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入江九一・野村靖誕生地
入江九一・・・萩藩士。称は杉蔵など。明治政府の政治家となる野村靖(和作)は実弟。松下村塾で学び、吉田松陰に深く傾倒した。文久3年(1863)2月、京都に上ったが、3月、攘夷派公卿中山忠光の脱走に従い帰国した。同年6月には高杉晋作を補佐して、奇兵隊を結成する…
- 萩・長門エリア

旧萩藩校明倫館
長州藩の藩校跡で、亨保4年(1719)毛利吉元が城内三の丸の創設、嘉永2年(1849)毛利敬親が江向に移しました。明倫小学校・萩商業高校・萩裁判所の約14,349坪がその跡地で、現在明倫小学校の敷地内に剣槍場の有備館、遊泳術、水中騎馬の行われた水練池、その傍に、…
- 萩・長門エリア

奇兵隊陣屋跡
慶応元年(1865)に拠点を吉田に移した奇兵隊が、慶応3年(1867)8月から明治2年(1869)11月の解散まで陣屋(本陣)を置いたところ。400人の隊士が厳しい規律に従って訓練に明け暮れました。当時の堤防が名残をとどめています。
- 下関・秋吉台・宇部エリア

久坂玄瑞誕生地

旧久保田家住宅
御成道に面して建つ幕末から明治時代前期にかけて建築された町…
久保田家は、初代庄七が藩政時代後期に近江の国(滋賀県)から萩に入り、熊谷町の久保田家の分家となり、菊屋家の向かいで呉服商を開いたと伝えられています。二代庄次郎のとき酒造業に転じ、造り酒屋の「あらたま酒店」を営業していました。また明治時代、しばしば名士…
- 萩・長門エリア

江戸屋横町
維新の三傑 木戸孝允旧宅、高杉晋作・伊藤博文ゆかりの円政寺…
黒板塀の風情ある横町。碁盤目状に区画された萩城下町には、中・下級の武家屋敷が軒を連ねていました。現在でも町筋はそのままに残り、往時の面影をとどめています。東西にのびる表通りの御成道に面して藩の豪商、江戸屋、伊勢屋、菊屋の商家が並んでいたため、御成道…
- 萩・長門エリア

伊勢屋横町
呉服商 伊勢屋のあった絹機屋町などとも呼ばれた横町
碁盤目状に区画された萩城下町には、中・下級の武家屋敷が軒を連ねていました。現在でも町筋はそのままに残り、往時の面影をとどめています。東西にのびる表通りの御成道に面して藩の豪商、江戸屋、伊勢屋、菊屋の商家が並んでいたため、御成道から南へ入る3つの横町…
- 萩・長門エリア

菊屋横町
なまこ壁が美しい「日本の道百選」
藩の豪商・菊屋家をはじめ、幕末の風雲児・高杉晋作の誕生地、第26代総理大臣・田中義一の誕生地がある横町。なまこ壁の美しいこの横町は「日本の道百選」の一つに選ばれています。碁盤目状に区画された萩城下町は、中・下級の武家屋敷が軒を連ね、現在でも町筋はその…
- 萩・長門エリア

高杉晋作誕生地
幕末の風雲児・高杉晋作誕生の地
幕末の風雲児・高杉晋作の誕生地。現在は、南側半分が公開されており、産湯に使ったと伝えられる井戸や自作の句碑などがあります。天保10年(1839)に萩藩大組士、禄高200石 高杉小忠太の長男として生まれた晋作は、藩校明倫館に通う一方で松下村塾に通い、久坂玄瑞と並…
- 萩・長門エリア

秋吉台科学博物館

土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアム
日本で唯一の「人類学専門博物館」で、見て・体験して・学ぶ
下関市 豊北町土井ケ浜近くの砂地の丘にある約 9,500㎡の遺跡。この遺跡は弥生時代前期の終わりごろを中心として営まれた集団墓地です。発掘調査で、300体余りの人骨が発見され、副葬品とともに弥生式土器その他の遺物も出土しました。ミュージアムには、土井ケ浜遺跡…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

萩往還(防府)
萩往還は、慶長9年(1604)の萩城築城後、その城下と三田尻(防府)をほぼ直線で結ぶ参勤交代道として開かれた陰陽連絡道で、全長およそ53キロメートルの街道。近世の民衆や維新の志士たちの交通路として重要な役割を果たしてきた古道です。防府市内の関連の遺跡として…
- 山口・防府エリア

森の駅
自然豊かな森の中で楽しく遊び、木々の大切さを学ぼう
美祢市にある県内唯一の「森の駅」。森の駅とは、森林の中で遊び、自然を体験し、その中で木々の大切さを学べる場所。実際に自分の手で木を伐採する林業体験や木工体験、森の散策など森を感じることができるアクティビティに加え、手づくり石窯ピザやバームクーヘン作…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

吉田松陰の墓及び墓所
吉田松陰の墓は、松陰誕生の地に隣接し、団子岩とよばれる小高い風光明媚な所に建っています。墓碑は高さ0.8m、幅0.45m、礎石からの高さ1.6mの花こう岩質の自然石で作られ、表に「松陰二十一回猛士墓」、裏に「姓吉田氏、称寅次郎、安政六年己未十月二十七日於江戸…
- 萩・長門エリア

芦樵寺
由緒あるお寺の美しい日本庭園を目の前に坐禅体験
防府天満宮の近くにある芦樵寺(ろしょうじ)は、室町時代に建立された由緒あるお寺。境内にある美しい日本庭園を目の前に、本格的な坐禅を体験できます。(事前予約が必要)
- 山口・防府エリア

萩往還(山口)
萩往還は、慶長9年(1604)の萩城築城後、その城下と三田尻(防府)をほぼ直線で結ぶ参勤交代道として開かれた陰陽連絡道で、全長およそ53キロメートルの街道。近世の民衆や維新の志士たちの交通路としても重要な役割を果たしてきた古道です。山口市内の関連の遺跡として…
- 山口・防府エリア

日和山公園
桜の名所として知られ、関門海峡を見晴らす公園。園内には、昭和31年(1956)、没後90年を記念して建立された高杉晋作の陶像が立っています。高杉晋作は、萩に生まれ、松下村塾に学び、幕末の最強軍団「奇兵隊」を創設、長府功山寺の挙兵を機に長州藩を討幕運動の主役…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

野山獄・岩倉獄跡
萩藩の牢獄跡で、武士が野山獄、町人や農民は岩倉獄に入れられました。安政元年(1854)に海外密航に失敗した吉田松陰は野山獄、その時の従者金子重輔は岩倉獄に投ぜられました。野山獄跡には十一烈士の碑、岩倉獄には重輔絶命の詩碑と松陰が重輔に与えた詩碑が建てら…
- 萩・長門エリア

高杉晋作療養の地
高杉晋作は小倉戦争で、長州軍を指揮して幕府軍と戦いましたが、この戦いで持病の結核が悪化し、桜山神社の近くに小さな家を建てて、野村望東尼(のむらもとに)、愛人おうのの看病による療養生活を送りました。*写真の「高杉東行」の「東行」とは、晋作の号のことで…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

徳地まちじゅうボランティアガイドグループ
