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善福寺

室町時代に創建された寺。幕末の志士や著名な絵師の墓が残る

指月山善福寺は永享年間(1429~40)に指月山麓に創建された臨済宗の寺院で、毛利輝元の萩城築城のため、この地に移されました。天文19年(1550)大内義隆が寺領を保証した文書は「萩」の地名が書かれた最古の資料といわれています。竿の部分に人の形をした像が彫られ…

  • 萩・長門エリア
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善福寺

旧湯川家屋敷

藍場川沿いにある情緒あふれる武家屋敷

藍場川沿いにある藩政時代の武家屋敷で、川沿いに長屋門があり、屋敷の中には橋を渡って入ります。主屋には玄関、座敷と茶室などがあり、特に茶室回りの意匠が優れています。また、川の水を屋敷内に引き入れて流水式の池泉庭園を造り、池から出た水を家の中に作られた…

  • 萩・長門エリア
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旧湯川家屋敷

独立一勺の水

この地は、江戸時代に、真言宗龍門寺のあった所です。三代藩主広嘉の病気治療のため岩国を訪れ、錦帯橋創建のきっかけを作った独立禅師が、「一勺源頭の水…」の漢詩を詠んだといわれる所です。

  • 岩国・柳井・周南エリア
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独立一勺の水

納蔵原古墳

大波野の誓立寺から北西に約150m、通称納蔵原の丘陵上にある前方後円墳で、石室は両袖式でほぼ南西方向に開口しています。出土品は田布施町郷土館に展示、保管されています。

  • 岩国・柳井・周南エリア
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納蔵原古墳

萩往還(防府)

萩往還は、慶長9年(1604)の萩城築城後、その城下と三田尻(防府)をほぼ直線で結ぶ参勤交代道として開かれた陰陽連絡道で、全長およそ53キロメートルの街道。近世の民衆や維新の志士たちの交通路として重要な役割を果たしてきた古道です。防府市内の関連の遺跡として…

  • 山口・防府エリア
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萩往還(防府)

萩往還(萩)

道に刻まれた往時の息吹を感じながら歴史ウォーキング

萩往還は、慶長9年(1604)の萩城築城後、その城下と三田尻(防府)をほぼ直線で結ぶ参勤交代道として開かれた陰陽連絡道で、全長およそ53キロメートルの街道。近世の民衆や維新の志士たちの交通路としても重要な役割を果たしてきた古道です。萩市内の関連の遺跡として、…

  • 萩・長門エリア
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萩往還(萩)

脱隊諸士招魂の碑

脱退諸士を慰霊する招魂碑

1869(明治2)年、藩政府は奇兵隊を含む諸隊を再編する兵制改革を行いました。これを不服とした約2千人の隊士が内乱を起こし、鎮圧され、首謀者らはこの地で処刑斬首されました。その霊を弔うため招魂碑が建てられました。 

  • 山口・防府エリア
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脱隊諸士招魂の碑

吉見正頼息女の墓

【全体概要】石州三本松(津和野)城主吉見正頼が阿武郡を支配していた頃、この地に休憩所を設け、正頼の息女を住まわせていたが、天正8年(1585年)8月26日萩の指月邸において病死し、この地に葬った息女の宝篋印塔です。

  • 萩・長門エリア
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吉見正頼息女の墓

伊藤博文別邸

伊藤博文が明治40年(1907)に東京府下荏原郡大井村(現:東京都品川区)に建てた建物の一部を、萩市が無償譲渡を受けて伊藤博文旧宅側に移築したものです。

  • 萩・長門エリア
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伊藤博文別邸

唐樋札場跡(萩往還)

萩市の中心部、唐樋(からひ)町に位置する「札場跡」。藩府・萩と防府三田尻を結ぶ、萩往還の起点となる場所です。周防・長門両国の一里塚の基点とされました。また、幕府や藩からの「御触」(法令や規則など)が掲げられた高札も立っていました。

  • 萩・長門エリア
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唐樋札場跡(萩往還)

周防鋳銭司跡

最初に銭貨が鋳造された708年から平安時代初期にかけて、鋳銭の事業の大部分が、この鋳銭司で行われました。9世紀中頃まで鋳造していたが、いつの間にか廃絶しました。

  • 山口・防府エリア
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周防鋳銭司跡

三恵寺

大同元年(806)実忠和尚が草創。70年に一度開帳の秘仏、千手観音を本尊とし、本寺中興の祖恰雲和尚は薬師如来の霊告により川棚温泉を開発しています。観音堂から少し登ったところに、ツバキの仲間で常緑小高木であるモッコクが生育しています。あたりは花こう岩がむ…

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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三恵寺

三好写真館跡

金子みすゞは、亡くなる前日の1930年(昭和5)3月9日、亀山八幡宮参道そばの、この場所にあった三好写真館で、最後の写真を撮りました。

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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三好写真館跡

護国神社

県出身の戦没者の霊を祀る神社で、境内は桜、ツツジが多い。

  • 山口・防府エリア
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護国神社

長州萩藩蔵屋敷跡

この辺りはかつての江戸堀の一角で、江戸時代には諸藩の蔵屋敷が立ち並んでいた。ここには広大な長州萩藩の蔵屋敷があった。

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長州萩藩蔵屋敷跡

極楽寺(金銅一光三尊立像)

真言宗の寺で、極楽寺蔵の金銅一光三尊立像は、県の文化財に指定されています。像は、一個の舟形光背(ふながたこうはい)を背にして、三尊が立つ金銅仏で、光背の高さ53.8cm、仏像の高さは中尊41cm、脇侍各 29cm。

  • 萩・長門エリア
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極楽寺(金銅一光三尊立像)

土手町南蛮樋

建設当時のオランダ最新技術

この樋門の特徴は、それまでの唐樋と違い、ロクロの心棒部分と樋門の樋蓋を縄でむすび、鉄製のハンドルを回すことで、樋蓋を上下させることで樋門を開閉させる当時のオランダ最新技術を使ったところです。そのため、南蛮渡来の技術を使った樋門ということで「南蛮樋」…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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土手町南蛮樋

万葉の碑

舟泊まりの記録が万葉集・巻の第十五に残る

万葉集に出てくる「可良の浦」は平生町尾国地域で、約1,300年前の長い船旅の途中、風待ち、潮待ち、補給、給水のできる良い港であったと言われています。港にはよい水が豊富にあることが条件で、現在でも年中絶えることなく自然の湧き水が出ている場所が「上関温泉」…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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万葉の碑

弥栄神社

県を代表する古典芸能神事「鷺舞」の舞台として有名な神社です。元々は「滝本祗園社」の名で太鼓谷山上にあったが、城の鬼門鎮護のため正長元年(1428)に現在の地に移されました。毎年7/20、7/27に開催される「鷺舞」は二羽の鷺が優雅に舞う神事。天文11年(1542)に疫病…

  • 山口・防府エリア
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弥栄神社

堀川南蛮樋

干拓地を造るために建造

この樋門の特徴は、それまでの唐樋と違い、ロクロの心棒部分と樋門の樋蓋を縄でむすび、鉄製のハンドルを回すことで、樋蓋を上下させることで樋門を開閉させる当時のオランダ最新技術を使ったところです。南蛮渡来の技術を使った樋門ということで「南蛮樋」(またはナ…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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堀川南蛮樋

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