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雨田草堂

明治の傑僧黙雷上人の記念家屋です。

  • 山口・防府エリア
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雨田草堂

中郷遺跡

  • 山口・防府エリア
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中郷遺跡

千林尼の大休・指月石畳道

千林尼の人を思う慈悲の心

【全体概要】船木逢坂の観音堂に住んでいた千林尼が、険しい坂道を行き来する人馬の苦しみを見かね、自ら托鉢をして浄財を集め、敷いた石畳道の一つで、文久2年(1862年)8月に完成した。現存の石畳道はその一部で、敷石の長さ約260m、幅1.5mである。

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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千林尼の大休・指月石畳道

長光寺山古墳

4世紀後半のものと推定される前方後円墳。

【全体概要】全長58mの南西向きの前方後円墳。4世紀後半のものと推定され、長門部における最古の古墳です。この古墳からの出土品は、県の有形文化財に指定されています。

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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長光寺山古墳

澄田稲荷社

寿永3年(1184)、屋島の戦に敗れた平家が海路を西に逃れていく中、平経盛の船は室積舟戸の浦に寄りしばし休息した。この時、経盛は、船路の安全の守護神として船中に祀っていた幸徳稲荷大明神を、この地に遷座することとし、同時に愛娘「澄姫(すみひめ)」を敗戦の…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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澄田稲荷社

須佐地古墳

竪穴式石室で石室の妻石が箱式石棺の手法で作られている。

  • 萩・長門エリア
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須佐地古墳

才谷古墳

【全体概要】才谷古墳は横穴式石室を内部主体とする小円墳で、昭和51年中国自動車道の建設に伴い発見された徳地町唯一の古墳である。古墳時代の後期の小型横穴式石室で使用石材はすべて角のとれた河原石で丁寧に組んである。

  • 山口・防府エリア
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才谷古墳

東福寺

【全体概要】鳥羽伏見の戦い(慶応4(1868)年)において、長州軍は本陣を東福寺に置いた。この戦いでは大勝利をおさめたが、殉死者が49名出た。そのほとんどがこの東福寺近くに葬られている。

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東福寺

五卿登陸処

文久3年(1863)の「八・一八の政変」後、勤王派の7人の公卿が京都を追われ、3隻の船に分乗して兵庫を船出して長州に向かいました。1番船には三条実美、2番船には三条西季知・壬生基修・四条隆謌・錦小路頼徳、3番船には東久世通禧・沢宣嘉が乗り込みました。3隻とも…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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五卿登陸処

豊久丸の墓

大内義弘死後の弟の盛見は、自分の子豊久丸を水死させ、世子持世を立て後見人となりました。水死体が湛尻の岸に上がったので、有縁の地として妙湛寺を建て祭りました。

  • 山口・防府エリア
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豊久丸の墓

木造地蔵菩薩坐像(蓮華寺)

田布施町蓮華寺に安置されています。ヒノキを材とした一木彫り寄木造りで、仏像の高さは78cmです。像の中に墨で書かれた銘文があり、1350年に「大仏師沙弥仏性」がつくったことがわかります。はぎ目がいずれも竹釘やかすがいで、像の解体が可能であるため、木寄せの模…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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木造地蔵菩薩坐像(蓮華寺)

富永有隣の碑

維新の動乱期、数々の功績を残しながら自身の来歴を語ろうとせず、また、同志や門弟達が新政府の要職に就き脚光を浴びている時も、ひとり裏街道を歩き、隠遁と苦難の生活にあまんじた人物が富永有隣です。明治17年から生涯を閉じるまで、この場所で後進の指導にあた…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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富永有隣の碑

生涯学習資料館

【全体概要】明治28年に開庁された旧吉部村本庁舎(昭和30年吉部村・高俣村が合併し、むつみ村本庁舎となる。)を改修し平成9年8月生涯学習資料館として開館。木造2階建て瓦葺き。1階には図書室・談話室、2階には民具展示室を設置している。

  • 萩・長門エリア
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生涯学習資料館

塚穴古墳

横穴式の石室をもつ古墳

  • 萩・長門エリア
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塚穴古墳

広沢真臣の旧宅跡

広沢真臣は萩の城下町で生まれ、藩庁が山口に移された際、現在の山水園の裏あたりに住みました。旧宅跡を示す石碑が残されています。

  • 山口・防府エリア
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広沢真臣の旧宅跡

薬師堂

白猿山薬師寺。俵山温泉の守護寺です。

  • 萩・長門エリア
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薬師堂

津和野町/主水畑

元和3年(1617)亀井政矩が4万6000石で津和野に入封、以後250年間亀井家がこの地を治め明治維新を迎えました。藩政を支えたのが親戚筋の家老多胡真清の他三兄弟で、以後も多胡家は代々藩主を助け、城下町の整備と産業の育成に辣腕を振るいます。今も町内に残る段々畑は…

  • 山口・防府エリア
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津和野町/主水畑

大村益次郎寓居跡

【全体概要】大村益次郎は倉屋敷作衛門の座敷に住みながら適塾で医学を学んだ。

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大村益次郎寓居跡

竹林寺

【全体概要】池田屋事変(元治元(1864)年)で捕われ、六角獄舎につながれていた志士たちは、蛤御門の変に際し逃亡を恐れた幕吏によって斬首された。その数は37名にのぼり、当時最大の悲惨な事件であった。その遺骸は竹林寺に合葬されている。

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竹林寺

三渡八幡宮

三渡八幡宮は町内でもっとも大きな由緒のあるお宮で、江戸時代にはここの宮司は当7社の大宮司として、野の下領にある7つの八幡宮、すなわち三渡、青原、程彼、須川、左鐙、木ノロ、小直の八幡宮を統括していた。この本殿は寛保3年(1743年)の造営で、日原町にも神社…

  • 山口・防府エリア
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三渡八幡宮
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