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寺嶋忠三郎誕生の地
【全体概要】寺嶋忠三郎の生地です。忠三郎は、松下村塾で吉田松陰に学び、尊王攘夷運動に尽くしましたが、禁門の変に際して久坂玄瑞とともに自刃しました。 顕彰碑と辞世の碑が建てられています。(周南市指定文化財)
- 岩国・柳井・周南エリア

長光寺山古墳
4世紀後半のものと推定される前方後円墳。
【全体概要】全長58mの南西向きの前方後円墳。4世紀後半のものと推定され、長門部における最古の古墳です。この古墳からの出土品は、県の有形文化財に指定されています。
- 下関・秋吉台・宇部エリア

石走山古墳
通称、石走山山頂近くの緩斜面にあります。両袖無形の横穴式石室をもつ小円墳です。玄室部には、神花社が祭られています。付近には、なお数基の未発掘の円墳が存在しています。
- 岩国・柳井・周南エリア

飢民の供養塔(大恩寺)
享保17年(1732年)、ウンカの異常発生によって西日本一帯は大凶作となり、庶民は飢えに苦しみました。ことに周防の国は悲惨で、備蓄用の倉を空にしてもなお手の施しようがなかったと言われています。飢民の供養塔は、この時の幾百人の餓死者を弔うためのものです。
- 岩国・柳井・周南エリア

富永有隣の碑
維新の動乱期、数々の功績を残しながら自身の来歴を語ろうとせず、また、同志や門弟達が新政府の要職に就き脚光を浴びている時も、ひとり裏街道を歩き、隠遁と苦難の生活にあまんじた人物が富永有隣です。明治17年から生涯を閉じるまで、この場所で後進の指導にあた…
- 岩国・柳井・周南エリア

平清水八幡宮本殿
社伝によると吉田、恒冨の鎮守として、大同4年(809)に豊前の宇佐八幡宮から神霊を迎えて創建したものとされています。平清水の社号は、神殿の右側にある泉が、日照でも、豪雨でも、水量が一定していることからつけられたといわれています。本殿は、三間社流造りで、…
- 山口・防府エリア

皇典講究所跡
【施設概要】皇典講究所は、明治15年に当時の麹町区飯田町(現在の千代田区飯田橋)に設立されました。 その後、明治22年に山田顕義を筆頭発起人として日本法律学校が開設され、また山田はさらに明治23年には皇典講究所の事業を拡張し、日本文化を研究するため…
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有富古墳
綾羅木川を中心として広がる沖積層平野の北側丘陵には多くの遺跡が残っています。有富古墳は、この丘陵地の北東に接する山のすそに位置し、明治32年(1899)の調査の際、有富古墳群として5基の円形墳が発見されましたが、現在では2基を残して他は消滅しています。直径…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

五卿の宿 肥後屋跡
文久3年(1863年)8月18日に起きた京都の政変で、京都を追われ長州に下った7人の公卿の内、三卿(五卿説もあり)がその途中、8月25日にこの肥後屋に宿泊した。翌、元治元年(1864年)7月、五卿(三条実美、三条西季知、東久世通禧、壬生基修、四条隆…
- 岩国・柳井・周南エリア

江泊瓦窯跡

阿川八幡宮のイヌマキ巨樹群
イヌマキはマキ科の常緑針葉高木。阿川八幡宮は下関市豊北町阿川にあり、イヌマキの巨木は境内のあちこちにあります。本殿裏のマキの森には、直径20cm以上の木が多数あり、そのほとんどがイヌマキです。樹齢600年を数えるものもあり、道路に面したイヌマキは目の高さ…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

庄地古墳
- 岩国・柳井・周南エリア

高橋利兵衛の墓
元治元年(1864年)2月12日,攘夷派は薩摩が攘夷を唱えながら外夷と通商していることに怒り、室津に駐屯する義勇隊士が,近くの田布施別府浦に碇泊中だった薩摩藩御用商人の船を積荷もろとも焼き捨て、船主を殺害するという事件が起きた。同月26日事件に関わ…
- 岩国・柳井・周南エリア

南岳墓地
【全体概要】鳥羽伏見の戦い(慶応4(1868)年)における防長殉難者48士の墓碑が並ぶ。
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吉田松陰與小方市右衛門木刀銘の碑
小方市右衛門の墓の右横に吉田松陰の詩碑がある。これは安政五(一八五八)年、松陰を訪ねた市右衛門に対して、松陰は木刀に詩を揮毫し市右衛門に贈った。その詩を刻んだ石碑であり、書は大内青巒の筆である。小方市右衛門惟温は平生弘道館に学んで勤王の志篤く、常に…
- 岩国・柳井・周南エリア

澄田稲荷社
寿永3年(1184)、屋島の戦に敗れた平家が海路を西に逃れていく中、平経盛の船は室積舟戸の浦に寄りしばし休息した。この時、経盛は、船路の安全の守護神として船中に祀っていた幸徳稲荷大明神を、この地に遷座することとし、同時に愛娘「澄姫(すみひめ)」を敗戦の…
- 岩国・柳井・周南エリア

小林和作画伯・浜村秀雄(ボストンマラソン優勝者)展示室








