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立石孫一郎の碑
第二奇兵隊幹部の立石孫一郎は、倒幕を急ぐあまり仲間を引き連れて隊を脱走し、倉敷代官所などを襲撃しました。その後、幕軍に追われることとなり、慶応2年(1866年)藩命に背いたとされ千歳橋の橋上で暗殺されました。その場所の近くに、石碑と小さな祠が建てら…
- 岩国・柳井・周南エリア

室積台場跡
江戸時代末、四国艦隊の報復攻撃に備え沿岸に砲台場を築いたもの。当時の長州藩は男手が不足し、後に残った婦女子が中心になってこれを築きました。このことから、通称「女台場」といわれています。市指定史跡となっています。
- 岩国・柳井・周南エリア

大村能章の部屋(アスピラート)
防府の大作曲家「大村能章」にまつわる展示室
防府が生んだ作曲家「大村能章」の作品1,000曲の検索演奏や遺品30点をパネルとともに展示しています。
- 山口・防府エリア

岩畠古墳
【全体概要】横穴式石室で、南に入口を開いている。南と東が道路と接しており、墳丘が削られている。 石室の全長は10.1mで山口県内でも有数の大きさである。玄室は奥行4.5m、幅2.5m、高さ2.9m。石室の石材は花崗岩で、極めて大きい石が使用されてい…
- 山口・防府エリア

萩市平安古地区伝統的建造物群保存地区
選定地区は橋本川に沿った東西約150m、南北約300mの範囲で、藩政期の地割りをよく残しています。かつて重臣の多くは三の丸に住んでいたが、平安古・江向・土原方面の開墾が進むにつれて武家住宅も増えていきました。現在、この地域には、毛利一門の右田毛利家(16,0…
- 萩・長門エリア

伊藤井上両公上陸の碑
文久3年(1863年)、「長州ファイブ」の一員としてイギリスにいた伊藤博文、井上馨は、英米仏蘭の4ヶ国連合艦隊が下関を攻撃するとの情報に接し、英国留学を中断して帰国の途につきました。両名は、元治元年(1864年)6月24日に富海に上陸し、飛船問屋入本屋磯七の宅…
- 山口・防府エリア

山田顕義墓
護国寺は、五代将軍綱吉の生母桂昌院の発願で天和元年(1681)に創建された真言宗の寺院で、格式高い将軍家の菩提所です。本堂裏手は墓地になっており、三条実美、大隈重信など維新の元勲たちの巨大な墓標が競うように建てられています。長州藩出身の山縣有朋の墓もそ…
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宮原古墳

青海島鯨墓
鯨墓は、高さ2.4メートル、幅0.46メートルの花崗岩の石塔です。正面には「業尽有情雖放不生」「故宿人天同証佛果」「南無阿弥陀仏」と陰刻され、側面には「元禄五年壬申五月 願主 設楽孫兵衛・池永藤右衛門早川源右衛門」と刻まれています。「鯨1頭取れれば7浦が賑わ…
- 萩・長門エリア

弥栄神社
県を代表する古典芸能神事「鷺舞」の舞台として有名な神社です。元々は「滝本祗園社」の名で太鼓谷山上にあったが、城の鬼門鎮護のため正長元年(1428)に現在の地に移されました。毎年7/20、7/27に開催される「鷺舞」は二羽の鷺が優雅に舞う神事。天文11年(1542)に疫病…
- 山口・防府エリア

白井小介顕彰碑
維新の志士「周南の独眼竜」隠棲の地
性豪気、文武にたけて短槍の名人、鉄砲の権威者であり周南の独眼竜とうたわれた維新の志士白井小介。江戸に囚監された吉田松陰に金品を差し入れ謹慎を命じられるなど、さまざまなエピソードをもつ小介は、尊攘運動に奔走し数々の武功をたてた後、明治3年平生町田布路…
- 岩国・柳井・周南エリア

中ノ浜遺跡
中ノ浜遺跡は、響灘に面した下関市豊浦町の海岸砂丘にある、弥生時代の前期から中期初頭にかけて築かれた埋葬遺跡。昭和35年に発見されました。平成2年に墓地公園として整備され、一般に公開されています。
- 下関・秋吉台・宇部エリア

法輪寺

菊ケ浜土塁(女台場)

雨田草堂

善生寺庭園

光市文化センター

龍雲寺
【全体概要】応永15年(1408)に創建された臨済宗の古刹。龍頭苑,白水苑,大望園と樹姿,配石の妙を得た三庭がある。境内には知恵を授かる文珠堂もある。
- 岩国・柳井・周南エリア

前原一誠旧宅
【全体概要】藩士佐世家に生まれ、父の出役の関係で幼少期を厚狭郡船木(山陽小野田市)で過ごした。24歳の安政4年(1857)萩に帰り、松下村塾に入門。その後、洋学の修得に励むが、文久2年(1862)脱藩上京し、長井雅楽の暗殺を図るなど尊王攘夷運動に参加する。文久…
- 萩・長門エリア

上善寺
【全体概要】蛤御門の変(元治元(1864)年)に際し自刃した松陰門下の四天王の一人「入江九一」他7名は、越前藩の菩提寺であった上善寺に葬られている。
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