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有富古墳

綾羅木川を中心として広がる沖積層平野の北側丘陵には多くの遺跡が残っています。有富古墳は、この丘陵地の北東に接する山のすそに位置し、明治32年(1899)の調査の際、有富古墳群として5基の円形墳が発見されましたが、現在では2基を残して他は消滅しています。直径…

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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有富古墳

山田家本屋

【全体概要】慶長の頃小早川隆景に仕え、後に湯野の領主竪田元慶の家臣となった山田氏の住宅で、古式を伝える在郷武家のものです。現在は湯野地区に移築されていますが、もとは旧山陽道に面し、村田清風や幕末の志士が訪れています。桁行15.76m、梁間7.85m、建坪 26…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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山田家本屋

郡司鋳造所遺構広場

【全体概要】萩藩の代表的な鋳物師であった松本郡司家の鋳造工房の遺構を移築整備した広場です。なかでも、西洋式の青銅大砲を鋳造し、一番深いところで4.5mある巨大な石組み大砲鋳造遺構は日本でも唯一のものです。

  • 萩・長門エリア
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郡司鋳造所遺構広場

早長八幡宮

【全体概要】江戸時代、瀬戸内海の交通の要衝として栄えた室積地域の氏神である早長八幡宮。毎年10月の第2日曜日に行われる秋祭りでは、威勢のよい「木遣り唄」が歌われながら、山車が町内を引き回されます。

  • 岩国・柳井・周南エリア
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早長八幡宮

旧内務省下関土木出張所乾船渠

明治43年(1910)、関門海峡は横浜、神戸、敦賀とともに国の第一種重要港湾に指定されました。海峡の航路確保のため、翌年には内務省下関土木出張所も設置され、西日本最大の土木基地となりました。このための作業船の造船、修理を行うために付設された下関機械工場の現…

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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旧内務省下関土木出張所乾船渠

彫刻のまち宇部

宇部市では、戦後のまちの美化と心の豊かさを求める市民運動を契機に、1961年から名称を変えながら野外彫刻展の開催を続け、2024年3月26日に「最も長く続いている野外彫刻展」としてギネス世界記録™に認定されました。会場となるときわ公園や、市街…

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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彫刻のまち宇部

鶴ヶ嶺八幡宮

仲哀天皇、神宮皇后、応神天皇、比売大神を祭神とし、547年(天文16)この地に建てられたといわれています。境内には、樹齢300年余りを経た大杉や大松がそそりたち、森厳な雰囲気を漂わせています。社殿に近い西側前方にあるクスノキは、目通り7.9m、高さ27m、幹は地…

  • 萩・長門エリア
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鶴ヶ嶺八幡宮

糸根の松原

クロマツ巨樹群に圧倒されます

【全体概要】糸根地区公園内のクロマツ巨樹群約12,000㎡(クロマツの成木約90本)。当松原は、JR埴生駅南方約1.0km、埴生小学校の前方国道2号に添い、沿岸のかっての砂洲上に群生するクロマツ巨樹群である。最大のものは、目通り幹囲293cm、樹高20mの大木である。樹齢…

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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糸根の松原

円応寺

昔話「三年寝太郎」の寝太郎伝説が今も伝わる

ものぐさで毎日寝てばかりいた若者の話寝太郎伝説が今も伝わる当地には,寝太郎権現のお社と,500年前のものともいわれる「寝太郎稲荷木像」がある。

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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円応寺

清鏡寺(清水宗治主従の供養塔)

豊臣秀吉の水ぜめで知られる備中吉備郡高松城の城主清水宗治の菩提寺で、「清水宗治主従の供養塔」があります。古くは吉祥寺と称していたが、分禄3年(1594年)清鏡寺と改めました。

  • 岩国・柳井・周南エリア
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清鏡寺(清水宗治主従の供養塔)

独立一勺の水

この地は、江戸時代に、真言宗龍門寺のあった所です。三代藩主広嘉の病気治療のため岩国を訪れ、錦帯橋創建のきっかけを作った独立禅師が、「一勺源頭の水…」の漢詩を詠んだといわれる所です。

  • 岩国・柳井・周南エリア
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独立一勺の水

富永有隣の碑

維新の動乱期、数々の功績を残しながら自身の来歴を語ろうとせず、また、同志や門弟達が新政府の要職に就き脚光を浴びている時も、ひとり裏街道を歩き、隠遁と苦難の生活にあまんじた人物が富永有隣です。明治17年から生涯を閉じるまで、この場所で後進の指導にあた…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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富永有隣の碑

立石孫一郎の碑

第二奇兵隊幹部の立石孫一郎は、倒幕を急ぐあまり仲間を引き連れて隊を脱走し、倉敷代官所などを襲撃しました。その後、幕軍に追われることとなり、慶応2年(1866年)藩命に背いたとされ千歳橋の橋上で暗殺されました。その場所の近くに、石碑と小さな祠が建てら…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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立石孫一郎の碑

室積台場跡

江戸時代末、四国艦隊の報復攻撃に備え沿岸に砲台場を築いたもの。当時の長州藩は男手が不足し、後に残った婦女子が中心になってこれを築きました。このことから、通称「女台場」といわれています。市指定史跡となっています。

  • 岩国・柳井・周南エリア
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室積台場跡

種田山頭火生家跡

【全体概要】「雨ふるさとははだしであるく」で有名な漂泊の俳人種田山頭火の生家跡生家跡は防府天満宮から歩いてほど近い場所にあります。

  • 山口・防府エリア
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種田山頭火生家跡

宮市本陣兄部家

【全体概要】鎌倉時代から周防国合物商の長職だった宮市の商人兄部家。1642年(寛永19)に宮市本陣に定められ、西国の大名や幕府の上級役人が宿泊するようになりました。

  • 山口・防府エリア
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宮市本陣兄部家

菊舎尼の句碑(徳応寺)

長府金屋町の商店街のはずれに徳応寺があり、この入口左側に、女流俳人田上菊舎の墓と句碑があります。菊舎は加賀の千代女と並び称される女流俳人です。句碑は、文政5年(1819)故郷長府に落ち着いた時に建てられたもので、旅中に受け取った父母からの手紙を碑の下に…

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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菊舎尼の句碑(徳応寺)

大内義隆供養塔

室町時代の守護大名大内義隆が長門市大寧寺で自害、側室の子息が忍び逃れ、御舟子の養雲院の住職となり、義隆卿、正室、側室を供養するため建立した石塔が三基あります。

  • 萩・長門エリア
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大内義隆供養塔

花岡勘場跡地

花岡勘場跡地は、萩藩創建期の頃に設置された都濃宰判(代官所)の跡地です。代官は年3回春秋冬に萩から出張して重要な決裁を行っていました。日頃は大庄屋が出勤して代官の代わりを務めていたといいます。付近には、御茶屋(本陣)・御番所・高札場などがあり、花岡…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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花岡勘場跡地

宮原古墳

巨石で築造された羨道・玄室当をもつ古墳時代後期の片袖横穴式石室墳です。石棺・馬具類・須恵器などが出土しました。

  • 岩国・柳井・周南エリア
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宮原古墳