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津和野町本町通り
この通りは「萩・津和野線、本町・祇園丁工区」の道路整備に伴い、風情ある石畳となりました。もとより商家が多く、10月の体育の日には「ゑびす講」も開催されます。また、この通りは江戸時代より道幅が変わっていないのも特徴の一つです。
- 山口・防府エリア

津和野赤瓦の風景
【みどころ】石見地方を中心に島根県内に広く分布する赤瓦は、来待石を使用した釉薬などにより特有の赤褐色をしています。石州赤瓦の家並みは、出雲平野の築地松とともに県を代表する景観となっています。
- 山口・防府エリア

快友寺(明版一切経)
快友寺は、長府藩の重臣桂広繁の所領(菊川町吉賀)にあった邸宅に没後建てられた寺で、桂家の菩提寺です。境内にある回転式経蔵に収納してある明版一切経は、県の文化財に指定されています。本書は、15世紀初期、中国・明代に彫られた版木をもとに、17世紀後半の中国…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

旧宮崎商館
全面道路の唐戸西之端大通はかつてのメインストリートであり、明治後期には外国系の商社が軒を並べ、この宮崎商館に西隣にも商業会議所、電話交換局がありました。宮崎商館は神戸で設立された石炭輸出業を営む商社でした。外観は、赤煉瓦と白い石の組み合わせが美しく…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

狐塚古墳

京都霊山護国神社
【全体概要】池田屋事変(元治元(1864)年)や蛤御門の変などでの犠牲者や、木戸孝允、高杉晋作など幕末の志士たちの御霊を奉祀している。
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関見台公園(串崎城跡)
- 下関・秋吉台・宇部エリア

上関砲台跡(室津日和山、長島東山)
吉田松陰も訪れた、上関海峡の両端に備えられた江戸末期の砲台
江戸末期、毛利藩は外敵からの防衛の為に要所に砲台を築造。上関海峡の両端(室津日和山、長島瀬戸東山)の丘にも砲台が築かれ大砲が備え付けられました。嘉永6年(1853)2月に吉田松陰が江戸へ行く途中、室津の日和山の砲台場を見学しました。慶応二年(1866年)四境…
- 岩国・柳井・周南エリア

萩往還(萩)
道に刻まれた往時の息吹を感じながら歴史ウォーキング
萩往還は、慶長9年(1604)の萩城築城後、その城下と三田尻(防府)をほぼ直線で結ぶ参勤交代道として開かれた陰陽連絡道で、全長およそ53キロメートルの街道。近世の民衆や維新の志士たちの交通路としても重要な役割を果たしてきた古道です。萩市内の関連の遺跡として、…
- 萩・長門エリア

向徳寺
約3000株の紫陽花がお出迎え
本尊は釈迦如来、もともと向津庵と呼ばれていましたが、明治3年に海徳寺と合併して向徳庵と称し、昭和になって向徳寺と改称しました。また、別名紫陽花(あじさい)寺とも呼ばれるほど紫陽花の名所で、セイヨウアジサイ・ヤマアジサイなど約3000株のあじさいが参拝者…
- 萩・長門エリア

来嶋又兵衛誕生記念碑
信頼が厚く、吉田松陰からも評された維新の志士
山陽小野田市高須にある厳島神社の境内に「来嶋又兵衛生誕地」の記念碑があります。来嶋又兵衛は元治元年、禁門の変で戦死し、48歳の生涯を閉じて有名です。生家は、厳島神社の北方約150mの地点で、宅地跡は田んぼとなって、石柱が田んぼの南側に所在しています。来…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

白須たたら製鉄遺跡
白須山北麓を流れる白須川左岸の台地上(標高約130m)に位置する江戸時代後期の製鉄遺跡。関係古文書から安政3年(1856)頃、島根県日原の豪商水津弥七がたたらを経営し、生産鉄を萩藩の造船などに供給したことがわかっています。
- 萩・長門エリア

専称寺
ドライブコースにもおすすめ!柳井市のつつじスポット
土穂石川から杵崎山へ上る山道の途中にある山間のお寺 。往古は真言宗の道場でしたが、後に浄土宗として開山したといわれています。境内の庭園にはサクラやモミジ、イチョウなど様々な樹木を見ることができます。また、約1万本のツツジが植えられており、4月下旬~5…
- 岩国・柳井・周南エリア

本陣伊藤邸跡
伊藤家は町内の大年寄で、奉行を務めた家柄でした。同家は参勤交代時、大名の宿となる本陣をつとめました。 幕末の当主は、シーボルトや坂本龍馬との親交が篤く、龍馬が京都で暗殺された時も妻のお龍(りょう)はここに滞在していました。現在は「本陣伊藤邸址」の碑…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

宇佐八幡宮のスギ巨樹群
宇佐八幡宮は、天仁元年(1108) に豊前国宇佐八幡宮の分霊を勧請したことが起源です。正和元年(1312)、現在地に奉遷した際に「宇佐」の地名を賜り、現在は「岩国市錦町宇佐」となっています。神社に向かって左側にある大杉と呼ばれるスギは、高さ約60mで県内でも有…
- 岩国・柳井・周南エリア

三田尻御舟倉跡
毛利水軍の根拠地で往時をしのぶ
三田尻の御舟倉は、萩藩の水軍の根拠地でした。藩主の御座船や軍船が常置され、船の建造や修理も行われました。また周辺には関係者の住宅があり、それにちなんだ地名が今日も残っています。現在では通堀、これに通じる船入水路の一部を残すのみです。また、下関の功山…
- 山口・防府エリア

鍵曲
江戸時代の面影を残す鍵状に折れ曲がった道
鍵曲は鍵の手に曲がった通路で、戦いの際見通しを悪くして防御しやすくしたものです。堀内地区・追廻し筋、平安古地区・大児玉横丁にあります。城下町特有の街路の姿をそのままに残しています。堀内地区の鍵曲は、2015年7月明治日本の産業革命遺産として世界遺産に登…
- 萩・長門エリア

長向寺
萩の乱では、反乱軍(殉国軍)前原一誠が生雲に陣を置いたため、小学校が焼けるなどしました。前原軍は、食料を調達するため榎谷や鷹ノ巣方面に進出したところ、官軍と衝突した時に発砲された銃弾の跡が、長向寺に残されています。
- 山口・防府エリア

川崎観音

金輪神社
下松の地名の由来となった、星が降ったとされる鼎の松がある神社です。現在は初代から種を受け継いだ5代目が、下松市北斗町にある金輪神社に「鼎の松」として大切にされ、まちを守り続けています。
- 岩国・柳井・周南エリア








