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寺嶋忠三郎誕生の地
【全体概要】寺嶋忠三郎の生地です。忠三郎は、松下村塾で吉田松陰に学び、尊王攘夷運動に尽くしましたが、禁門の変に際して久坂玄瑞とともに自刃しました。 顕彰碑と辞世の碑が建てられています。(周南市指定文化財)
- 岩国・柳井・周南エリア

国司親相幽閉賜剣之地

旧小林家住宅(萩往還おもてなし茶屋)
佐々並市地区のまち歩きの拠点
旧小林家住宅は、江戸時代「目代所」があった場所に明治40年に隣地から移築された主屋と、大正期に建てられた土蔵、昭和10年代に増築された離れからなります。かつては旅館を営んでいたことから、主屋の一階の主座敷に加え、二階には萩往還を望む表座敷、佐々並川や周…
- 萩・長門エリア

興昌寺
天正年間に曹洞宗の寺として創立され、境内には長門三十三番霊場第五番札所や、松尾芭蕉が当地行脚の際に詠んだという「うたがふな、潮の花も浦の春」の句碑があるほか、境内入り口には、二つの仁王像が立っています。
- 萩・長門エリア

向山文庫跡
清水家の家老だった難波家の土蔵。清水親知の遺品と自家の蔵書が残っており,明治39年(1906)には村民にも一般開放していた。昭和51年(1976),光市史跡に指定された。
- 岩国・柳井・周南エリア

大内氏遺跡附凌雲寺跡

青原八幡宮
青原八幡宮の「くろがねもち」は境内参道の入口にあって、目通り周囲3・8m、高さ22.1m、樹幹250年「くろがねもち」では県下第1の樹木。もと参道をはさんで両側にあったが、右側の樹は台風で倒れて1本になった。冬になると赤い実をつける。「くろがねもち」では、松江…
- 山口・防府エリア

石走山古墳
通称、石走山山頂近くの緩斜面にあります。両袖無形の横穴式石室をもつ小円墳です。玄室部には、神花社が祭られています。付近には、なお数基の未発掘の円墳が存在しています。
- 岩国・柳井・周南エリア

澄田稲荷社
寿永3年(1184)、屋島の戦に敗れた平家が海路を西に逃れていく中、平経盛の船は室積舟戸の浦に寄りしばし休息した。この時、経盛は、船路の安全の守護神として船中に祀っていた幸徳稲荷大明神を、この地に遷座することとし、同時に愛娘「澄姫(すみひめ)」を敗戦の…
- 岩国・柳井・周南エリア

長向寺
萩の乱では、反乱軍(殉国軍)前原一誠が生雲に陣を置いたため、小学校が焼けるなどしました。前原軍は、食料を調達するため榎谷や鷹ノ巣方面に進出したところ、官軍と衝突した時に発砲された銃弾の跡が、長向寺に残されています。
- 山口・防府エリア

井上馨墓
井上馨は、幕末に長州藩秘密留学生としてイギリスに渡りましたが、滞在中に藩の危機を知り伊藤博文とともに急遽帰国、その後は高杉晋作らと討幕運動に奔走しました。維新後は外相や蔵相などを歴任し、理財の才に優れていたことから、財界にも大きな影響力を持っていま…
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坪井九右衛門旧宅

村田清風別宅跡

円龍寺

井上馨遭難の碑

宮原古墳

梶栗浜遺跡
梶栗浜遺跡は、下関市安岡梶栗浜にある弥生時代の墓地遺跡。発掘調査により、ここから鏡、銅剣、土器などの遺物が出土したが、そのうちの青銅器は、我が国の遺跡から発見された例が少ない朝鮮古代のものであることがわかっています。出土品は、下関市立考古博物館に保…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

津和野町/主水畑
元和3年(1617)亀井政矩が4万6000石で津和野に入封、以後250年間亀井家がこの地を治め明治維新を迎えました。藩政を支えたのが親戚筋の家老多胡真清の他三兄弟で、以後も多胡家は代々藩主を助け、城下町の整備と産業の育成に辣腕を振るいます。今も町内に残る段々畑は…
- 山口・防府エリア

大野毛利家墓所(海前寺跡)
大野毛利二代目「就詮」が眠る
大野毛利8,600石の領主、ご一族の菩提寺(ぼだいじ)であった海前寺というお寺があった場所です。お墓の手前や右側に栗の木や黒松、くろがねもち、梅の木などの庭木があり屋敷の跡を思わせるものがあります。海前寺跡大野毛利氏の二代就詮(なりあき)ら10基のお墓が…
- 岩国・柳井・周南エリア

児玉源太郎墓
【施設概要】児玉源太郎は、長州藩の支藩・徳山藩出身の陸軍軍人。 陸軍大学校長、台湾総督、陸相などを歴任した後、日露戦争では満州軍参謀長として全力を尽くして作戦指導にあたり、戦後まもなくの明治39年に、あたかも力尽きたかのように亡くなりました。 はじ…
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