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吉田宿
宿場の入口はT字形となっており、突き当たりに市恵比須があります。右に行けば萩、左に行けば赤間関に至る追分となっており、今も石標が残されています。藩はここに吉田宰判の勘場(代官所)を置きましたが、吉田勘場館跡には、今も建物の一部と練塀がその姿を残して…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

口羽家住宅

問田益田氏旧宅土塀
萩藩の重臣で4,000石を領した問田益田氏旧宅の土塀。堀内地区は萩藩重臣の邸宅が並んでいた所で、中でもこの土塀は最もよく旧態を留めています。市指定文化財。2015年7月明治日本の産業革命遺産として世界遺産に登録された萩城下町にあります。
- 萩・長門エリア

松浦松洞誕生地
【全体概要】松浦松洞(亀太郎)は、幼い頃から絵が得意で、京都の小田海僊に画法を学んだ。安政3年(1856)、20歳で松下村塾に入塾し、松陰が江戸に送られる直前に肖像画を描きました。文久2年(1862)、久坂玄瑞らとともに上京。公武合体論を主張する長井雅楽の暗殺…
- 萩・長門エリア

吉田松陰東送の碑
【全体概要】安政6年(1859)5月25日午前9時ごろ、江戸幕府により東送を命ぜられた吉田松陰は、唐丸籠に乗り、食事ができる程度にゆるく手を縛られ、小雨の中萩を後にしました。途中、小休止をとった萩往還沿いの夏木原で、日本の現状を憂い、行く末を案じて詠んだ詩が…
- 萩・長門エリア

伊藤井上両公上陸の碑
文久3年(1863年)、「長州ファイブ」の一員としてイギリスにいた伊藤博文、井上馨は、英米仏蘭の4ヶ国連合艦隊が下関を攻撃するとの情報に接し、英国留学を中断して帰国の途につきました。両名は、元治元年(1864年)6月24日に富海に上陸し、飛船問屋入本屋磯七の宅…
- 山口・防府エリア

五卿登陸処
文久3年(1863)の「八・一八の政変」後、勤王派の7人の公卿が京都を追われ、3隻の船に分乗して兵庫を船出して長州に向かいました。1番船には三条実美、2番船には三条西季知・壬生基修・四条隆謌・錦小路頼徳、3番船には東久世通禧・沢宣嘉が乗り込みました。3隻とも…
- 岩国・柳井・周南エリア

富永有隣の旧宅跡地
冨永有隣は、松下村塾の教師として明治の元勲達を教育した人物です。「馬関戦争」「四境戦争」では軍功を立てましたが、国事犯として石川島獄に投ぜられ、大赦によって富永家の移居していた瓜迫に帰り、著述のかたわら近在の青年に道を説き書を講じました。独歩の小説…
- 岩国・柳井・周南エリア

秋根一号古墳
秋根神社の境内にある6世紀中頃の円形墳で、墳丘が削られ、石室の一部が露出しています。石室は横穴式石室で、奥室と前室があり、室壁はほとんどが礫岩で一部に花崗岩が使われています。さらに石室全体は、天井部に近いほど小石を積み上げドーム状になっています。奥…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

白鳥古墳 付陪塚及び周濠
県内最大規模の前方後円墳
白鳥古墳は、古墳時代中期の前方後円墳。規模は、全長120m、後円部の 径64m、高さ 11m、前方部の径60m、高さ8.5mで、山口・広島地域で最大といわれています。この古墳がある丘の東側の部分には、幅20.8m、深さ2.1mの周濠(周りのからぼり)があり、この周壕を含む…
- 岩国・柳井・周南エリア

法輪寺

長門鋳銭所跡
長門鋳銭所跡は、覚苑寺境内一帯と考えられ、奈良・平安時代に銭貨の鋳造を行った所です。長門国衙に付設され、その開設は和同年間(708~715)で、史跡地内からは、708年(和銅1)から鋳造が開始された貨幣である和同開珎1枚と、それを作ったときの型、るつぼや鞴口な…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

善生寺庭園

熊谷家住宅
【全体概要】1754年(宝暦4)以来、萩藩の御用達として栄えてきた豪商熊谷家の住宅建築です。現在の住宅は、熊谷五郎右衛門が分家して1768年に新築したものと伝えられ、広大な屋敷地に主家のほか、離れ座敷、土蔵など十数棟が建ち並んでいます。
- 萩・長門エリア

大村益次郎寓居跡
【全体概要】大村益次郎は倉屋敷作衛門の座敷に住みながら適塾で医学を学んだ。
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貞昌寺

鶴ヶ嶺八幡宮
仲哀天皇、神宮皇后、応神天皇、比売大神を祭神とし、547年(天文16)この地に建てられたといわれています。境内には、樹齢300年余りを経た大杉や大松がそそりたち、森厳な雰囲気を漂わせています。社殿に近い西側前方にあるクスノキは、目通り7.9m、高さ27m、幹は地…
- 萩・長門エリア

厚狭毛利家墓所
厚狭毛利家一族が眠る場所
【全体概要】郡、船木に八千余石を領した毛利元康以降13代及びその一族の墓所。洞玄寺裏山にあり、毛利勅子(徳基高女の開創者)の墓もならんでいます。
- 下関・秋吉台・宇部エリア

吉田松陰與小方市右衛門木刀銘の碑
小方市右衛門の墓の右横に吉田松陰の詩碑がある。これは安政五(一八五八)年、松陰を訪ねた市右衛門に対して、松陰は木刀に詩を揮毫し市右衛門に贈った。その詩を刻んだ石碑であり、書は大内青巒の筆である。小方市右衛門惟温は平生弘道館に学んで勤王の志篤く、常に…
- 岩国・柳井・周南エリア

西方寺
龍池山紫雲院西方寺は慶長年間長誉貞龍上人が堂を建て、このときから知恩院直末となりました。寛文年間、毛利綱広公より本堂再建のための松の木百本、毛利家家紋入り提灯が贈られた。幕末の動乱期の元治元年(一八六四)には、高杉晋作が結成した奇兵隊をはじめとした…
- 岩国・柳井・周南エリア








