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護国寺
俳人種田山頭火ゆかりの地
漂泊の俳人種田山頭火の墓所で、山頭火顕彰のお墓や句碑があり、本堂裏の山頭火資料室には、山頭火に関する資料が展示されています。境内にある笠塔婆は、刻まれた文字から鎌倉時代の1232年に刑部中子の供養の為に建立されたことがわかります。当時の彫刻手法がよくあ…
- 山口・防府エリア

太用寺
福賀にある曹洞宗寺院で、もとは正法寺といいました。寛政10年(1798)2月28日より3月4日まで木喰五行上人が滞在しました。平成9年に建立された聖大観音像は北浦最大で、高さは8.3mもあります。
- 萩・長門エリア

維新十三人墓
慶応3年(1867年)萩藩は、幕末期の馬関戦争、禁門の変において戦死した、都濃郡宰判管内出身者の奉斎のために、山添招魂社を設立した。その後、奇兵隊や戊辰戦争の戦死者が合祀されるなど、明治維新前後に国事に殉じた若者13人が祀られている。
- 岩国・柳井・周南エリア

松尾寺(木造二天王立像)
臨済宗、防州33観音霊場の第3番札所である松尾寺は、周防大島最古の寺。観音堂には、県の文化財に指定されている木造二天王立像が安置されています。持国天・増長天の二体で、ともにヒノキ材の一木造り、持国天は像高81.3cm、増長天は像高80.4cmです。
- 岩国・柳井・周南エリア

独立一勺の水
この地は、江戸時代に、真言宗龍門寺のあった所です。三代藩主広嘉の病気治療のため岩国を訪れ、錦帯橋創建のきっかけを作った独立禅師が、「一勺源頭の水…」の漢詩を詠んだといわれる所です。
- 岩国・柳井・周南エリア

下瀬山城跡
吉見氏の一族、下瀬氏の居城跡で、礎石と五代頼郷と六代頼重の墓が残っている。下瀬氏は津和野・三本松城の北の備えとしてここに城を築き、慶長5年(1600年)吉見氏か長門国に移るまで八代約300年間、この地方の統治にあたった。下瀬氏が下瀬山に城を築いたのは、北条…
- 山口・防府エリア

三渡八幡宮
三渡八幡宮は町内でもっとも大きな由緒のあるお宮で、江戸時代にはここの宮司は当7社の大宮司として、野の下領にある7つの八幡宮、すなわち三渡、青原、程彼、須川、左鐙、木ノロ、小直の八幡宮を統括していた。この本殿は寛保3年(1743年)の造営で、日原町にも神社…
- 山口・防府エリア

飢民の供養塔(大恩寺)
享保17年(1732年)、ウンカの異常発生によって西日本一帯は大凶作となり、庶民は飢えに苦しみました。ことに周防の国は悲惨で、備蓄用の倉を空にしてもなお手の施しようがなかったと言われています。飢民の供養塔は、この時の幾百人の餓死者を弔うためのものです。
- 岩国・柳井・周南エリア

万倉護国神社
国司信濃公を祀る神社
宇部市の万倉小学校に程近い山の上にあり、禁門の変の責任を取って自刃した国司信濃公が祀られており、禁門の変で命を落とした万倉の兵士の墓標が立っています。万倉の招魂場は、慶応3年に当時の国司家当主国司健之助純行によって昔の国司氏の練兵場であったところに…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

大村神社
幕末の兵学者で明治維新の功労者・大村益次郎を祀る神社
幕末の兵学者で明治維新の隠れた功労者・大村益次郎を祀る神社で、長沢池の北、鋳銭司郷土館の隣に位置しています。もとの社は、北へ約500mの山中にある墓のそばにあったが、昭和21年に現在の地へ移されました。境内からは長沢池の全景が望めます。
- 山口・防府エリア

円光寺穴観音古墳

口羽家住宅

巌島神社

錦雲閣

井上勝旧宅跡
萩藩士井上勝行の三男として萩城下土原に生まれる。幕末の一時期、野村弥吉と称した。安政2年(1855)、開明派として知られた父に従い、江戸・浦賀に赴く。同5年、藩命により長崎でオランダ士官より兵学を学ぶ。文久3年(1863)には井上馨(聞多)・伊藤博文(俊輔)…
- 萩・長門エリア

井上馨遭難の碑

大林寺

安部家本陣跡
安部半右衛門宅は山口の脇本陣として、毛利藩主一族の宿所にも使用されていました。小松帯刀・西郷隆盛・大久保利通らが山口に来た際、ここに泊まっています。
- 山口・防府エリア

上関砲台跡(室津日和山、長島東山)
江戸末期、毛利藩は外敵からの防衛の為に要所に砲台を築造した。上関海峡の両端(室津日和山、長島瀬戸東山)の丘にも砲台が築かれ大砲が備え付けられた。嘉永6年(1853)2月に吉田松陰が江戸へ行く途中、室津の日和山の砲台場を見学した。慶応二年(1866年)四…
- 岩国・柳井・周南エリア

彫刻のまち宇部
