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平清水八幡宮本殿
社伝によると吉田、恒冨の鎮守として、大同4年(809)に豊前の宇佐八幡宮から神霊を迎えて創建したものとされています。平清水の社号は、神殿の右側にある泉が、日照でも、豪雨でも、水量が一定していることからつけられたといわれています。本殿は、三間社流造りで、…
- 山口・防府エリア

響灘・厚島展望公園
響灘の沖合2kmに連なる、男島、女島、竜宮島、石島、これら4島を総じて呼ばれる厚島と、限りなく広がる響灘の水平線を眼下に一望できるビュースポット。訪れた人々を魅了してやまない一大パノラマがお楽しみいただけます。
- 下関・秋吉台・宇部エリア

阿川八幡宮のイヌマキ巨樹群
イヌマキはマキ科の常緑針葉高木。阿川八幡宮は下関市豊北町阿川にあり、イヌマキの巨木は境内のあちこちにあります。本殿裏のマキの森には、直径20cm以上の木が多数あり、そのほとんどがイヌマキです。樹齢600年を数えるものもあり、道路に面したイヌマキは目の高さ…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

若宮石造宝塔

一ノ瀬城跡
防長の地に大内、厚東、豊田の三氏鼎立の時代があり、一ノ瀬城はその豊田氏の本城で、東麓広畑の地が居館跡です。現在は「豊田大領豊田氏館跡」の碑が立つのみとなっています。
- 下関・秋吉台・宇部エリア

彫刻のまち宇部

神出古墳群
横穴式石室を観察できる珍しい古墳
6世紀末頃につくられた横穴式の円墳群。全部で5基の古墳があることが分かっており、1号墳と3号墳は開かれています。3号墳は玄室(げんしつ)と呼ばれる馬蹄形(ばていけい)の石室の基部が残っており、甕(かめ)の破片などが発見されています。4号墳から提瓶(…
- 岩国・柳井・周南エリア

大陽寺庭園

才谷古墳
【全体概要】才谷古墳は横穴式石室を内部主体とする小円墳で、昭和51年中国自動車道の建設に伴い発見された徳地町唯一の古墳である。古墳時代の後期の小型横穴式石室で使用石材はすべて角のとれた河原石で丁寧に組んである。
- 山口・防府エリア

郡司鋳造所遺構広場
【全体概要】萩藩の代表的な鋳物師であった松本郡司家の鋳造工房の遺構を移築整備した広場です。なかでも、西洋式の青銅大砲を鋳造し、一番深いところで4.5mある巨大な石組み大砲鋳造遺構は日本でも唯一のものです。
- 萩・長門エリア

早長八幡宮
【全体概要】江戸時代、瀬戸内海の交通の要衝として栄えた室積地域の氏神である早長八幡宮。毎年10月の第2日曜日に行われる秋祭りでは、威勢のよい「木遣り唄」が歌われながら、山車が町内を引き回されます。
- 岩国・柳井・周南エリア

阿倍野墓地
【全体概要】現在は大阪市設南霊園となっている共同墓地。大江神社から移したと思われる蛤御門の変(元治元(1864)年)での殉難の48基の招魂碑や、昭和31年に建てられた鳥羽伏見の戦いでの殉難者の顕彰碑がある。
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京都霊山護国神社
【全体概要】池田屋事変(元治元(1864)年)や蛤御門の変などでの犠牲者や、木戸孝允、高杉晋作など幕末の志士たちの御霊を奉祀している。
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籌勝院
【全体概要】長州軍は、第二次征長軍からの攻撃に備え、遊撃隊を主力として小瀬村に駐屯させた。籌勝院はその際、遊撃隊の本陣がおかれた場所である。慶応2年(1866)6月14日未明に開戦された芸州口の戦いで彦根藩を中心とする征長軍の主力部隊に対し大勝。境内には…
- 岩国・柳井・周南エリア

妙法寺

玄答院
【全体概要】山号を放光山といい、曹洞宗の寺院です。寺伝によると開創された年月は不明ですが、天正5年(1577)に曹洞宗に改まったとあります。寛永7年(1630)この地方の領主であった益田景祥が没したことにより、古くからあった寺を玄答院と改名し、益田景祥の菩…
- 山口・防府エリア

鶴ヶ嶺八幡宮
仲哀天皇、神宮皇后、応神天皇、比売大神を祭神とし、547年(天文16)この地に建てられたといわれています。境内には、樹齢300年余りを経た大杉や大松がそそりたち、森厳な雰囲気を漂わせています。社殿に近い西側前方にあるクスノキは、目通り7.9m、高さ27m、幹は地…
- 萩・長門エリア

厚狭毛利家墓所
厚狭毛利家一族が眠る場所
【全体概要】郡、船木に八千余石を領した毛利元康以降13代及びその一族の墓所。洞玄寺裏山にあり、毛利勅子(徳基高女の開創者)の墓もならんでいます。
- 下関・秋吉台・宇部エリア

木戸孝允旧邸跡

本光院
福賀の黒川に位置し、臨済宗高照山と号します。本尊の聖観音像と薬師如来像は、俊乗房重源が悪疫退散を祈って奉納したものと伝えられています。また、「長門三十三番順礼独案内」板木と観音堂の銅造鰐口は、貴重な資料として、町の文化財に指定されています。
- 萩・長門エリア
