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商家博物館むろやの園(小田家の生活用具・商家資料・町家)
【施設概要】小田家住宅は、古市、金屋と続く白い漆喰壁の町家の代表的なもので、町家の屋敷面積は2561㎡、建坪1500㎡、間口約14m、奥行119mの、鰻の寝床といわれる細長い敷地割になっています。敷地内には主屋 、本蔵、勘定蔵、米蔵、油絞り場、中間部屋、道具部屋…
- 岩国・柳井・周南エリア

来嶋又兵衛誕生記念碑
信頼が厚く、吉田松陰からも評された維新の志士
山陽小野田市高須にある厳島神社の境内に「来嶋又兵衛生誕地」の記念碑があります。来嶋又兵衛は元治元年、禁門の変で戦死し、48歳の生涯を閉じて有名です。生家は、厳島神社の北方約150mの地点で、宅地跡は田んぼとなって、石柱が田んぼの南側に所在しています。来…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

香川家長屋門
岩国藩の家老であった香川家の住宅の表門で、1693年に香川正恒が建立。瓦に1個づつ家紋が刻してある長屋門の他に、通用門、平時門などがあり、身分、用件によって使いわけられていました。
- 岩国・柳井・周南エリア

二井寺山極楽寺

多胡家老門
亀井氏11代にわたって手腕をふるった家老、多胡家の屋敷門。どっしりとした造りは、現在でも威風堂々たるものです。殿町には多胡家、大岡家、牧家の三家老の門が並んでいます。島根県の文化財に指定されています。
- 山口・防府エリア

鋳物師大師塚

野村望東尼終焉の宅跡及び墓
幕末の混乱した時代に、勤王歌人として、また志士の母として慕われた野村望東尼が、歌友荒瀬ゆり子宅で他界しました。宅跡は三田尻本町に、墓は桑山にあります。
- 山口・防府エリア

問田益田氏旧宅土塀
萩藩の重臣で4,000石を領した問田益田氏旧宅の土塀。堀内地区は萩藩重臣の邸宅が並んでいた所で、中でもこの土塀は最もよく旧態を留めています。市指定文化財。2015年7月明治日本の産業革命遺産として世界遺産に登録された萩城下町にあります。
- 萩・長門エリア

落合の石橋
長さ2.4m、幅1.7m。石組みの川岸から川に張り出させた大きな石を橋げたにして、上に板状の石を載せた県内特有の工法で、江戸後期のものと思われます。萩往還の途上にあります。
- 萩・長門エリア

六軒茶屋跡(萩往還)
萩往還は、慶長9年(1607)萩城築城後、その城下と三田尻(防府)をほぼ最短で結ぶ参勤交代道として開かれた陰陽連絡道で、延長52.7キロメートルの街道です。萩往還には旅人の休憩の場として茶屋が所々に設けられていました。その茶屋の中で、萩往還最大の難所、一の坂に…
- 山口・防府エリア

北灯台
山口県最北端の地
見島の最北端の岬である長尾ノ鼻に立っている灯台で、見島の北の航海の安全のため、昭和38年1月15日に点灯を開始しました。この灯台は、水平線からの日の出と日の入りの両方を見ることができる全国的にも珍しい場所となっています。灯台の南の神畑には、日露戦争…
- 萩・長門エリア

錦の御旗製作所跡
慶応3年(1867)討幕の勅命が下り、品川弥二郎は京都西陣で材料を購入し、ここにあった養蚕所の一室で御旗の製作にあたりました。ここで製作された錦の御旗が、鳥羽伏見の戦において官軍の陣頭に立てられました。
- 山口・防府エリア

三好写真館跡

山縣有朋墓
護国寺は、五代将軍綱吉の生母桂昌院の発願で天和元年(1681)に創建された真言宗の寺院で、格式高い将軍家の菩提所です。 本堂裏手は墓地になっており、三条実美、大隈重信など維新の元勲たちの巨大な墓標が競うように建てられています。 長州藩出身の山縣有朋の…
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八坂神社
奈良時代、吉備真備が遣唐使として当時の中国にあるとき、スサノオノミコトが自分を守るのを感じ、天平5年(733)日本に帰る際にこの地に祀ったのが始まりといわれています。また、大内氏の信仰が厚かった古社で、大内氏が寄贈したと伝えられる5面の能面や、捕鯨の…
- 萩・長門エリア

福原邸跡

菊ケ浜土塁(女台場)

朝倉八幡宮

郡司鋳造所遺構広場
【全体概要】萩藩の代表的な鋳物師であった松本郡司家の鋳造工房の遺構を移築整備した広場です。なかでも、西洋式の青銅大砲を鋳造し、一番深いところで4.5mある巨大な石組み大砲鋳造遺構は日本でも唯一のものです。
- 萩・長門エリア

阿倍野墓地
【全体概要】現在は大阪市設南霊園となっている共同墓地。大江神社から移したと思われる蛤御門の変(元治元(1864)年)での殉難の48基の招魂碑や、昭和31年に建てられた鳥羽伏見の戦いでの殉難者の顕彰碑がある。
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