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納蔵原古墳

大波野の誓立寺から北西に約150m、通称納蔵原の丘陵上にある前方後円墳で、石室は両袖式でほぼ南西方向に開口しています。出土品は田布施町郷土館に展示、保管されています。

  • 岩国・柳井・周南エリア
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納蔵原古墳

須佐地古墳

竪穴式石室で石室の妻石が箱式石棺の手法で作られている。

  • 萩・長門エリア
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須佐地古墳

陶陶窯跡

陶陶窯跡は、須恵器を焼いた窯で、平安時代初期に使われたものと思われます。この地方の地名を陶ということからわかるように、この地では古くから窯業が盛んに行われていました。現在陶地区の北側の山裾一帯には広く須恵器の破片が散布しており、各所に窯跡と見られる…

  • 山口・防府エリア
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陶陶窯跡

有富古墳

綾羅木川を中心として広がる沖積層平野の北側丘陵には多くの遺跡が残っています。有富古墳は、この丘陵地の北東に接する山のすそに位置し、明治32年(1899)の調査の際、有富古墳群として5基の円形墳が発見されましたが、現在では2基を残して他は消滅しています。直径…

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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有富古墳

癒鶴地(鶴の墓)

ツルの墓の由来は、明治28年(1895年)にさかのぼります。春、シベリヤに向けて旅立ったツルの群れの中に、銃弾で傷つき、二羽のツルが峠に落ちてしまいました。これを見た村人の一人が自宅に連れ帰り、50日余りにわたって看病を続けたが、ついに死んでしまい、悲しん…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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癒鶴地(鶴の墓)

国登録有形文化財 旧市長公舎

和と洋が融合した大正時代の建築物

大正15年に海軍燃料廠の廠長官舎として建てられ、昭和20年の終戦を迎えるまで歴代の廠長が住まわれていました。二度にわたる徳山大空襲を免れたこの木造住宅は、戦後、徳山市が払下げを受け、平成23年まで市長公舎として使用してきました。旧市長公舎は、洋館部分と和…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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国登録有形文化財 旧市長公舎

長向寺

萩の乱では、反乱軍(殉国軍)前原一誠が生雲に陣を置いたため、小学校が焼けるなどしました。前原軍は、食料を調達するため榎谷や鷹ノ巣方面に進出したところ、官軍と衝突した時に発砲された銃弾の跡が、長向寺に残されています。

  • 山口・防府エリア
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長向寺

正護寺

臨済宗で山号を方松山といいます。この寺は、大内氏の一族右田氏から分れた、弘賢が13世紀末にこの陶の地を領し、地名を氏とし、陶氏を名乗るようになりました。陶弘賢はこの正護寺の前方の台地に屋形を築き、政務をとりました。現在屋形の土塁の一部が残っています。…

  • 山口・防府エリア
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正護寺

塚穴古墳

横穴式の石室をもつ古墳

  • 萩・長門エリア
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塚穴古墳

蕃書調所跡

【施設概要】アメリカのペリーが黒船を率いて来航し、幕府に開国を求めたのが嘉永6年(1853)、それから二年後の安政2年(1855)、幕府は九段坂下に洋学研究所を設け、まもなく蕃書調所と改称しました。 蕃書調所の開所から約2年後、現在の山口県山口市出身で、新…

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蕃書調所跡

皇典講究所跡

【施設概要】皇典講究所は、明治15年に当時の麹町区飯田町(現在の千代田区飯田橋)に設立されました。 その後、明治22年に山田顕義を筆頭発起人として日本法律学校が開設され、また山田はさらに明治23年には皇典講究所の事業を拡張し、日本文化を研究するため…

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皇典講究所跡

東福寺

【全体概要】鳥羽伏見の戦い(慶応4(1868)年)において、長州軍は本陣を東福寺に置いた。この戦いでは大勝利をおさめたが、殉死者が49名出た。そのほとんどがこの東福寺近くに葬られている。

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東福寺

山崎隊士の墓所

【全体概要】徳山藩が士民有志で編成した山崎隊や、藩士で編成した献功隊の隊士などを祀る墓所です。山崎隊と献功隊は、本藩諸隊とともに戊辰戦争において函館の戦い等に参加しました。

  • 岩国・柳井・周南エリア
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山崎隊士の墓所

飢民の供養塔(大恩寺)

享保17年(1732年)、ウンカの異常発生によって西日本一帯は大凶作となり、庶民は飢えに苦しみました。ことに周防の国は悲惨で、備蓄用の倉を空にしてもなお手の施しようがなかったと言われています。飢民の供養塔は、この時の幾百人の餓死者を弔うためのものです。

  • 岩国・柳井・周南エリア
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飢民の供養塔(大恩寺)

浮舟庵の墓

JR江崎駅前通りを県道に出て、右へゆるやかに登ると、すぐ右手の小高くなったところに、安永年間に建てられた、県下でも珍しい酒樽の形をしたお墓があります。 墓石には、「浮舟庵独醒風士・安永の秋、友人某」と書いてあります。 このお墓は、酒好きでいながら働…

  • 萩・長門エリア
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浮舟庵の墓

佐々並川ダム

  • 萩・長門エリア
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佐々並川ダム

村田清風別宅跡

【全体概要】天保の改革の折、清風が藩政に携った25年間の別宅跡。

  • 萩・長門エリア
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村田清風別宅跡

平清水八幡宮本殿

社伝によると吉田、恒冨の鎮守として、大同4年(809)に豊前の宇佐八幡宮から神霊を迎えて創建したものとされています。平清水の社号は、神殿の右側にある泉が、日照でも、豪雨でも、水量が一定していることからつけられたといわれています。本殿は、三間社流造りで、…

  • 山口・防府エリア
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平清水八幡宮本殿

乃木神社

【施設概要】日露戦争の際、第三軍司令官として旅順を攻略、苦闘の末陥落させた乃木希典は、最も有名な長州人の一人でしょう。 その乃木希典が居住していた地は、現在は乃木神社となっておりますが、夫妻が住み、そして明治天皇に殉死した屋敷は神社の境内に現存して…

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乃木神社

才谷古墳

【全体概要】才谷古墳は横穴式石室を内部主体とする小円墳で、昭和51年中国自動車道の建設に伴い発見された徳地町唯一の古墳である。古墳時代の後期の小型横穴式石室で使用石材はすべて角のとれた河原石で丁寧に組んである。

  • 山口・防府エリア
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才谷古墳
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