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徳山毛利家墓所

初代徳山藩主毛利就隆から12代元靖までの歴代当主とその妻子の墓96基が祀られています。近世大名の葬制を知るうえで非常に貴重であり、城下町徳山の歴史を語るうえで重要な史跡です。(周南市指定文化財)

  • 岩国・柳井・周南エリア
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徳山毛利家墓所

維新十三人墓

慶応3年(1867年)萩藩は、幕末期の馬関戦争、禁門の変において戦死した、都濃郡宰判管内出身者の奉斎のために、山添招魂社を設立した。その後、奇兵隊や戊辰戦争の戦死者が合祀されるなど、明治維新前後に国事に殉じた若者13人が祀られている。

  • 岩国・柳井・周南エリア
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維新十三人墓

和泉式部の墓

「恋多き女性」と評されるほど、情熱的な恋愛に関する歌を多く…

平安時代の歌人「和泉式部」が亡くなったと伝わる。和泉式部の墓は、円形に一段高く盛土された上に立てられています。式部は娘の小式部内侍を丘上の松原で安産されたので、その松原は「愛寝の松原」と呼ばれています。

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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和泉式部の墓

仲哀天皇殯葬所

華山・西の岳の頂上に小祠があり、その昔、仲哀天皇を御殯葬した霊跡といい伝えられています。

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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仲哀天皇殯葬所

中山忠光墓

中山忠光は、もともと孝明天皇につかえていた公家でした。幕末には、尊王攘夷派として活動し、武力によって幕府を倒そうとする天誅組の首領になりましたが、その戦いに敗れて長州へ逃げ、1864年(元治1)に暗殺されました。墓は、忠光を祀ってある中山神社境内にあり…

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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中山忠光墓

高橋利兵衛の墓

元治元年(1864年)2月12日,攘夷派は薩摩が攘夷を唱えながら外夷と通商していることに怒り、室津に駐屯する義勇隊士が,近くの田布施別府浦に碇泊中だった薩摩藩御用商人の船を積荷もろとも焼き捨て、船主を殺害するという事件が起きた。同月26日事件に関わ…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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高橋利兵衛の墓

井上馨の墓

長州ファイブの1人  井上馨

井上は長州藩士井上家の次男として天保6年(1835)に湯田で生まれ、大正4年(1915)東京で亡くなりました。のちに分霊が洞春寺に祀られました。洞春寺は、永亀3年(1572)の春に毛利元就の菩提寺として、安芸国吉田の城内に創建され、幕末の頃に萩から現在…

  • 山口・防府エリア
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井上馨の墓

貞昌寺

毛利家一門筆頭宍戸家の菩提寺。代々の位牌と墓があります。

  • 岩国・柳井・周南エリア
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貞昌寺

岩国藩主吉川家墓所

吉川家代々墓所。岩国に入府した岩国吉川家初代広家から、六代経永を除く十二代経幹までの当主及びその一族の墓が五十一基あります。墓所裏手の山際には「みみずくの手水鉢」があります。

  • 岩国・柳井・周南エリア
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岩国藩主吉川家墓所

吉田松陰與小方市右衛門木刀銘の碑

小方市右衛門の墓の右横に吉田松陰の詩碑がある。これは安政五(一八五八)年、松陰を訪ねた市右衛門に対して、松陰は木刀に詩を揮毫し市右衛門に贈った。その詩を刻んだ石碑であり、書は大内青巒の筆である。小方市右衛門惟温は平生弘道館に学んで勤王の志篤く、常に…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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吉田松陰與小方市右衛門木刀銘の碑

大野毛利家墓所(秀巌寺)

大野毛利初代「就頼」の生母や正室が眠る

大野毛利初代就頼(なりより)の生母と正室ならびに正室の生母のお墓があり菩提寺として伝わっています。門をくぐった左手側にお墓があります。就頼は平生湾の開作を願いでて許可されました。海水を堰き止め、広大な140ヘクタールの干拓地を造るようになりました。

  • 岩国・柳井・周南エリア
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大野毛利家墓所(秀巌寺)

癒鶴地(鶴の墓)

ツルの墓の由来は、明治28年(1895年)にさかのぼります。春、シベリヤに向けて旅立ったツルの群れの中に、銃弾で傷つき、二羽のツルが峠に落ちてしまいました。これを見た村人の一人が自宅に連れ帰り、50日余りにわたって看病を続けたが、ついに死んでしまい、悲しん…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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癒鶴地(鶴の墓)

青海島鯨墓

鯨墓は、高さ2.4メートル、幅0.46メートルの花崗岩の石塔です。正面には「業尽有情雖放不生」「故宿人天同証佛果」「南無阿弥陀仏」と陰刻され、側面には「元禄五年壬申五月 願主 設楽孫兵衛・池永藤右衛門早川源右衛門」と刻まれています。「鯨1頭取れれば7浦が賑わ…

  • 萩・長門エリア
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青海島鯨墓

阿川毛利氏墓所

阿川毛利六代広規から十七代まで、歴代藩主の墓が立ち並びます。付近には居館跡も残っています。

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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阿川毛利氏墓所

児玉源太郎墓

【施設概要】児玉源太郎は、長州藩の支藩・徳山藩出身の陸軍軍人。 陸軍大学校長、台湾総督、陸相などを歴任した後、日露戦争では満州軍参謀長として全力を尽くして作戦指導にあたり、戦後まもなくの明治39年に、あたかも力尽きたかのように亡くなりました。 はじ…

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児玉源太郎墓

玉乃世履墓

【施設概要】玉乃世履は、幕末の岩国吉川藩の家臣です。主命により京都に遊学した玉乃は一流の学者に学ぶ一方、勤王の志士とも交流を深めました。岩国に帰郷してからは儒学者として活躍しつつ西洋兵学にも注目して地元で農兵を組織し洋式訓練を施し、この農兵が後の四…

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玉乃世履墓

阿倍野墓地

【全体概要】現在は大阪市設南霊園となっている共同墓地。大江神社から移したと思われる蛤御門の変(元治元(1864)年)での殉難の48基の招魂碑や、昭和31年に建てられた鳥羽伏見の戦いでの殉難者の顕彰碑がある。

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阿倍野墓地

杉元相父子の墓所

【全体概要】戦国時代、一時野上庄を領した杉元相・元宣父子の宝篋印塔

  • 岩国・柳井・周南エリア
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杉元相父子の墓所

赤祢武人墓所

柱島の西栄寺にある奇兵隊第三代総督赤祢武人墓所。柱島の医師の子として生まれた赤祢武人は、松下村塾で吉田松陰に学び、後に奇兵隊の第三代総督を務める。しかし、当時藩政を主導していた俗論派と正義派諸隊の調停を図ったことで二重スパイとして疑われることになる…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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赤祢武人墓所

野村望東尼終焉の宅跡及び墓

幕末の混乱した時代に、勤王歌人として、また志士の母として慕われた野村望東尼が、歌友荒瀬ゆり子宅で他界しました。宅跡は三田尻本町に、墓は桑山にあります。

  • 山口・防府エリア
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野村望東尼終焉の宅跡及び墓