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小川家長屋門

【全体概要】小川家はもと町奉行の一人で500石を領した中級武士。安政の初期, またはそれ以前の建築といわれ、扉の金具、出格子の細部など優れたもので、当時の武士の生活様式を知ることができます。

  • 萩・長門エリア
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小川家長屋門

土井ヶ浜遺跡

砂堆丘にいとなまれた弥生時代の集団墓地遺跡

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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土井ヶ浜遺跡

嘉楽園

嘉楽園は、旧藩主亀井氏の藩邸の庭園の一部で、初代養老館学頭の山口景徳によって名づけられました。物見櫓、馬場先櫓が残り、旧藩邸の面影を伝えています。春は桜が美しく、名所として知られいます。また、秋にはイチョウを楽しむことができます。

  • 山口・防府エリア
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嘉楽園

椿山荘

【施設概要】現在では結婚式場として知られる文京区関口の椿山荘は、もと山県有朋邸です。 「椿山」とは山県の号で、明治11年に購入した後、三重塔や銘木、銘石を配するなどぜいたくを極めた庭園を造園したもので、戦災で失われましたがかつては約1,000坪の大邸…

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椿山荘

前原一誠旧宅

【全体概要】藩士佐世家に生まれ、父の出役の関係で幼少期を厚狭郡船木(山陽小野田市)で過ごした。24歳の安政4年(1857)萩に帰り、松下村塾に入門。その後、洋学の修得に励むが、文久2年(1862)脱藩上京し、長井雅楽の暗殺を図るなど尊王攘夷運動に参加する。文久…

  • 萩・長門エリア
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前原一誠旧宅

大村益次郎寓居跡

【全体概要】大村益次郎は倉屋敷作衛門の座敷に住みながら適塾で医学を学んだ。

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大村益次郎寓居跡

東福寺

【全体概要】鳥羽伏見の戦い(慶応4(1868)年)において、長州軍は本陣を東福寺に置いた。この戦いでは大勝利をおさめたが、殉死者が49名出た。そのほとんどがこの東福寺近くに葬られている。

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東福寺

相国寺

【全体概要】蛤御門の変(元治元(1864)年)で殉難した長州藩士20数名が葬られている。

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相国寺

虚無僧墓

酒好きな虚無僧の墓で、頭痛を患う人が酒を供えると治るといわれています。

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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虚無僧墓

やげん谷一里塚

【全体概要】江戸時代、街道沿いに造られた一里塚の一つ。

  • 岩国・柳井・周南エリア
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やげん谷一里塚

土手町南蛮樋

建設当時のオランダ最新技術

この樋門の特徴は、それまでの唐樋と違い、ロクロの心棒部分と樋門の樋蓋を縄でむすび、鉄製のハンドルを回すことで、樋蓋を上下させることで樋門を開閉させる当時のオランダ最新技術を使ったところです。そのため、南蛮渡来の技術を使った樋門ということで「南蛮樋」…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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土手町南蛮樋

木戸孝允旧邸跡

【全体概要】木戸孝允は、慶応年間にここに本邸を新築し山口藩庁政治堂に通っていました。

  • 山口・防府エリア
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木戸孝允旧邸跡

江泊瓦窯跡

【全体概要】この窯跡は,防府市東方にある江泊山の丘陵北斜面で発見された平安時代の瓦窯です。周防国府や国分寺に供給していたと考えられています。

  • 山口・防府エリア
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江泊瓦窯跡

岩隈八幡宮(木造扁額「八幡宮」独立性易筆)

【全体概要】玖珂六ヶ郷の惣社とされ、祭神は応神天皇、仲哀天皇など9座。県指定文化財で、杉材の額板に、隷書体で「八幡宮」と深く陰刻されている木造扁額「八幡宮」を所蔵しています。額縁も杉材で、棟木(むなぎ)を耳状、足柱(あしばしら)を猫足状に作っていま…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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岩隈八幡宮(木造扁額「八幡宮」独立性易筆)

下瀬山城跡

吉見氏の一族、下瀬氏の居城跡で、礎石と五代頼郷と六代頼重の墓が残っている。下瀬氏は津和野・三本松城の北の備えとしてここに城を築き、慶長5年(1600年)吉見氏か長門国に移るまで八代約300年間、この地方の統治にあたった。下瀬氏が下瀬山に城を築いたのは、北条…

  • 山口・防府エリア
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下瀬山城跡

納蔵原古墳

大波野の誓立寺から北西に約150m、通称納蔵原の丘陵上にある前方後円墳で、石室は両袖式でほぼ南西方向に開口しています。出土品は田布施町郷土館に展示、保管されています。

  • 岩国・柳井・周南エリア
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納蔵原古墳

吉田宿

宿場の入口はT字形となっており、突き当たりに市恵比須があります。右に行けば萩、左に行けば赤間関に至る追分となっており、今も石標が残されています。藩はここに吉田宰判の勘場(代官所)を置きましたが、吉田勘場館跡には、今も建物の一部と練塀がその姿を残して…

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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吉田宿

澄田稲荷社

寿永3年(1184)、屋島の戦に敗れた平家が海路を西に逃れていく中、平経盛の船は室積舟戸の浦に寄りしばし休息した。この時、経盛は、船路の安全の守護神として船中に祀っていた幸徳稲荷大明神を、この地に遷座することとし、同時に愛娘「澄姫(すみひめ)」を敗戦の…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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澄田稲荷社

正護寺

臨済宗で山号を方松山といいます。この寺は、大内氏の一族右田氏から分れた、弘賢が13世紀末にこの陶の地を領し、地名を氏とし、陶氏を名乗るようになりました。陶弘賢はこの正護寺の前方の台地に屋形を築き、政務をとりました。現在屋形の土塁の一部が残っています。…

  • 山口・防府エリア
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正護寺

上長瀬一里塚

【全体概要】山口から萩に向かう、防長の国境をこえた最初の一里塚。凝灰岩を積み上げて径5mの塚をつくっています。

  • 萩・長門エリア
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上長瀬一里塚