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護国寺

俳人種田山頭火ゆかりの地

漂泊の俳人種田山頭火の墓所で、山頭火顕彰のお墓や句碑があり、本堂裏の山頭火資料室には、山頭火に関する資料が展示されています。境内にある笠塔婆は、刻まれた文字から鎌倉時代の1232年に刑部中子の供養の為に建立されたことがわかります。当時の彫刻手法がよくあ…

  • 山口・防府エリア
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護国寺

維新十三人墓

慶応3年(1867年)萩藩は、幕末期の馬関戦争、禁門の変において戦死した、都濃郡宰判管内出身者の奉斎のために、山添招魂社を設立した。その後、奇兵隊や戊辰戦争の戦死者が合祀されるなど、明治維新前後に国事に殉じた若者13人が祀られている。

  • 岩国・柳井・周南エリア
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維新十三人墓

佐波川関水

【みどころ】1186年(文治2)、東大寺を建て直す役割を担った俊乗房重源(しゅんじょうぼうちょうげん)は、佐波郡の山で木を切りだし、佐波川をつかって海まで流し、奈良へと送りました。このとき、川底が浅く木を流しにくいところでは、川をせきとめて水位をあげ、 …

  • 山口・防府エリア
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佐波川関水

神福寺

大内弘盛が建久年間(1190年代)に創建した真言宗のお寺で、神宮寺といっていました。明応8年(1499)京都を追われた将軍足利義稙が大内氏を頼って山口に来て、この寺を居館としました。明治3年平蓮寺と大正5年妙福寺と合併し、現在の寺号になりました。

  • 山口・防府エリア
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神福寺

萩市平安古地区伝統的建造物群保存地区

選定地区は橋本川に沿った東西約150m、南北約300mの範囲で、藩政期の地割りをよく残しています。かつて重臣の多くは三の丸に住んでいたが、平安古・江向・土原方面の開墾が進むにつれて武家住宅も増えていきました。現在、この地域には、毛利一門の右田毛利家(16,0…

  • 萩・長門エリア
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萩市平安古地区伝統的建造物群保存地区

口羽家住宅

萩市堀内にある武家住宅です。口羽家は、萩毛利藩の藩士で、この住宅のある堀内地区は、藩内でも大身の武士が住んでいた場所です。

  • 萩・長門エリア
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口羽家住宅

紫福の隠れ切支丹遺物

【全体概要】キリシタン弾圧により山口を追放された一部の宣教師たちは、人里離れた紫福の地で密かに信仰を続けました。その名残として、墳墓が紫福地内に点在、キリシタン墓標群中山地区祈念地、伴天連の墓、三位一体像、長久寺のマリア観音像があります。

  • 萩・長門エリア
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紫福の隠れ切支丹遺物

円龍寺

井上馨が切りつけられた際、俗論派の刺客はここに集合し、待ち伏せしました。刺客の中には、井上馨の従弟もいました。

  • 山口・防府エリア
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円龍寺

周防鋳銭司跡

最初に銭貨が鋳造された708年から平安時代初期にかけて、鋳銭の事業の大部分が、この鋳銭司で行われました。9世紀中頃まで鋳造していたが、いつの間にか廃絶しました。

  • 山口・防府エリア
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周防鋳銭司跡

大玉スギ(飛龍八幡宮)

周南市須々万の飛竜八幡宮には、高さ34m、胸高幹周は10.5mの巨大な杉があり、枝の繁る様子が丸い玉のようであることから大玉杉と呼ばれ親しまれています。社伝によると、後光厳(ごこうごん)天皇(在位1352〜1371年)の時代、この地の岩に京都男山(おとこやま)の石…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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大玉スギ(飛龍八幡宮)

ルネッサながと

個性ある文化活動を活性化させるための創造・発信の拠点として平成12年3月にオープンしました。「ルネッサ」とは、文芸復興や再生を意味するフランス語「ルネッサンス」の造語で、伝統的な芝居小屋をイメージした劇場です本格的な歌舞伎や文楽などの伝統演劇が上演、 …

