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玉乃世履墓
【施設概要】玉乃世履は、幕末の岩国吉川藩の家臣です。主命により京都に遊学した玉乃は一流の学者に学ぶ一方、勤王の志士とも交流を深めました。岩国に帰郷してからは儒学者として活躍しつつ西洋兵学にも注目して地元で農兵を組織し洋式訓練を施し、この農兵が後の四…
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錦小路頼徳の墓と碑

山田顕義墓
護国寺は、五代将軍綱吉の生母桂昌院の発願で天和元年(1681)に創建された真言宗の寺院で、格式高い将軍家の菩提所です。本堂裏手は墓地になっており、三条実美、大隈重信など維新の元勲たちの巨大な墓標が競うように建てられています。長州藩出身の山縣有朋の墓もそ…
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虚無僧墓

中山忠光墓
中山忠光は、もともと孝明天皇につかえていた公家でした。幕末には、尊王攘夷派として活動し、武力によって幕府を倒そうとする天誅組の首領になりましたが、その戦いに敗れて長州へ逃げ、1864年(元治1)に暗殺されました。墓は、忠光を祀ってある中山神社境内にあり…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

阿倍野墓地
【全体概要】現在は大阪市設南霊園となっている共同墓地。大江神社から移したと思われる蛤御門の変(元治元(1864)年)での殉難の48基の招魂碑や、昭和31年に建てられた鳥羽伏見の戦いでの殉難者の顕彰碑がある。
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彦根戦死士之墓

吉見正頼息女の墓
【全体概要】石州三本松(津和野)城主吉見正頼が阿武郡を支配していた頃、この地に休憩所を設け、正頼の息女を住まわせていたが、天正8年(1585年)8月26日萩の指月邸において病死し、この地に葬った息女の宝篋印塔です。
- 萩・長門エリア

亀井家墓所

遠藤謹助墓
【施設概要】麟祥院は、徳川三代将軍家光の乳母春日局の菩提寺としても知られています。 局はここで余生を送り、その没後境内に墓地が造られました。 当時はお寺の周囲にカラタチの生垣をめぐらせていたので、からたち寺と呼ばれていたそうです。 長州ファイブの一…
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山崎隊士の墓所
【全体概要】徳山藩が士民有志で編成した山崎隊や、藩士で編成した献功隊の隊士などを祀る墓所です。山崎隊と献功隊は、本藩諸隊とともに戊辰戦争において函館の戦い等に参加しました。
- 岩国・柳井・周南エリア

岩国藩主吉川家墓所
吉川家代々墓所。岩国に入府した岩国吉川家初代広家から、六代経永を除く十二代経幹までの当主及びその一族の墓が五十一基あります。墓所裏手の山際には「みみずくの手水鉢」があります。
- 岩国・柳井・周南エリア

杉元相父子の墓所

和泉式部の墓
「恋多き女性」と評されるほど、情熱的な恋愛に関する歌を多く…
平安時代の歌人「和泉式部」が亡くなったと伝わる。和泉式部の墓は、円形に一段高く盛土された上に立てられています。式部は娘の小式部内侍を丘上の松原で安産されたので、その松原は「愛寝の松原」と呼ばれています。
- 下関・秋吉台・宇部エリア

豊久丸の墓
大内義弘死後の弟の盛見は、自分の子豊久丸を水死させ、世子持世を立て後見人となりました。水死体が湛尻の岸に上がったので、有縁の地として妙湛寺を建て祭りました。
- 山口・防府エリア

十二代豊田種長追善供養板碑
一ノ瀬にある長願寺跡の境内には、豊田氏累代の墓地があり、種長の板碑があります。地上9尺、幅4尺5寸、厚さ8寸で、梵字と種長御霊観応3年(1352)壬辰十月十八日と刻まれています。
- 下関・秋吉台・宇部エリア

南岳墓地
【全体概要】鳥羽伏見の戦い(慶応4(1868)年)における防長殉難者48士の墓碑が並ぶ。
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貞昌寺

広沢真臣の墓

青海島鯨墓
鯨墓は、高さ2.4メートル、幅0.46メートルの花崗岩の石塔です。正面には「業尽有情雖放不生」「故宿人天同証佛果」「南無阿弥陀仏」と陰刻され、側面には「元禄五年壬申五月 願主 設楽孫兵衛・池永藤右衛門早川源右衛門」と刻まれています。「鯨1頭取れれば7浦が賑わ…
- 萩・長門エリア








