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室積台場跡
江戸時代末、四国艦隊の報復攻撃に備え沿岸に砲台場を築いたもの。当時の長州藩は男手が不足し、後に残った婦女子が中心になってこれを築きました。このことから、通称「女台場」といわれています。市指定史跡となっています。
- 岩国・柳井・周南エリア

佐々並川ダム
- 萩・長門エリア

小川家長屋門
【全体概要】小川家はもと町奉行の一人で500石を領した中級武士。安政の初期, またはそれ以前の建築といわれ、扉の金具、出格子の細部など優れたもので、当時の武士の生活様式を知ることができます。
- 萩・長門エリア

唐樋札場跡(萩往還)
萩市の中心部、唐樋(からひ)町に位置する「札場跡」。藩府・萩と防府三田尻を結ぶ、萩往還の起点となる場所です。周防・長門両国の一里塚の基点とされました。また、幕府や藩からの「御触」(法令や規則など)が掲げられた高札も立っていました。
- 萩・長門エリア

五卿登陸処
文久3年(1863)の「八・一八の政変」後、勤王派の7人の公卿が京都を追われ、3隻の船に分乗して兵庫を船出して長州に向かいました。1番船には三条実美、2番船には三条西季知・壬生基修・四条隆謌・錦小路頼徳、3番船には東久世通禧・沢宣嘉が乗り込みました。3隻とも…
- 岩国・柳井・周南エリア

椿八幡宮
椿八幡宮は鎌倉時代に由緒を持つ古い社で、江戸時代には萩四社の一社として知られ、「八江萩名所図画」にも描かれています。秋には、境内のイチョウが見事に色づきます。[第9代宮司 青山上総介について]文久2年(1862)10月、京都の粟田山で吉田松陰の最初の神道式…
- 萩・長門エリア

土井ヶ浜遺跡

引地君の墓

薬師堂

津和野町/主水畑
元和3年(1617)亀井政矩が4万6000石で津和野に入封、以後250年間亀井家がこの地を治め明治維新を迎えました。藩政を支えたのが親戚筋の家老多胡真清の他三兄弟で、以後も多胡家は代々藩主を助け、城下町の整備と産業の育成に辣腕を振るいます。今も町内に残る段々畑は…
- 山口・防府エリア

百谷窯跡

迎賓館
【施設概要】片山東熊は、明治から大正にかけて活躍した山口県出身の建築家です。 長州藩士の四男として生まれた片山東熊は、奇兵隊に属し、戊辰戦争に従軍しましたが、明治になってから建築の道を志し、初めは工部省に、後には宮内省に転じて宮廷建築家として活躍し…
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皇典講究所跡
【施設概要】皇典講究所は、明治15年に当時の麹町区飯田町(現在の千代田区飯田橋)に設立されました。 その後、明治22年に山田顕義を筆頭発起人として日本法律学校が開設され、また山田はさらに明治23年には皇典講究所の事業を拡張し、日本文化を研究するため…
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仏光寺(木造文殊菩薩騎獅像)
【全体概要】毛利家ゆかりの寺で、文殊堂に木造文殊菩薩騎獅像が安置されています。像は、県の文化財に指定されており、ヒノキ材の寄木造りで、像高は94cm、下方の獅子座などすべてを加えた高さは198.5cmです。
- 萩・長門エリア

阿倍野墓地
【全体概要】現在は大阪市設南霊園となっている共同墓地。大江神社から移したと思われる蛤御門の変(元治元(1864)年)での殉難の48基の招魂碑や、昭和31年に建てられた鳥羽伏見の戦いでの殉難者の顕彰碑がある。
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大村益次郎寓居跡
【全体概要】大村益次郎は倉屋敷作衛門の座敷に住みながら適塾で医学を学んだ。
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堺町御門
【全体概要】長州藩が警備を担当していた御所の門。クーデター「八月十八日の変」でその任務を解かれ、藩士全員の京都撤退を命じられた。
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やげん谷一里塚

千林尼の大休・指月石畳道
千林尼の人を思う慈悲の心
【全体概要】船木逢坂の観音堂に住んでいた千林尼が、険しい坂道を行き来する人馬の苦しみを見かね、自ら托鉢をして浄財を集め、敷いた石畳道の一つで、文久2年(1862年)8月に完成した。現存の石畳道はその一部で、敷石の長さ約260m、幅1.5mである。
- 下関・秋吉台・宇部エリア

長光寺山古墳
4世紀後半のものと推定される前方後円墳。
【全体概要】全長58mの南西向きの前方後円墳。4世紀後半のものと推定され、長門部における最古の古墳です。この古墳からの出土品は、県の有形文化財に指定されています。
- 下関・秋吉台・宇部エリア
