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中ノ浜遺跡
中ノ浜遺跡は、響灘に面した下関市豊浦町の海岸砂丘にある、弥生時代の前期から中期初頭にかけて築かれた埋葬遺跡。昭和35年に発見されました。平成2年に墓地公園として整備され、一般に公開されています。
- 下関・秋吉台・宇部エリア

植松古墳公園
- 下関・秋吉台・宇部エリア

菊川水掛不動尊

青山霊園
【施設概要】都営青山霊園は日本の公営墓地第一号で、面積は27万3千m2。明治5年に廃仏毀釈の風潮から、仏葬にかわる神葬の墓地として設けられ、多くの長州出身の維新関係者たちも眠っています。
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松陰神社
【施設概要】松陰神社が鎮座する世田谷区若林一帯は、江戸時代には長州藩毛利家のお抱え地(大名が民間から買い上げて所有している土地)でした。 松陰処刑から3年後、久坂玄瑞の働きにより安政の大獄の刑死者等に対する大赦令が布告されたため、松陰の遺骸はこの若…
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雨田草堂

大洲鉄然生誕の地
月性が、地元妙円寺の住職として創設した私塾時習館で学びました。他に門下生には、世良修蔵(せら しゅうぞう)、大楽源太郎(だいらく げんたろう)などがいました。
- 岩国・柳井・周南エリア

吉田松陰與小方市右衛門木刀銘の碑
小方市右衛門の墓の右横に吉田松陰の詩碑がある。これは安政五(一八五八)年、松陰を訪ねた市右衛門に対して、松陰は木刀に詩を揮毫し市右衛門に贈った。その詩を刻んだ石碑であり、書は大内青巒の筆である。小方市右衛門惟温は平生弘道館に学んで勤王の志篤く、常に…
- 岩国・柳井・周南エリア

岩隈八幡宮(木造扁額「八幡宮」独立性易筆)
【全体概要】玖珂六ヶ郷の惣社とされ、祭神は応神天皇、仲哀天皇など9座。県指定文化財で、杉材の額板に、隷書体で「八幡宮」と深く陰刻されている木造扁額「八幡宮」を所蔵しています。額縁も杉材で、棟木(むなぎ)を耳状、足柱(あしばしら)を猫足状に作っていま…
- 岩国・柳井・周南エリア

青原八幡宮
青原八幡宮の「くろがねもち」は境内参道の入口にあって、目通り周囲3・8m、高さ22.1m、樹幹250年「くろがねもち」では県下第1の樹木。もと参道をはさんで両側にあったが、右側の樹は台風で倒れて1本になった。冬になると赤い実をつける。「くろがねもち」では、松江…
- 山口・防府エリア

鷲原八幡宮
鎌倉時代に城の守護神として城山の南西麓に創建された八幡宮は、鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請して社殿が建立されました。鶴岡八幡宮のものを模したという全長270mの広大な流鏑馬(やぶさめ)馬場は、日本でただ一つ原型を残す横馬場形式で、貴重な文化財です。春に行われる…
- 山口・防府エリア

石走山古墳
通称、石走山山頂近くの緩斜面にあります。両袖無形の横穴式石室をもつ小円墳です。玄室部には、神花社が祭られています。付近には、なお数基の未発掘の円墳が存在しています。
- 岩国・柳井・周南エリア

飢民の供養塔(大恩寺)
享保17年(1732年)、ウンカの異常発生によって西日本一帯は大凶作となり、庶民は飢えに苦しみました。ことに周防の国は悲惨で、備蓄用の倉を空にしてもなお手の施しようがなかったと言われています。飢民の供養塔は、この時の幾百人の餓死者を弔うためのものです。
- 岩国・柳井・周南エリア

龍泉寺 楼門とタラヨウ
龍泉寺への石段をあがったところに楼門(町指定建造物)があります。18世紀末期の特徴をそなえた端正で、均衡の取れた造形です。境内には、仏教木として植樹された高さ11mを誇るタラヨウの大木もあります。県内でも稀な大きさです。
- 岩国・柳井・周南エリア

清水寺
寺の創建は寺伝によると大同元年(806)といわれ、千手観音菩薩立像を本尊とする真言宗の寺院で、山口盆地最古の寺院といわれています。はじめ天台宗でしたが、室町時代に真言宗に改宗したと言われます。観音堂は明応2年(1493)大内政弘が建てたものといわれ、残っ…
- 山口・防府エリア

熊谷氏邸庭園
熊谷家は、問屋と金融、仲買、製塩を業とし、萩藩御用達として栄えた豪商で、住宅は、明和5年(1768)に新築したものといわれ、美術館として一般に公開されています。庭園には、樹齢600年のソテツや200年の松灯龍などあります。
- 萩・長門エリア

下横瀬公民館(旧明木村立図書館)
【全体概要】前身は旧明木村立図書館。全国初の村立図書館として建設されたが、昭和33年に現在地に移築し、地区公民館として使用されています。木造平屋建て44平方m。
- 萩・長門エリア

旧小林家住宅(萩往還おもてなし茶屋)
旧小林家住宅は、江戸時代「目代所」があった場所に明治40年に隣地から移築された主屋と、大正期に建てられた土蔵、昭和10年代に増築された離れからなります。かつては旅館を営んでいたことから、主屋の一階の主座敷に加え、二階には萩往還を望む表座敷、佐々並川や周…
- 萩・長門エリア

円龍寺

周防鋳銭司跡
最初に銭貨が鋳造された708年から平安時代初期にかけて、鋳銭の事業の大部分が、この鋳銭司で行われました。9世紀中頃まで鋳造していたが、いつの間にか廃絶しました。
- 山口・防府エリア
