津観音堂には、全国3か所にあるといわれ、弘法大師が彫られたといわれる正観音が祭られています。御利益が多いといわれ、四国や九州からも参拝があります。お堂は赤褐色の火山噴出物の断崖に立っていますが、観音崎の断崖絶壁と日本海は素晴らしい眺めです。
- 萩・長門エリア








