条件指定検索
- カテゴリを選択
- エリアを選択
- 現在地からの距離を選択
- 現在の検索条件
- 名所・史跡
- 歴史・文化の展示館
- 人物の資料館
- 郷土館・民族資料館
- 社寺の宝物殿・資料館
検索結果
- 並び順
- アクセス数順
- 更新順
- 現在地から近い順
- 表示切り替え
- タイル
- リスト
- マップ
松浦松洞誕生地
【全体概要】松浦松洞(亀太郎)は、幼い頃から絵が得意で、京都の小田海僊に画法を学んだ。安政3年(1856)、20歳で松下村塾に入塾し、松陰が江戸に送られる直前に肖像画を描きました。文久2年(1862)、久坂玄瑞らとともに上京。公武合体論を主張する長井雅楽の暗殺…
- 萩・長門エリア

穴観音古墳
【全体概要】穴観音古墳は、6世紀から7世紀初頭にかけて構築されたものとみられています。横穴の石室の上に四角形の墳丘を特色のある方墳であって、石室内には、観音石仏がまつられ、耳の病気が治るという言い伝えがあります。
- 萩・長門エリア

八幡隊結成の地
八幡隊は文久3年(1863)9月に堀真五郎を初代総督として八幡馬場で結成された隊です。総督には当初、久坂玄瑞が推されましたが、自由な身の振りを求めて辞退し、代わりに堀真五郎を就かせました。
- 山口・防府エリア

陶陶窯跡
陶陶窯跡は、須恵器を焼いた窯で、平安時代初期に使われたものと思われます。この地方の地名を陶ということからわかるように、この地では古くから窯業が盛んに行われていました。現在陶地区の北側の山裾一帯には広く須恵器の破片が散布しており、各所に窯跡と見られる…
- 山口・防府エリア

亀井家墓所

弥栄神社
県を代表する古典芸能神事「鷺舞」の舞台として有名な神社です。元々は「滝本祗園社」の名で太鼓谷山上にあったが、城の鬼門鎮護のため正長元年(1428)に現在の地に移されました。毎年7/20、7/27に開催される「鷺舞」は二羽の鷺が優雅に舞う神事。天文11年(1542)に疫病…
- 山口・防府エリア

廣福寺
【全体概要】697年、役の行者によって開かれた寺です。本尊は大内の祖先により招来された聖観世音菩薩です。所在地より中山観音の呼称があります。毎年2月18日は初観音縁日が催され、植木市なども行われます。尚、本尊聖観世音菩薩は秘仏であり、20年に一度開…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

鷹司邸跡
【全体概要】蛤御門の変(元治元(1864)年)の際、長州藩兵が立て籠もり、長州藩兵が放った火で邸宅が燃え盛るなか、久坂玄瑞らが自ら命を絶った。
detail_17970.html
楫取素彦三田尻岡村本邸
【全体概要】楫取素彦は、その晩年を防府で過ごし、この本邸にて没しました。書簡によると、明治26年(1893年)に現在の防府市岡村町に屋敷を構えたものと推測できます。この男爵邸は、500坪敷地の大邸宅、迫戸川から三田尻港に流れる疎水に架かる御影石の立派な石橋…
- 山口・防府エリア

国司親相幽閉賜剣之地

小方謙九郎の墓、小方市右衛門の墓、小方弘徳君碑
石碑は大正2年、小方謙九郎を称えて建てられたものです。小方謙九郎は高杉晋作が結成した奇兵隊に入隊し、馬関攘夷戦に参戦した後、第二奇兵隊の参謀となり、四境の役で活躍しました。維新後は室津に帰り、室津村の第一回村会議員を務め、四階楼を建てた石碑の隣には…
- 岩国・柳井・周南エリア

独立一勺の水
この地は、江戸時代に、真言宗龍門寺のあった所です。三代藩主広嘉の病気治療のため岩国を訪れ、錦帯橋創建のきっかけを作った独立禅師が、「一勺源頭の水…」の漢詩を詠んだといわれる所です。
- 岩国・柳井・周南エリア

三渡八幡宮
三渡八幡宮は町内でもっとも大きな由緒のあるお宮で、江戸時代にはここの宮司は当7社の大宮司として、野の下領にある7つの八幡宮、すなわち三渡、青原、程彼、須川、左鐙、木ノロ、小直の八幡宮を統括していた。この本殿は寛保3年(1743年)の造営で、日原町にも神社…
- 山口・防府エリア

鋳物師大師塚

澄田稲荷社
寿永3年(1184)、屋島の戦に敗れた平家が海路を西に逃れていく中、平経盛の船は室積舟戸の浦に寄りしばし休息した。この時、経盛は、船路の安全の守護神として船中に祀っていた幸徳稲荷大明神を、この地に遷座することとし、同時に愛娘「澄姫(すみひめ)」を敗戦の…
- 岩国・柳井・周南エリア

岡崎八幡宮のクスノキの大樹
岡崎八幡宮は、船木地区の鎮守で、船木地区が一望できるように西に向かって建てられています。境内のクスノキは、高さは約20メートル、幹周囲は4.4メートルで樹齢は約700年から800年と推定されます。クスノキの巨木に寄生するキセル貝は、潮の干満につれて幹を上下す…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

井上馨墓
井上馨は、幕末に長州藩秘密留学生としてイギリスに渡りましたが、滞在中に藩の危機を知り伊藤博文とともに急遽帰国、その後は高杉晋作らと討幕運動に奔走しました。維新後は外相や蔵相などを歴任し、理財の才に優れていたことから、財界にも大きな影響力を持っていま…
detail_17367.html
福田侠平の墓
福田侠平は山県有朋とともに奇兵隊の軍監を務め、高杉晋作や、他の隊士の信頼も厚かったと伝えられています。お墓は本人の希望により東行庵の高杉晋作の横にもありますが、ここには遺髪が埋められています。近隣の北辰妙見社には位牌が祀られています。
- 山口・防府エリア

大陽寺庭園

光市文化センター








