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大覚寺

大覚寺は、阿武町奈古駅の北東方約500mにある古い寺で、元は光応寺(こうおうじ)と呼んでいたのを、1611年(慶長15)に大覚寺と改め、境内も整備したといわれています。雲州富田城主尼子義久の墓やビャクシンの巨樹があります。

  • 萩・長門エリア
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大覚寺

大内氏遺跡附凌雲寺跡

吉敷中尾の高台に高さ3m、厚さ2mの石垣があり、凌雲寺総門の遺構といわれています。大内氏30代当主義興の墓があります。

  • 山口・防府エリア
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大内氏遺跡附凌雲寺跡

後井古墳

後井古墳群は、山陽本線田布施駅から西北西約2㎞の標高約62mの丘陵にあります。秋葉山古墳とも呼ばれ、東を第1号墳、西を第2号墳とするニ基の円墳が裾を交えた状態で並び、別に第3号墳がその南南西約30mの地点にあります。いずれも横穴式石室をもつ円墳。

  • 岩国・柳井・周南エリア
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後井古墳

旧久保田家住宅

御成道に面して建つ幕末から明治時代前期にかけて建築された町…

久保田家は、初代庄七が藩政時代後期に近江の国(滋賀県)から萩に入り、熊谷町の久保田家の分家となり、菊屋家の向かいで呉服商を開いたと伝えられています。二代庄次郎のとき酒造業に転じ、造り酒屋の「あらたま酒店」を営業していました。また明治時代、しばしば名士…

  • 萩・長門エリア
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旧久保田家住宅

伊勢屋横町

呉服商 伊勢屋のあった絹機屋町などとも呼ばれた横町

碁盤目状に区画された萩城下町には、中・下級の武家屋敷が軒を連ねていました。現在でも町筋はそのままに残り、往時の面影をとどめています。東西にのびる表通りの御成道に面して藩の豪商、江戸屋、伊勢屋、菊屋の商家が並んでいたため、御成道から南へ入る3つの横町…

  • 萩・長門エリア
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伊勢屋横町

常関寺

寛永5年(1628)、領主山内広通により建立。幕末期、奇兵隊の病院が置かれたところで、隊士8名の墓があります。本堂の背後に釈迦如来を中心に左右に文殊・普腎の二菩薩があり、そのまわりに表情豊かな16羅漢像が並んでいます。

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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常関寺

六軒茶屋跡(萩往還)

萩往還は、慶長9年(1607)萩城築城後、その城下と三田尻(防府)をほぼ最短で結ぶ参勤交代道として開かれた陰陽連絡道で、延長52.7キロメートルの街道です。萩往還には旅人の休憩の場として茶屋が所々に設けられていました。その茶屋の中で、萩往還最大の難所、一の坂に…

  • 山口・防府エリア
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六軒茶屋跡(萩往還)

円龍寺

井上馨が切りつけられた際、俗論派の刺客はここに集合し、待ち伏せしました。刺客の中には、井上馨の従弟もいました。

  • 山口・防府エリア
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円龍寺

北灯台

山口県最北端の地

見島の最北端の岬である長尾ノ鼻に立っている灯台で、見島の北の航海の安全のため、昭和38年1月15日に点灯を開始しました。この灯台は、水平線からの日の出と日の入りの両方を見ることができる全国的にも珍しい場所となっています。灯台の南の神畑には、日露戦争…

  • 萩・長門エリア
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北灯台

錦雲閣

【全体概要】旧藩時代の城郭の一部を移築したもの。絵馬堂。

  • 岩国・柳井・周南エリア
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錦雲閣

鹿背隧道

【全体概要】幅4.2m、延長180m、高さ3.8m 県内初の石巻工法によるもの。明治15年着工の県道小郡萩線にあります(現県道とは違う)。藩庁移転後の萩の回生への期待がこめられた隧道で、山口県下最初の石造洋風隧道として記録されています。130年近く経過しています…

  • 萩・長門エリア
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鹿背隧道

前原一誠旧宅

【全体概要】藩士佐世家に生まれ、父の出役の関係で幼少期を厚狭郡船木(山陽小野田市)で過ごした。24歳の安政4年(1857)萩に帰り、松下村塾に入門。その後、洋学の修得に励むが、文久2年(1862)脱藩上京し、長井雅楽の暗殺を図るなど尊王攘夷運動に参加する。文久…

  • 萩・長門エリア
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前原一誠旧宅

国司親相幽閉賜剣之地

【全体概要】本藩三家老の一人国司親相が幽閉され切腹した澄泉寺跡。(碑は御弓町公園内へ移設)

  • 岩国・柳井・周南エリア
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国司親相幽閉賜剣之地

遍照寺

童謡詩人・金子みすゞの菩提寺

遍照寺は浄土真宗のお寺で、みすゞ通りに面して建っています。 山門をくぐり、境内にはいると「こころ」の詩碑があり、入口左手にみすゞや金子家の人々の墓があります。毎年3月10日のみすゞの命日には、たくさんの人が集まります。

  • 萩・長門エリア
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遍照寺

金麗社

祭神は菅原道真、旧称天満宮。1865年、藩政府軍と諸隊が大田・絵堂で戦った際に、諸隊の本陣が置かれたところです。境内には、その時の戦利品や多くの石碑があります。

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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金麗社

向岸寺(鯨位牌・鯨鯢過去帳)

鯨漁の記録を残す寺として、鯨の位牌と子鯨の過去帖があり、鯨墓とともに捕獲した鯨の霊をなぐさめています。鯨位牌は全高77.5㎝、幅22.4㎝基壇部の奥行き15.2㎝で、鯨児一頭ごとに戒名を贈っています。鯨鯢過去帳は長さ671.7㎝の34折の折帖で、1804~1837年に捕獲さ…

  • 萩・長門エリア
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向岸寺(鯨位牌・鯨鯢過去帳)

多胡家老門

亀井氏11代にわたって手腕をふるった家老、多胡家の屋敷門。どっしりとした造りは、現在でも威風堂々たるものです。殿町には多胡家、大岡家、牧家の三家老の門が並んでいます。島根県の文化財に指定されています。

  • 山口・防府エリア
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多胡家老門

高松八幡宮

麻郷の高松山の鎮守の杜とする、由緒深い氏神社です。創建以来麻郷、麻里府、伊保木三村の総鎮守、氏神として崇敬されてきましたが、寛政8年(1796)に伊保木村は当宮より御分霊を勧請し磯辺八幡宮を創祀したことにより、その後、麻郷、麻里府両村の氏神社として今日…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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高松八幡宮

中山忠光墓

中山忠光は、もともと孝明天皇につかえていた公家でした。幕末には、尊王攘夷派として活動し、武力によって幕府を倒そうとする天誅組の首領になりましたが、その戦いに敗れて長州へ逃げ、1864年(元治1)に暗殺されました。墓は、忠光を祀ってある中山神社境内にあり…

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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中山忠光墓

萩往還(山口)

萩往還は、慶長9年(1604)の萩城築城後、その城下と三田尻(防府)をほぼ直線で結ぶ参勤交代道として開かれた陰陽連絡道で、全長およそ53キロメートルの街道。近世の民衆や維新の志士たちの交通路としても重要な役割を果たしてきた古道です。山口市内の関連の遺跡として…

  • 山口・防府エリア
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萩往還(山口)