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彫刻のまち宇部
宇部市では、戦後のまちの美化と心の豊かさを求める市民運動を契機に、1961年から名称を変えながら野外彫刻展の開催を続け、2024年3月26日に「最も長く続いている野外彫刻展」としてギネス世界記録™に認定されました。会場となるときわ公園や、市街…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

吉田松陰詩碑
上関大橋のたもと、松陰ゆかりの砲台場があった地に建てられた…
嘉永6年(1853)2月に吉田松陰が江戸へ行く途中、室津の日和山の砲台場を見学しました。同年10月、浦賀で黒船を見た松陰は、長崎にロシア船が来航したことを知り、密航して外国へ行くために船に乗ろうと長崎に向かう途中、ここ室津に寄り歌を詠みました。詩碑は松陰ゆ…
- 岩国・柳井・周南エリア

旦の登り窯
ノスタルジーに浸る窯跡
【全体概要】日本舎密(せいみ)製造株式会社(現:日産化学工業)の製造する硫酸などを運ぶための容器を、明治26年から旦の製陶所で生産していました。旦の登り窯は、その当時の窯跡です。また、生産された瓶は「硫酸瓶」と呼ばれています。幅7.5m、煙突の高さ12.3m…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

護国寺
俳人種田山頭火ゆかりの地
漂泊の俳人種田山頭火の墓所で、山頭火顕彰のお墓や句碑があり、本堂裏の山頭火資料室には、山頭火に関する資料が展示されています。境内にある笠塔婆は、刻まれた文字から鎌倉時代の1232年に刑部中子の供養の為に建立されたことがわかります。当時の彫刻手法がよくあ…
- 山口・防府エリア

金麗社
祭神は菅原道真、旧称天満宮。1865年、藩政府軍と諸隊が大田・絵堂で戦った際に、諸隊の本陣が置かれたところです。境内には、その時の戦利品や多くの石碑があります。
- 下関・秋吉台・宇部エリア

専光寺
長州藩、海路通行の幕府役人など貴賓の接待所に使った寺で、幕末の1865年、この寺を本拠にして周防部の諸隊が決起し、振武隊となり、後に第二奇兵隊と改称しました。
- 岩国・柳井・周南エリア

彦根戦死士之墓

恩徳寺の結びイブキ
イブキはヒノキ科の常緑高木で、結びイブキは恩徳寺の境内にある、高さ6m、目の高さの幹周り3.4mの巨木。地上2mのところで多くの枝に分かれ、地上約2.5mで、多数の枝が互いにからみあい、珍しい樹形をしています。本堂前には幼樹ニ本が植えられています。恩徳寺は…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

萩往還(防府)
萩往還は、慶長9年(1604)の萩城築城後、その城下と三田尻(防府)をほぼ直線で結ぶ参勤交代道として開かれた陰陽連絡道で、全長およそ53キロメートルの街道。近世の民衆や維新の志士たちの交通路として重要な役割を果たしてきた古道です。防府市内の関連の遺跡として…
- 山口・防府エリア

枡築らんかん橋
江戸時代中期に、塩田の間を通る入川に架けられた橋で、かつては9梁あったが現在往時の地に残るのはこの1梁のみです。橋の中程が高く作られており、塩や石炭などを運ぶ上荷船が満潮時でも通行できるよう工夫されています。
- 山口・防府エリア

大村能章の部屋(アスピラート)
防府の大作曲家「大村能章」にまつわる展示室
防府が生んだ作曲家「大村能章」の作品1,000曲の検索演奏や遺品30点をパネルとともに展示しています。
- 山口・防府エリア

品川弥二郎旧宅跡

三恵寺
大同元年(806)実忠和尚が草創。70年に一度開帳の秘仏、千手観音を本尊とし、本寺中興の祖恰雲和尚は薬師如来の霊告により川棚温泉を開発しています。観音堂から少し登ったところに、ツバキの仲間で常緑小高木であるモッコクが生育しています。あたりは花こう岩がむ…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

椿八幡宮
椿八幡宮は鎌倉時代に由緒を持つ古い社で、江戸時代には萩四社の一社として知られ、「八江萩名所図画」にも描かれています。秋には、境内のイチョウが見事に色づきます。[第9代宮司 青山上総介について]文久2年(1862)10月、京都の粟田山で吉田松陰の最初の神道式…
- 萩・長門エリア

八坂神社
奈良時代、吉備真備が遣唐使として当時の中国にあるとき、スサノオノミコトが自分を守るのを感じ、天平5年(733)日本に帰る際にこの地に祀ったのが始まりといわれています。また、大内氏の信仰が厚かった古社で、大内氏が寄贈したと伝えられる5面の能面や、捕鯨の…
- 萩・長門エリア

青海島鯨墓
鯨墓は、高さ2.4メートル、幅0.46メートルの花崗岩の石塔です。正面には「業尽有情雖放不生」「故宿人天同証佛果」「南無阿弥陀仏」と陰刻され、側面には「元禄五年壬申五月 願主 設楽孫兵衛・池永藤右衛門早川源右衛門」と刻まれています。「鯨1頭取れれば7浦が賑わ…
- 萩・長門エリア

白鳥古墳 付陪塚及び周濠
県内最大規模の前方後円墳
白鳥古墳は、古墳時代中期の前方後円墳。規模は、全長120m、後円部の 径64m、高さ 11m、前方部の径60m、高さ8.5mで、山口・広島地域で最大といわれています。この古墳がある丘の東側の部分には、幅20.8m、深さ2.1mの周濠(周りのからぼり)があり、この周壕を含む…
- 岩国・柳井・周南エリア

郡司鋳造所遺構広場
【全体概要】萩藩の代表的な鋳物師であった松本郡司家の鋳造工房の遺構を移築整備した広場です。なかでも、西洋式の青銅大砲を鋳造し、一番深いところで4.5mある巨大な石組み大砲鋳造遺構は日本でも唯一のものです。
- 萩・長門エリア

三坂神社
生と死の境界線を守護し、災難を除ける、強運の神様を祀る「弾…
三坂神社は、「強運の神様」を祀る「弾除け神社」として知られています。約1300年前に書かれた『東大寺正倉院文書』にも登場する古社(延喜式内社)です。古来、「生と死の境界線」(黄泉比良坂)の守護神、災難を除ける「命の守護神」として信仰を集めました。中世以…
- 山口・防府エリア

寺島忠三郎関連史跡
寺嶋忠三郎は、天保14年(1843)近習寺嶋太治郎の二男として生まれました。16才で松下村塾に入り吉田松陰の弟子となり、尊王攘夷運動に尽くしましたが、禁門の変に際して久坂玄瑞とともに自刃しました。顕彰碑と辞世の碑が建てられています。
- 岩国・柳井・周南エリア








