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周布政之助の碑

【全体概要】周布は藩政の主導権を幕府の考え方に従おうとする俗論等に奪われた責任を取り、自刃しました。その場所の近くに功績を伝える碑が建っています。

  • 山口・防府エリア
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周布政之助の碑

朝倉八幡宮

【全体概要】幕末、山口に落ち延びてきた三条実美ら七卿が湯田に滞在していたとき、尊皇攘夷の祈願のため朝倉八幡宮に度々参拝しました。

  • 山口・防府エリア
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朝倉八幡宮

鷹司邸跡

【全体概要】蛤御門の変(元治元(1864)年)の際、長州藩兵が立て籠もり、長州藩兵が放った火で邸宅が燃え盛るなか、久坂玄瑞らが自ら命を絶った。

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鷹司邸跡

円応寺

昔話「三年寝太郎」の寝太郎伝説が今も伝わる

ものぐさで毎日寝てばかりいた若者の話寝太郎伝説が今も伝わる当地には,寝太郎権現のお社と,500年前のものともいわれる「寝太郎稲荷木像」がある。

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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円応寺

大内氷上古墳

大内氷上古墳は、5世紀頃に山口市大内御堀の地に築かれた小型の前方後円墳。大内盆地の首長の墓である墳丘の内部には、後円部中央に竪穴式石室があります。

  • 山口・防府エリア
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大内氷上古墳

吉田松陰詩碑

嘉永6年(1853)2月に吉田松陰が江戸へ行く途中、室津の日和山の砲台場を見学しました。同年10月、浦賀で黒船を見た松陰は、長崎にロシア船が来航したことを知り、密航して外国へ行くために船に乗ろうと長崎に向かう途中、ここ室津に寄り歌を詠みました。詩碑は松陰ゆ…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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吉田松陰詩碑

春日神社

重要伝統建造物群保存地区である堀内地区の一角にある春日神社は、奈良市の春日大社が本社で、県北部有数の古社です。神社前の道には桜並木があり、3月下旬~4月上旬ごろにはお花見が楽しめます。

  • 萩・長門エリア
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春日神社

長寿寺(十三重塔)

【全体概要】十三塔は、“抜け寺”の名で親しまれる長寿寺本堂に向かって左側にあり、花崗岩製で相輪は失っているが、他は当初のまま残っています。高さは相輪を除き5.45mあり、実に堂々とした石塔です。下層の軒の一辺は1.17m、最上層の軒の一辺は0.75m…

  • 萩・長門エリア
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長寿寺(十三重塔)

柳井市町並み資料館

建物は明治40年に建てられたものをそのまま利用しており、石造りのレトロな外観は、当時の銀行独特の重厚な姿を今に伝えます。1階は町並みの模型を展示するほか、観光案内所が設置され、2階は名誉市民で、歌謡界に足跡を残した、松島詩子記念館として整備されていま…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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柳井市町並み資料館

永太院

永太院は津和野城主の墓もある由緒あるお寺です。春には境内のしだれ桜がとてもきれいに咲き乱れ、隠れた観光スポットになっています。

  • 山口・防府エリア
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永太院

富永有隣の碑

維新の動乱期、数々の功績を残しながら自身の来歴を語ろうとせず、また、同志や門弟達が新政府の要職に就き脚光を浴びている時も、ひとり裏街道を歩き、隠遁と苦難の生活にあまんじた人物が富永有隣です。明治17年から生涯を閉じるまで、この場所で後進の指導にあた…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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富永有隣の碑

旧山中家住宅

昭和初期建ての典型的な浜崎の町家

旧山中家住宅は、昭和初期建ての典型的な浜崎の町家。浜崎伝建地区の中心部に位置し、浜崎本町筋から裏のとおりまで抜ける細長い敷地に、表から主屋、付属屋、土蔵が建ち並んでいます。これらはいずれも浜崎伝建地区の伝統的建造物(文化財)として特定されています。…

  • 萩・長門エリア
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旧山中家住宅

萩往還(山口)

萩往還は、慶長9年(1604)の萩城築城後、その城下と三田尻(防府)をほぼ直線で結ぶ参勤交代道として開かれた陰陽連絡道で、全長およそ53キロメートルの街道。近世の民衆や維新の志士たちの交通路としても重要な役割を果たしてきた古道です。山口市内の関連の遺跡として…

  • 山口・防府エリア
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萩往還(山口)

楫取素彦旧宅地

楫取素彦は1829年(文政12)、萩藩医松島瑞璠の次男として萩に生まれ、初め伊之助と称した。兄に洋学者の松島剛蔵がおり、12 歳の時に萩藩の儒者小田村吉平の養子となった。藩校明倫館で教授し、のち吉田松陰の妹寿と結婚して、松下村塾でも指導にあたった。四境戦争…

  • 萩・長門エリア
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楫取素彦旧宅地

常関寺

寛永5年(1628)、領主山内広通により建立。幕末期、奇兵隊の病院が置かれたところで、隊士8名の墓があります。本堂の背後に釈迦如来を中心に左右に文殊・普腎の二菩薩があり、そのまわりに表情豊かな16羅漢像が並んでいます。

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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常関寺

山田顕義旧宅跡

日本の「小ナポレオン」と言われた山田顕義の旧宅跡です。

  • 山口・防府エリア
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山田顕義旧宅跡

正護寺

臨済宗で山号を方松山といいます。この寺は、大内氏の一族右田氏から分れた、弘賢が13世紀末にこの陶の地を領し、地名を氏とし、陶氏を名乗るようになりました。陶弘賢はこの正護寺の前方の台地に屋形を築き、政務をとりました。現在屋形の土塁の一部が残っています。…

  • 山口・防府エリア
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正護寺

下横瀬公民館(旧明木村立図書館)

【全体概要】前身は旧明木村立図書館。全国初の村立図書館として建設されたが、昭和33年に現在地に移築し、地区公民館として使用されています。木造平屋建て44平方m。

  • 萩・長門エリア
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下横瀬公民館(旧明木村立図書館)

田中義一別邸

明治期には、夏みかん栽培を奨励した小幡高政がここに住み、大正期に田中義一の所有となり、母屋などの増改築が行われ、現在の建物となりました。邸内には肖像画をはじめ大将服などが義一ゆかりの物があり、一般公開されています。隣接して“かんきつ公園”…

  • 萩・長門エリア
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田中義一別邸

村田清風別宅跡

【全体概要】天保の改革の折、清風が藩政に携った25年間の別宅跡。

  • 萩・長門エリア
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村田清風別宅跡