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牛島
室積半島の南方約8kmの周防灘上にあり、光市で人のすむ唯一の島。全島がほぼ山地で、南側には1935年(昭和10)に日本で初めて発見された県指定天然記念物のモクゲンジの群生地があります。また、牛島漁港藤田・西﨑の波止は、水産庁の「未来に残したい漁業漁村の歴史…
- 岩国・柳井・周南エリア

萩市平安古地区伝統的建造物群保存地区
選定地区は橋本川に沿った東西約150m、南北約300mの範囲で、藩政期の地割りをよく残しています。かつて重臣の多くは三の丸に住んでいたが、平安古・江向・土原方面の開墾が進むにつれて武家住宅も増えていきました。現在、この地域には、毛利一門の右田毛利家(16,0…
- 萩・長門エリア

井上勝旧宅跡
萩藩士井上勝行の三男として萩城下土原に生まれる。幕末の一時期、野村弥吉と称した。安政2年(1855)、開明派として知られた父に従い、江戸・浦賀に赴く。同5年、藩命により長崎でオランダ士官より兵学を学ぶ。文久3年(1863)には井上馨(聞多)・伊藤博文(俊輔)…
- 萩・長門エリア

大玉スギ(飛龍八幡宮)
周南市須々万の飛竜八幡宮には、高さ34m、胸高幹周は10.5mの巨大な杉があり、枝の繁る様子が丸い玉のようであることから大玉杉と呼ばれ親しまれています。社伝によると、後光厳(ごこうごん)天皇(在位1352〜1371年)の時代、この地の岩に京都男山(おとこやま)の石…
- 岩国・柳井・周南エリア

伊藤博文墓
伊藤博文は現在の山口県光市の出身で、9歳のとき、萩の足軽伊藤家の養子になりました。松下村塾に学び、高杉晋作らと尊攘、討幕運動に奔走し、維新後は憲法制定に尽力し、初代内閣総理大臣を務めましたが、明治42年10月26日にハルピン駅頭で暗殺されました。伊…
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川崎観音

安養寺(木造阿弥陀如来坐像)
安養寺には、国の重要文化財に指定されている木造阿弥陀如来坐像が安置されています。クス材の寄木造りで、台座・光背は後補。像高は269.1cmで、いわゆる丈六仏(じょうろくぶつ)の大きさです。
- 下関・秋吉台・宇部エリア

福原史跡公園
宇部の領主福原家は毛利藩の永代家老として、萩堀内の屋敷に暮らし、宇部の邸は御田屋(おたや:遠方の田地を経営するために設けた建物)と呼ばれていました。1976年(昭和51年)、市の史跡公園として開放された園内には、井戸跡、屋敷神、樹木が残存しています。表門…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

岩田遺跡
縄文時代の遺跡が地中に
縄文時代の中期から弥生時代の前半にいたる遺物がたくさん出土しております。遺跡の特徴は、ドングリなど木の実の貯蔵のための穴が多く見つかったことや、乳幼児を埋葬したと推定されるかめ棺群(かんぐん)と打製石斧の大型なものなどが見つかったことがあげられます…
- 岩国・柳井・周南エリア

土蔵相模跡
【施設概要】JR品川駅南側、線路と交わる八ツ山橋を渡ると、国道第一京浜の東側に平行する狭い街筋があります。ここが江戸時代、東海道で日本橋につぐ第一番目の宿場として旅籠百軒という繁栄をきわめた品川宿の跡です。 中でも酒楼相模屋は高級妓楼として知られ、…
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歌野川ダム
華山にその源を発している歌野川をせき止めた防災・かんがい排水ダム。周辺には1千本の桜が植えられ、自然環境活用センターをはじめ野営場、山女の養殖場施設もあり、四季を通じて家族連れで楽しめる場所です。
- 下関・秋吉台・宇部エリア

鷹司邸跡
【全体概要】蛤御門の変(元治元(1864)年)の際、長州藩兵が立て籠もり、長州藩兵が放った火で邸宅が燃え盛るなか、久坂玄瑞らが自ら命を絶った。
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旧内務省下関土木出張所乾船渠
明治43年(1910)、関門海峡は横浜、神戸、敦賀とともに国の第一種重要港湾に指定されました。海峡の航路確保のため、翌年には内務省下関土木出張所も設置され、西日本最大の土木基地となりました。このための作業船の造船、修理を行うために付設された下関機械工場の現…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

周防灘干拓遺跡 高泊開作浜五挺唐樋
切石による精緻な樋の構造と技術に感嘆
高泊の浜五挺唐樋は、江戸時代における周防灘での干拓の実態を示す貴重な遺跡であり、また、切石による精緻な樋の構造は、当時の土木技術の到達点をよく示しています。高泊開作は、小野田の高泊湾を干拓したもので、1668年(寛文8)に完成。樋門は幅10.81m、総高6.18…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

金麗社
祭神は菅原道真、旧称天満宮。1865年、藩政府軍と諸隊が大田・絵堂で戦った際に、諸隊の本陣が置かれたところです。境内には、その時の戦利品や多くの石碑があります。
- 下関・秋吉台・宇部エリア

西方寺
龍池山紫雲院西方寺は慶長年間長誉貞龍上人が堂を建て、このときから知恩院直末となりました。寛文年間、毛利綱広公より本堂再建のための松の木百本、毛利家家紋入り提灯が贈られた。幕末の動乱期の元治元年(一八六四)には、高杉晋作が結成した奇兵隊をはじめとした…
- 岩国・柳井・周南エリア

桂太郎旧宅
内閣総理大臣を3度つとめた、拓殖大学の創立者である桂太郎の…
現存する旧宅は、少年時代を過ごした地に、明治42年(1909)に新築されたもので、主屋は派手さを抑え、規模も比較的小さなもので、藍場川沿いの生活を穏やかに楽しむために作られています。藍場川の水を引き込んだ流水式池泉庭園には桂太郎公銅像が建っています。また…
- 萩・長門エリア

専光寺
長州藩、海路通行の幕府役人など貴賓の接待所に使った寺で、幕末の1865年、この寺を本拠にして周防部の諸隊が決起し、振武隊となり、後に第二奇兵隊と改称しました。
- 岩国・柳井・周南エリア

岩国学校
明治になり、岩国藩が学制の大改革を行った際に、藩士に語学を学ばせるために建てた学校。木造2階建て、塔屋付、桟、瓦葺きで、岩国市内最古の洋風木造建築物。現在は教育資料館として活用されています。展示物としては、明治初期以降の教科書類、児童の作文・詩集・…
- 岩国・柳井・周南エリア

香川家長屋門
岩国藩の家老であった香川家の住宅の表門で、1693年に香川正恒が建立。瓦に1個づつ家紋が刻してある長屋門の他に、通用門、平時門などがあり、身分、用件によって使いわけられていました。
- 岩国・柳井・周南エリア
