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赤祢武人墓所
柱島の西栄寺にある奇兵隊第三代総督赤祢武人墓所。柱島の医師の子として生まれた赤祢武人は、松下村塾で吉田松陰に学び、後に奇兵隊の第三代総督を務める。しかし、当時藩政を主導していた俗論派と正義派諸隊の調停を図ったことで二重スパイとして疑われることになる…
- 岩国・柳井・周南エリア

永興寺
吉川家、大内氏ゆかりの寺です。臨済宗「永興寺」 (ようこうじ) は鎌倉時代末期の1309年(延慶2年)に大内弘之が創建し、横山一帯 (現在の岩国市横山1丁目、2丁目あたり) に壮大な敷地を有したと伝えられています。しかし1600年 (慶長5年) に岩国に移封された吉川広家…
- 岩国・柳井・周南エリア

山陰道
中世の旧街道が県道整備で発掘されました。津和野町中座地区で現在行っている県道整備に関連し、町教育委員会の調査で発掘した旧街道「山陰道」の石畳がいま注目を集めています。発掘した石畳は、延長150メートルで幅3メートル。石が積み重なり、隙間は土で固められて…
- 山口・防府エリア

木造地蔵菩薩坐像(蓮華寺)
田布施町蓮華寺に安置されています。ヒノキを材とした一木彫り寄木造りで、仏像の高さは78cmです。像の中に墨で書かれた銘文があり、1350年に「大仏師沙弥仏性」がつくったことがわかります。はぎ目がいずれも竹釘やかすがいで、像の解体が可能であるため、木寄せの模…
- 岩国・柳井・周南エリア

富永有隣の碑
維新の動乱期、数々の功績を残しながら自身の来歴を語ろうとせず、また、同志や門弟達が新政府の要職に就き脚光を浴びている時も、ひとり裏街道を歩き、隠遁と苦難の生活にあまんじた人物が富永有隣です。明治17年から生涯を閉じるまで、この場所で後進の指導にあた…
- 岩国・柳井・周南エリア

菊舎尼の句碑(徳応寺)
長府金屋町の商店街のはずれに徳応寺があり、この入口左側に、女流俳人田上菊舎の墓と句碑があります。菊舎は加賀の千代女と並び称される女流俳人です。句碑は、文政5年(1819)故郷長府に落ち着いた時に建てられたもので、旅中に受け取った父母からの手紙を碑の下に…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

塚穴古墳

浮舟庵の墓
JR江崎駅前通りを県道に出て、右へゆるやかに登ると、すぐ右手の小高くなったところに、安永年間に建てられた、県下でも珍しい酒樽の形をしたお墓があります。 墓石には、「浮舟庵独醒風士・安永の秋、友人某」と書いてあります。 このお墓は、酒好きでいながら働…
- 萩・長門エリア

八幡隊結成の地
八幡隊は文久3年(1863)9月に堀真五郎を初代総督として八幡馬場で結成された隊です。総督には当初、久坂玄瑞が推されましたが、自由な身の振りを求めて辞退し、代わりに堀真五郎を就かせました。
- 山口・防府エリア

広沢真臣の旧宅跡

広沢真臣の墓

陶陶窯跡
陶陶窯跡は、須恵器を焼いた窯で、平安時代初期に使われたものと思われます。この地方の地名を陶ということからわかるように、この地では古くから窯業が盛んに行われていました。現在陶地区の北側の山裾一帯には広く須恵器の破片が散布しており、各所に窯跡と見られる…
- 山口・防府エリア

百谷窯跡

上関海峡

国司親相幽閉賜剣之地

癒鶴地(鶴の墓)
ツルの墓の由来は、明治28年(1895年)にさかのぼります。春、シベリヤに向けて旅立ったツルの群れの中に、銃弾で傷つき、二羽のツルが峠に落ちてしまいました。これを見た村人の一人が自宅に連れ帰り、50日余りにわたって看病を続けたが、ついに死んでしまい、悲しん…
- 岩国・柳井・周南エリア

やげん谷一里塚

岩屋古墳
- 岩国・柳井・周南エリア

江泊瓦窯跡

青原八幡宮
青原八幡宮の「くろがねもち」は境内参道の入口にあって、目通り周囲3・8m、高さ22.1m、樹幹250年「くろがねもち」では県下第1の樹木。もと参道をはさんで両側にあったが、右側の樹は台風で倒れて1本になった。冬になると赤い実をつける。「くろがねもち」では、松江…
- 山口・防府エリア