  • 萩・長門エリア
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ルネッサながと

津和野町本町通り

この通りは「萩・津和野線、本町・祇園丁工区」の道路整備に伴い、風情ある石畳となりました。もとより商家が多く、10月の体育の日には「ゑびす講」も開催されます。また、この通りは江戸時代より道幅が変わっていないのも特徴の一つです。

  • 山口・防府エリア
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津和野町本町通り

吉田松陰と寺嶋忠三郎訣別の地

【全体概要】安政6年(1859)吉田松陰が萩の野山嶽から江戸に護送される途中、弟子の寺嶋忠三郎と師が無言の別れを告げた場所です。 師弟それぞれの思いを詠んだ歌碑が建てられています。(周南市指定文化財)

  • 岩国・柳井・周南エリア
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吉田松陰と寺嶋忠三郎訣別の地

小野田セメント山手倶楽部

大正時代の貴重な建築物

旧小野田セメント株式会社第4代社長笠井真三氏が、ヨーロッパ遊学の帰途、イギリスからコンクリートブロックの型枠を持ち帰り、ブロックを製造、大正3年(1914年)6月に完成したものです。大正時代のブロック建築は大変珍しいものであり、建築史上貴重な建物です。建物…

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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小野田セメント山手倶楽部

旧殿居郵便局舎

下関市豊田町殿居に所在する、木造平屋建て、八角塔屋2階建て付きの建物。殿居郵便局は明治35年に開局したが、ときの局長河田寛は、大正 10年頃から洋風建築に改築する意向をもち、地元の大工棟梁山本安一を同道して上京し、洋風建築を見学して回りました。帰村後、同…

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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旧殿居郵便局舎

嘉村礒多生家 帰郷庵

山口市出身の私小説家嘉村礒多の生家を活用した茅葺屋根の施設。礒多は明治30年(1897)に地主の長男として生まれ、昭和8年(1933)に36歳の短い生涯を閉じました。私小説の極北と評され、昭和初年代の文壇で新進作家として特異な地歩を築いていきました。作品には、…

  • 山口・防府エリア
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嘉村礒多生家 帰郷庵

岩国学校

明治になり、岩国藩が学制の大改革を行った際に、藩士に語学を学ばせるために建てた学校。木造2階建て、塔屋付、桟、瓦葺きで、岩国市内最古の洋風木造建築物。現在は教育資料館として活用されています。展示物としては、明治初期以降の教科書類、児童の作文・詩集・…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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岩国学校

大和屋政助の船蔵

江戸時代、富海浦は、旧山陽道の南方約18mのところに岸壁が広がっていました。記録によるとここでは、書状や小物、人を大阪へ運ぶ船頭二人乗りの飛船(とびふね)が頻繁に出入りし、「瀬戸内の飛脚船」として活躍したと残されています。当時、大和屋政助(やまとやま…

  • 山口・防府エリア
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大和屋政助の船蔵

室積台場跡

江戸時代末、四国艦隊の報復攻撃に備え沿岸に砲台場を築いたもの。当時の長州藩は男手が不足し、後に残った婦女子が中心になってこれを築きました。このことから、通称「女台場」といわれています。市指定史跡となっています。

  • 岩国・柳井・周南エリア
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室積台場跡

伊勢屋横町

呉服商 伊勢屋のあった絹機屋町などとも呼ばれた横町

碁盤目状に区画された萩城下町には、中・下級の武家屋敷が軒を連ねていました。現在でも町筋はそのままに残り、往時の面影をとどめています。東西にのびる表通りの御成道に面して藩の豪商、江戸屋、伊勢屋、菊屋の商家が並んでいたため、御成道から南へ入る3つの横町…

  • 萩・長門エリア
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伊勢屋横町