【全体概要】
山田顕義は、1844年(弘化元年)に萩藩士山田七兵衛の長男として生まれ、14歳の時に松下村塾に入門した。吉田松陰にとっては最年少の門下生だったらしい。戊辰戦争で大きな功績を残し、明治に入ってからは佐賀の乱、西南戦争の鎮静に尽力。その後、日本の近代化に傾注し、第一次伊藤博文内閣の司法大臣として法典編纂に貢献した。また、教育にも力をいれ、日本大学の前身である日本法律学校を創設し、次いで翌年、國學院を設立。
この地は、日本大学が建学90周年を記念し、謝恩の為に昭和54年に「顕義園」として整備したもので、高さ1.1mの台座に建つ高さ2.4mの「山田顕義先生之像」が印象的。
山田顕義は、1844年(弘化元年)に萩藩士山田七兵衛の長男として生まれ、14歳の時に松下村塾に入門した。吉田松陰にとっては最年少の門下生だったらしい。戊辰戦争で大きな功績を残し、明治に入ってからは佐賀の乱、西南戦争の鎮静に尽力。その後、日本の近代化に傾注し、第一次伊藤博文内閣の司法大臣として法典編纂に貢献した。また、教育にも力をいれ、日本大学の前身である日本法律学校を創設し、次いで翌年、國學院を設立。
この地は、日本大学が建学90周年を記念し、謝恩の為に昭和54年に「顕義園」として整備したもので、高さ1.1mの台座に建つ高さ2.4mの「山田顕義先生之像」が印象的。
基本情報
- 住所
- 山口県萩市椿東
- お問い合わせ
- 萩市観光課
- 電話番号
- 0838-25-3139
- アクセス
- ・中国自動車道美祢東JCTから車20分
→ 小郡萩道路絵堂ICから車30分
(JCTと繋がっている小郡萩道路利用で萩へ)
・JR東萩駅からタクシー10分
・まぁーるバス東回り「中ノ倉」から徒歩10分