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赤禰武人処刑場の碑

北方八幡宮
もとは東岐波に宇佐八幡宮の祭神を勧請したことにはじまり、1255年(鎌倉時代)これを南北に分神させた際に、北方を当地に神殿が移されました。左右に突き出た部分をもつ優美な屋根が特徴の楼門は、大内時代の建築様式を残す県内でも珍しいものです。毎年9月敬老の日…
- 山口・防府エリア

普門寺塾跡

四境の役砲撃戦跡

東隆寺

呼坂宿駅本陣跡

明倫館遺構南門
この門は、嘉永2年(1849)江向に新築された新明倫館の正門として建てられたもので、明倫館全体からみて南にあたるので南門と名付けられたが、通称表御門と呼ばれていました。門は切妻造り本瓦葺きで桁行3.94m、梁間3.15mの一間一戸の四脚門で、左右に袖があり、潜…
- 萩・長門エリア

寺島忠三郎関連史跡
寺嶋忠三郎は、天保14年(1843)近習寺嶋太治郎の二男として生まれました。16才で松下村塾に入り吉田松陰の弟子となり、尊王攘夷運動に尽くしましたが、禁門の変に際して久坂玄瑞とともに自刃しました。顕彰碑と辞世の碑が建てられています。
- 岩国・柳井・周南エリア

和泉式部の墓
「恋多き女性」と評されるほど、情熱的な恋愛に関する歌を多く…
平安時代の歌人「和泉式部」が亡くなったと伝わる。和泉式部の墓は、円形に一段高く盛土された上に立てられています。式部は娘の小式部内侍を丘上の松原で安産されたので、その松原は「愛寝の松原」と呼ばれています。
- 下関・秋吉台・宇部エリア

大覚寺
大覚寺は、阿武町奈古駅の北東方約500mにある古い寺で、元は光応寺(こうおうじ)と呼んでいたのを、1611年(慶長15)に大覚寺と改め、境内も整備したといわれています。雲州富田城主尼子義久の墓やビャクシンの巨樹があります。
- 萩・長門エリア

桂太郎旧宅
内閣総理大臣を3度つとめた、拓殖大学の創立者である桂太郎の…
現存する旧宅は、少年時代を過ごした地に、明治42年(1909)に新築されたもので、主屋は派手さを抑え、規模も比較的小さなもので、藍場川沿いの生活を穏やかに楽しむために作られています。藍場川の水を引き込んだ流水式池泉庭園には桂太郎公銅像が建っています。また…
- 萩・長門エリア

渡辺蒿蔵旧宅
渡辺蒿蔵は、天保14年(1843年)萩藩士渡辺家に生まれ、15歳の安政4年(1857年)松下村塾に入塾、吉田松陰から「奇物」と期待されました。97歳まで健在で、松陰に学んだ松下村塾生で最も長生きした人物です。21歳の文久3年(1863年)奇兵隊に入り、元治元年(1864年)禁門…
- 萩・長門エリア

柳井市町並み資料館
建物は明治40年に建てられたものをそのまま利用しており、石造りのレトロな外観は、当時の銀行独特の重厚な姿を今に伝えます。1階は町並みの模型を展示するほか、観光案内所が設置され、2階は名誉市民で、歌謡界に足跡を残した、松島詩子記念館として整備されていま…
- 岩国・柳井・周南エリア

円光寺穴観音古墳

唐樋札場跡(萩往還)
萩市の中心部、唐樋(からひ)町に位置する「札場跡」。藩府・萩と防府三田尻を結ぶ、萩往還の起点となる場所です。周防・長門両国の一里塚の基点とされました。また、幕府や藩からの「御触」(法令や規則など)が掲げられた高札も立っていました。
- 萩・長門エリア

法積寺
本堂は、正面の御拝口が取り除かれ、男女別の入り口が設けられている珍しい寺です。県内では蓮寺としても有名で、6月下旬から8月下旬にかけて、ピンクや白の花を咲かせます。境内の50余種を数える花蓮の中には天然記念物もあります。
- 萩・長門エリア

毛利元就公歯廟

上関海峡

萩藩新地会所跡

雪舟庭園(萬福寺)
【日本遺産】画聖雪舟の造った石庭。中世の文化を味わう体験プ…
文明11年(1479年)、画聖雪舟等楊禅師によって造られた寺院様式の、須弥山世界(仏教の世界観)を象徴した石庭です。須弥山石を中央にして、右はやや暗く築山であり、枯滝をもち、左は平坦で非常に明るく造られ、明と暗が巧みに使い分けられています。この明るさの焦…
- 萩・長門エリア








