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東行庵
幕末維新の志士 高杉晋作の慰霊の地
東行庵は、幕末維新の志士 高杉晋作の慰霊の地で、晋作の霊位礼拝堂として明治17年(1884)に創建されました。墓地や記念館等を中心に、周辺は自然公園にもなっており、境内一帯は、早春には梅、初夏は菖蒲、秋は紅葉に彩られます。「東行」は晋作の号で、遺言により…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

安徳天皇西市御陵墓(参考地)
寿永4年(1185年)、壇ノ浦の戦いで二位の尼に抱かれて入水された安徳天皇の御遺骸は、義経の指示により埋葬されたと伝えられています。(宮内庁の指定を受ける西市御陵墓参考地)毎年4月24日には選定のご冥福をお祈りしておごそかに式典が行われています。
- 下関・秋吉台・宇部エリア

大照院
600を超える石燈籠が並ぶ、毛利家の菩提寺
大照院は、荒廃していたものを2代藩主・毛利綱広(つなひろ)が、亡き父、初代藩主・秀就(ひでなり)を弔うために再興した臨済宗の寺院です。秀就以下偶数代の萩藩主の墓所があり、墓前には600数基の石燈籠がずらりと並びます。少し苔むした石燈籠が鳥居に向かって整…
- 萩・長門エリア

東光寺
約500基の石灯籠が立ち並ぶ姿は圧巻
元禄4年(1691)に、3代藩主毛利吉就が萩出身の名僧慧極を開山として創建した全国屈指の黄檗宗の寺院で、大照院と並ぶ毛利家の菩提寺です。総門、三門、鐘楼、大雄宝殿は、いずれも国の重要文化財に指定されており、名刹の面影を残しています。本堂裏の毛利家墓所は、…
- 萩・長門エリア

南原寺
紅葉と四季折々の花が楽しめる山寺
桜山の九合目に位置する真言宗の古寺で、藩制時代の中頃から長門33ケ所の17番の札所となり、観音霊場として有名になりました。神功皇后や花山法皇の御陵があるといわれ、僧雪舟の心字池など歴史的な遺跡が多く、歴史の古さを物語っています。「ぼけ封じ観音」や「鳴る…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

吉田松陰の最初の墓
【施設概要】小塚原は江戸時代、処刑場の一つで、小塚原回向院は寛文7年(1667)に病刑死者の屍を埋葬するため創建されました。 吉田松陰が処刑された後、在江戸の門下生たちは師の遺骸を取り戻すため奔走し、その至誠情熱はついに獄吏をも動かし、引き渡しを受…
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徳山毛利家墓所
初代徳山藩主毛利就隆から12代元靖までの歴代当主とその妻子の墓96基が祀られています。近世大名の葬制を知るうえで非常に貴重であり、城下町徳山の歴史を語るうえで重要な史跡です。(周南市指定文化財)
- 岩国・柳井・周南エリア

大村益次郎墓
大村益次郎は、1825年(文政8)吉敷郡鋳銭司村(現山口市鋳銭司)の医家に生まれ、蘭学・医学を学び、兵学をもって萩藩に仕えました。四境戦争(1866年(慶応2))では、優れた戦術をもって幕府軍を破り、討幕の機を早め、戊辰の役にも参謀として活躍。明治維新後は軍…
- 山口・防府エリア

二尊院/宿坊えんとき
「楊貴妃伝説」で知られるお寺。宿坊では滝行・厄除けクルージ…
その昔、絶世の美女「楊貴妃」が難を逃れて小舟に乗り、この地に漂着したという伝説があります。境内には「楊貴妃の墓」と伝えられる五輪塔(県指定文化財)と、その菩提を弔うために安置された本尊である二尊仏「阿弥陀如来立像・釈迦如来立像」(国指定重要文化財・…
- 萩・長門エリア

覚皇山永明寺
庭園は池泉観賞式の石見地方屈指の名苑
室町時代から続く古刹。茅葺きの本堂や日本庭園、文豪森鴎外や津和野城主に関する寺宝など拝観することができます。【おすすめポイント】自然豊かな山内で静かな時間を過ごせる文豪森鴎外の墓所や関連資料季節によって見え方の違った日本庭園を楽しめる【外国人の方へ…
- 山口・防府エリア

