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涙松跡/涙松遺跡(萩往還)
人々が萩のまちとの別れを惜しみ涙した場所
江戸時代、萩城下から山口へ通じる藩主御成街道は、萩市大屋から左へ折れるので、城下が見えるのもここが最後となります。松並木の間に見え隠れする萩を見返り、別れの涙を流すというので、ここの街道並木を「涙松」と呼んでいます。幕末、吉田松陰が安政の大獄で江戸…
- 萩・長門エリア

明月上人誕生地(願行寺)
明月上人は、享保12年(1727)日前の願行寺に生まれ、松山の圓光寺第7世法灯を継いだ人間味豊かにして逸話多き僧。20歳の頃江戸に遊学し仏儒の学を究め、徂徠(そらい)の古学を好みました。越後の良寛、備中の寂厳(じゃくごん)と共に「近世の三筆」と称せられ、「…
- 岩国・柳井・周南エリア

問田益田氏旧宅土塀
萩藩の重臣で4,000石を領した問田益田氏旧宅の土塀。堀内地区は萩藩重臣の邸宅が並んでいた所で、中でもこの土塀は最もよく旧態を留めています。市指定文化財。2015年7月明治日本の産業革命遺産として世界遺産に登録された萩城下町にあります。
- 萩・長門エリア

岡崎八幡宮のクスノキの大樹
岡崎八幡宮は、船木地区の鎮守で、船木地区が一望できるように西に向かって建てられています。境内のクスノキは、高さは約20メートル、幹周囲は4.4メートルで樹齢は約700年から800年と推定されます。クスノキの巨木に寄生するキセル貝は、潮の干満につれて幹を上下す…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

山田顕義旧宅跡

宇津観音堂
日本海にそびえたつ断崖絶壁と弘法大師の正観音
見島の宇津観音堂には、全国3か所にあるといわれ、弘法大師が彫られたといわれる正観音が祭られています。御利益が多いといわれ、四国や九州からも参拝があります。お堂は赤褐色の火山噴出物の断崖に立っていますが、観音崎の断崖絶壁と日本海は素晴らしい眺めです。
- 萩・長門エリア

品川弥二郎旧宅跡

奥阿武宰判勘場跡
【全体概要】勘場跡は、貞享4年(1687年)から明治11年の初めまでの200年間、奥阿武宰判の代官所として、むつみ村、阿東町、須佐町、田万川町、阿武町(奈古を除く)を統括し、政治・文化の中心地でした。現在は、敷地及び周辺の石組みが残っています。
- 萩・長門エリア

玉木文之進旧宅
【全体概要】松陰の叔父で、松下村塾を創めました。松陰の師にあたり、乃木希典はこの家から明倫館に通いました。【その他】●周辺観光施設●松陰神社、松下村塾、伊藤博文別邸、伊藤博文旧宅、東光寺など
- 萩・長門エリア

赤禰武人処刑場の碑

法光寺(阿弥陀堂の仏像)
法光寺は、1186年(文治2)に、奈良東大寺再興のためこの地に下向した俊乗坊重源が建立した安養寺の遺構。阿弥陀堂には、5体の仏像が安置されています。(1)木造阿弥陀如来坐像像高は128.7cm、ヒノキ材、頭、体部を両ひじまでふくめて竪一材から彫りだしています。(2)木…
- 山口・防府エリア

明治維新百年記念公園

堀川南蛮樋
干拓地を造るために建造
この樋門の特徴は、それまでの唐樋と違い、ロクロの心棒部分と樋門の樋蓋を縄でむすび、鉄製のハンドルを回すことで、樋蓋を上下させることで樋門を開閉させる当時のオランダ最新技術を使ったところです。南蛮渡来の技術を使った樋門ということで「南蛮樋」(またはナ…
- 岩国・柳井・周南エリア

皇典講究所跡
【施設概要】皇典講究所は、明治15年に当時の麹町区飯田町(現在の千代田区飯田橋)に設立されました。 その後、明治22年に山田顕義を筆頭発起人として日本法律学校が開設され、また山田はさらに明治23年には皇典講究所の事業を拡張し、日本文化を研究するため…
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周布政之助の碑
【全体概要】周布は藩政の主導権を幕府の考え方に従おうとする俗論等に奪われた責任を取り、自刃しました。その場所の近くに功績を伝える碑が建っています。
- 山口・防府エリア

山田顕義誕生地(顕義園)
【全体概要】山田顕義は、1844年(弘化元年)に萩藩士山田七兵衛の長男として生まれ、14歳の時に松下村塾に入門した。吉田松陰にとっては最年少の門下生だったらしい。戊辰戦争で大きな功績を残し、明治に入ってからは佐賀の乱、西南戦争の鎮静に尽力。その後、日本の…
- 萩・長門エリア

龍文寺
【全体概要】曹洞宗の名刹で室町時代大内氏の重臣であった陶氏の墓所があります。市文化財の鉄造茶釜や、県の無形文化財に指定されている「念仏踊り」は有名です。
- 岩国・柳井・周南エリア

萩焼古窯跡群
【全体概要】江戸時代初期、萩藩主である毛利家は、文禄・慶長の役(1592~98)で連れ帰った朝鮮人陶工に命じて松本村中の倉(現萩市椿東)に御用窯を開きました。御用窯はそののち大津郡深川村三ノ瀬(そうのせ・現長門市湯本)にも分かれたため、それぞれの窯品を「松…
- 萩・長門エリア

大田・絵堂戦跡記念碑
慶応元年(1865)1月、美東町の大田・絵堂を主戦地として、保守派の藩政府軍と、諸隊との戦いが始まりました。下関の功山寺で決起した高杉晋作に呼応した諸隊と、鎮圧しようとした藩政府軍とが対峙し、10日間の交戦で諸隊が勝利しました。現在、呑水、絵堂、川上の戦…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

白須たたら製鉄遺跡
白須山北麓を流れる白須川左岸の台地上(標高約130m)に位置する江戸時代後期の製鉄遺跡。関係古文書から安政3年(1856)頃、島根県日原の豪商水津弥七がたたらを経営し、生産鉄を萩藩の造船などに供給したことがわかっています。
- 萩・長門エリア








