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須佐唐津古窯跡群

【全体概要】須佐唐津古窯跡群は、須佐湾から南東へ約3.8㎞入った犬鳴山の北麓にあり、古くから須佐唐津窯とよばれる三基の登窯(のぼりがま=斜面につくって効率よく熱が行き渡るようにしたもの)と、これに付随する地域からなります。窯が築かれた年代は不明である…

  • 萩・長門エリア
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須佐唐津古窯跡群

菊ケ浜土塁(女台場)

【全体概要】菊ケ浜の南側にあります。文久・元治の頃、萩の沖合にも黒船が出没した際、海防のために築造した砲塁です。

  • 萩・長門エリア
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菊ケ浜土塁(女台場)

周防嫁いらず観音

【全体概要】嫁いらず観音は、徳川時代初期に周防一帯の観音信仰に厚い豪商や豪農が奇進したもの。いつの頃からか、薬師堂左手の竹藪の中にある二体は、老後の無病息災と家族の手数を煩わすことなく極楽往生を叫えてくれる霊験で、一体を「嫁いらず観音」一体を「ぼけ…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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周防嫁いらず観音

皇典講究所跡

【施設概要】皇典講究所は、明治15年に当時の麹町区飯田町(現在の千代田区飯田橋)に設立されました。 その後、明治22年に山田顕義を筆頭発起人として日本法律学校が開設され、また山田はさらに明治23年には皇典講究所の事業を拡張し、日本文化を研究するため…

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皇典講究所跡

早長八幡宮

【全体概要】江戸時代、瀬戸内海の交通の要衝として栄えた室積地域の氏神である早長八幡宮。毎年10月の第2日曜日に行われる秋祭りでは、威勢のよい「木遣り唄」が歌われながら、山車が町内を引き回されます。

  • 岩国・柳井・周南エリア
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早長八幡宮

来嶋又兵衛誕生記念碑

信頼が厚く、吉田松陰からも評された維新の志士

山陽小野田市高須にある厳島神社の境内に「来嶋又兵衛生誕地」の記念碑があります。来嶋又兵衛は元治元年、禁門の変で戦死し、48歳の生涯を閉じて有名です。生家は、厳島神社の北方約150mの地点で、宅地跡は田んぼとなって、石柱が田んぼの南側に所在しています。来…

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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来嶋又兵衛誕生記念碑

厚狭毛利家墓所

厚狭毛利家一族が眠る場所

【全体概要】郡、船木に八千余石を領した毛利元康以降13代及びその一族の墓所。洞玄寺裏山にあり、毛利勅子(徳基高女の開創者)の墓もならんでいます。

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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厚狭毛利家墓所

木戸孝允旧邸跡

【全体概要】木戸孝允は、慶応年間にここに本邸を新築し山口藩庁政治堂に通っていました。

  • 山口・防府エリア
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木戸孝允旧邸跡

豊久丸の墓

大内義弘死後の弟の盛見は、自分の子豊久丸を水死させ、世子持世を立て後見人となりました。水死体が湛尻の岸に上がったので、有縁の地として妙湛寺を建て祭りました。

  • 山口・防府エリア
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豊久丸の墓

独立一勺の水

この地は、江戸時代に、真言宗龍門寺のあった所です。三代藩主広嘉の病気治療のため岩国を訪れ、錦帯橋創建のきっかけを作った独立禅師が、「一勺源頭の水…」の漢詩を詠んだといわれる所です。

  • 岩国・柳井・周南エリア
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独立一勺の水

常関寺

寛永5年(1628)、領主山内広通により建立。幕末期、奇兵隊の病院が置かれたところで、隊士8名の墓があります。本堂の背後に釈迦如来を中心に左右に文殊・普腎の二菩薩があり、そのまわりに表情豊かな16羅漢像が並んでいます。

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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常関寺

吉田松陰東送の碑

【全体概要】安政6年(1859)5月25日午前9時ごろ、江戸幕府により東送を命ぜられた吉田松陰は、唐丸籠に乗り、食事ができる程度にゆるく手を縛られ、小雨の中萩を後にしました。途中、小休止をとった萩往還沿いの夏木原で、日本の現状を憂い、行く末を案じて詠んだ詩が…

  • 萩・長門エリア
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吉田松陰東送の碑

落合の石橋

長さ2.4m、幅1.7m。石組みの川岸から川に張り出させた大きな石を橋げたにして、上に板状の石を載せた県内特有の工法で、江戸後期のものと思われます。萩往還の途上にあります。

  • 萩・長門エリア
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落合の石橋

陶陶窯跡

陶陶窯跡は、須恵器を焼いた窯で、平安時代初期に使われたものと思われます。この地方の地名を陶ということからわかるように、この地では古くから窯業が盛んに行われていました。現在陶地区の北側の山裾一帯には広く須恵器の破片が散布しており、各所に窯跡と見られる…

  • 山口・防府エリア
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陶陶窯跡

早川家住宅

長門の通浦は日本海岸にある青海島の漁港で、江戸時代には捕鯨が盛んでした。早川家はこの地の網頭をつとめた家柄で、住宅は海岸線に沿ったせまい道路に東面して建ち、背後は浜に続いています。この屋敷地は、もと廻船業を営んでいた黒川氏のもので、後に早川氏が買い…

  • 萩・長門エリア
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早川家住宅

津和野町/主水畑

元和3年(1617)亀井政矩が4万6000石で津和野に入封、以後250年間亀井家がこの地を治め明治維新を迎えました。藩政を支えたのが親戚筋の家老多胡真清の他三兄弟で、以後も多胡家は代々藩主を助け、城下町の整備と産業の育成に辣腕を振るいます。今も町内に残る段々畑は…

  • 山口・防府エリア
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津和野町/主水畑

迎賓館

【施設概要】片山東熊は、明治から大正にかけて活躍した山口県出身の建築家です。 長州藩士の四男として生まれた片山東熊は、奇兵隊に属し、戊辰戦争に従軍しましたが、明治になってから建築の道を志し、初めは工部省に、後には宮内省に転じて宮廷建築家として活躍し…

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迎賓館

蕃書調所跡

【施設概要】アメリカのペリーが黒船を率いて来航し、幕府に開国を求めたのが嘉永6年(1853)、それから二年後の安政2年(1855)、幕府は九段坂下に洋学研究所を設け、まもなく蕃書調所と改称しました。 蕃書調所の開所から約2年後、現在の山口県山口市出身で、新…

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蕃書調所跡

乃木神社

【施設概要】日露戦争の際、第三軍司令官として旅順を攻略、苦闘の末陥落させた乃木希典は、最も有名な長州人の一人でしょう。 その乃木希典が居住していた地は、現在は乃木神社となっておりますが、夫妻が住み、そして明治天皇に殉死した屋敷は神社の境内に現存して…

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乃木神社

周布政之助の碑

【全体概要】周布は藩政の主導権を幕府の考え方に従おうとする俗論等に奪われた責任を取り、自刃しました。その場所の近くに功績を伝える碑が建っています。

  • 山口・防府エリア
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周布政之助の碑