吉田松陰の墓及び墓所
吉田松陰の墓は、松陰誕生の地に隣接し、団子岩とよばれる小高い風光明媚な所に建っています。墓碑は高さ0.8m、幅0.45m、礎石からの高さ1.6mの花こう岩質の自然石で作られ、表に「松陰二十一回猛士墓」、裏に「姓吉田氏、称寅次郎、安政六年己未十月二十七日於江戸…
- 萩・長門エリア

萩藩主毛利家墓所(旧天樹院墓所)
五輪塔形の墓が並ぶ毛利輝元の墓所
萩市堀内にある旧天樹院墓所は、山口市に所在する香山墓所、萩市に所在する大照院墓所、東光寺墓所とともに、長州藩36万石の藩主の墓地。萩藩を創設した毛利輝元の墓所で、天樹院は現在は廃寺となっています。2015年7月明治日本の産業革命遺産として世界遺産に登録さ…
- 萩・長門エリア

朝田墳墓群
弥生時代後半から古墳時代後半にわたる大墳墓群
明治維新公園裏の国道9号のトンネル上にあります。ここには弥生時代末期から古墳時代にかけての墳墓40基があります。発掘調査により、木棺墓6、箱式石棺墓13、壷棺墓4、周溝墓(浅い溝を巡らし封土をもたない墓)8、石蓋土壙墓(せきがいどこうぼ=地表面を堀りくぼ…
- 山口・防府エリア

大野毛利家墓所(秀巌寺)
大野毛利初代「就頼」の生母や正室が眠る
大野毛利初代就頼(なりより)の生母と正室ならびに正室の生母のお墓があり菩提寺として伝わっています。門をくぐった左手側にお墓があります。就頼は平生湾の開作を願いでて許可されました。海水を堰き止め、広大な140ヘクタールの干拓地を造るようになりました。
- 岩国・柳井・周南エリア

佐々木小次郎の墓
「佐々木古志らう」と記された墓標。小次郎の墓か!?阿武郡阿武町福賀の山腹で発見された。この墓は昔から知られていたが、昭和40年代の山火事以来、所在が不明になっていた。墓石の正面には、観音像かマリア像と見られる彫刻がある。そして、墓石の右側面に「佐々木…
- 萩・長門エリア

萩キリシタン殉教者記念公園
【全体概要】萩城の石垣築造に際して、五郎太石(石垣の間に詰める石)が盗まれるいう紛争が益田元祥と熊谷元直、天野元信の間で始まり、石垣築造工事が2ヶ月以上も遅延し、毛利輝元は非は熊谷、天野両氏にありとして、一族11人を討ち滅ぼしました。これを五郎太石事…
- 萩・長門エリア

善福寺
室町時代に創建された寺。幕末の志士や著名な絵師の墓が残る
指月山善福寺は永享年間(1429~40)に指月山麓に創建された臨済宗の寺院で、毛利輝元の萩城築城のため、この地に移されました。天文19年(1550)大内義隆が寺領を保証した文書は「萩」の地名が書かれた最古の資料といわれています。竿の部分に人の形をした像が彫られ…
- 萩・長門エリア

小野小町の墓

天徳寺
右田ヶ岳のふもとにある天徳寺は右田毛利氏の菩提寺で、寺の東の山麓には右田毛利家の墓所があります。境内には樹齢800年といわれる大きなイチョウの木があり、秋には美しい黄葉を見ることができます。
- 山口・防府エリア

大内義隆主従の墓所
室町時代、大内家は山口の町を中心に中国地方西部一帯から九州北部にかけて大きな力を持っていました。天文20年(1551)、重臣の陶すえ晴はる賢かたの謀反にあい、大内義隆は仙崎から海路九州へと逃れようとしたが叶わず、9月1日湯本の大寧寺で自じ刃じんしました。『…
- 萩・長門エリア
