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旦の登り窯
ノスタルジーに浸る窯跡
【全体概要】日本舎密(せいみ)製造株式会社(現:日産化学工業)の製造する硫酸などを運ぶための容器を、明治26年から旦の製陶所で生産していました。旦の登り窯は、その当時の窯跡です。また、生産された瓶は「硫酸瓶」と呼ばれています。幅7.5m、煙突の高さ12.3m…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

室積台場跡
江戸時代末、四国艦隊の報復攻撃に備え沿岸に砲台場を築いたもの。当時の長州藩は男手が不足し、後に残った婦女子が中心になってこれを築きました。このことから、通称「女台場」といわれています。市指定史跡となっています。
- 岩国・柳井・周南エリア

住吉神社の石造燈台
海上交通の安全を見守る「萩往還」関連史跡
萩藩の水軍の本拠地である御舟倉へ続く入川(いりかわ)の河口に、海上交通の安全を祈願するために、ささやかな祠が建てられ住吉大明神が祭られていたが、水軍の船頭らの願い出で、正徳(しょうとく)5年(1715)、住吉神社が創建されました。石造燈台は、その境内地に…
- 山口・防府エリア

奥阿武宰判勘場跡
【全体概要】勘場跡は、貞享4年(1687年)から明治11年の初めまでの200年間、奥阿武宰判の代官所として、むつみ村、阿東町、須佐町、田万川町、阿武町(奈古を除く)を統括し、政治・文化の中心地でした。現在は、敷地及び周辺の石組みが残っています。
- 萩・長門エリア

八幡隊結成の地
八幡隊は文久3年(1863)9月に堀真五郎を初代総督として八幡馬場で結成された隊です。総督には当初、久坂玄瑞が推されましたが、自由な身の振りを求めて辞退し、代わりに堀真五郎を就かせました。
- 山口・防府エリア

陶陶窯跡
陶陶窯跡は、須恵器を焼いた窯で、平安時代初期に使われたものと思われます。この地方の地名を陶ということからわかるように、この地では古くから窯業が盛んに行われていました。現在陶地区の北側の山裾一帯には広く須恵器の破片が散布しており、各所に窯跡と見られる…
- 山口・防府エリア

花岡勘場跡地
花岡勘場跡地は、萩藩創建期の頃に設置された都濃宰判(代官所)の跡地です。代官は年3回春秋冬に萩から出張して重要な決裁を行っていました。日頃は大庄屋が出勤して代官の代わりを務めていたといいます。付近には、御茶屋(本陣)・御番所・高札場などがあり、花岡…
- 岩国・柳井・周南エリア

益田親施幽閉賜剣之地

吉田松陰詩碑
上関大橋のたもと、松陰ゆかりの砲台場があった地に建てられた…
嘉永6年(1853)2月に吉田松陰が江戸へ行く途中、室津の日和山の砲台場を見学しました。同年10月、浦賀で黒船を見た松陰は、長崎にロシア船が来航したことを知り、密航して外国へ行くために船に乗ろうと長崎に向かう途中、ここ室津に寄り歌を詠みました。詩碑は松陰ゆ…
- 岩国・柳井・周南エリア

御山神社経塚
御山神社経塚は阿武町惣郷にある経塚。築造は12世紀ごろと推定されています。経塚は、永く後世に伝えるため経典を経筒などに入れて地中に納め、塚を築いたもので、この経塚は、御山神社社務所横の土中より発見されました。
- 萩・長門エリア

明治維新百年記念公園

国司親相幽閉賜剣之地

三田尻浜大会所跡
三田尻浜の統轄を行ったり、防長塩田の総元締めとしての役割もあった大年寄という役人がいたのが鶴浜の大会所です。現在は、初代大年寄田中藤六の碑をはじめとする5基の石碑が建立、または移設され、往時をしのぶことができます。
- 山口・防府エリア

嘉楽園
嘉楽園は、旧藩主亀井氏の藩邸の庭園の一部で、初代養老館学頭の山口景徳によって名づけられました。物見櫓、馬場先櫓が残り、旧藩邸の面影を伝えています。春は桜が美しく、名所として知られいます。また、秋にはイチョウを楽しむことができます。
- 山口・防府エリア

津和野藩藩邸跡

周防灘干拓遺跡 高泊開作浜五挺唐樋
切石による精緻な樋の構造と技術に感嘆
高泊の浜五挺唐樋は、江戸時代における周防灘での干拓の実態を示す貴重な遺跡であり、また、切石による精緻な樋の構造は、当時の土木技術の到達点をよく示しています。高泊開作は、小野田の高泊湾を干拓したもので、1668年(寛文8)に完成。樋門は幅10.81m、総高6.18…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

悴坂一里塚

一ノ瀬城跡
防長の地に大内、厚東、豊田の三氏鼎立の時代があり、一ノ瀬城はその豊田氏の本城で、東麓広畑の地が居館跡です。現在は「豊田大領豊田氏館跡」の碑が立つのみとなっています。
- 下関・秋吉台・宇部エリア

明倫館遺構聖賢堂
聖賢堂は藩校明倫館の聖廟前、観徳門の左右にあった東塾・西塾の遺構である。 明倫館廃校の後、両塾を合わせて1棟とし、市内東田町の阿呼社境内に移築されていたが、大正7年(1918)に再び元の地の明倫館跡へ移された。 建物は切妻造り、起こり屋根桟瓦葺き…
- 萩・長門エリア

五卿登陸処
文久3年(1863)の「八・一八の政変」後、勤王派の7人の公卿が京都を追われ、3隻の船に分乗して兵庫を船出して長州に向かいました。1番船には三条実美、2番船には三条西季知・壬生基修・四条隆謌・錦小路頼徳、3番船には東久世通禧・沢宣嘉が乗り込みました。3隻とも…
- 岩国・柳井・周南エリア








