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明倫館遺構聖賢堂

 聖賢堂は藩校明倫館の聖廟前、観徳門の左右にあった東塾・西塾の遺構である。 明倫館廃校の後、両塾を合わせて1棟とし、市内東田町の阿呼社境内に移築されていたが、大正7年(1918)に再び元の地の明倫館跡へ移された。 建物は切妻造り、起こり屋根桟瓦葺き…

  • 萩・長門エリア
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明倫館遺構聖賢堂

向山文庫跡

清水家の家老だった難波家の土蔵。清水親知の遺品と自家の蔵書が残っており,明治39年(1906)には村民にも一般開放していた。昭和51年(1976),光市史跡に指定された。

  • 岩国・柳井・周南エリア
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向山文庫跡

小方謙九郎の墓、小方市右衛門の墓、小方弘徳君碑

石碑は大正2年、小方謙九郎を称えて建てられたものです。小方謙九郎は高杉晋作が結成した奇兵隊に入隊し、馬関攘夷戦に参戦した後、第二奇兵隊の参謀となり、四境の役で活躍しました。維新後は室津に帰り、室津村の第一回村会議員を務め、四階楼を建てた石碑の隣には…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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小方謙九郎の墓、小方市右衛門の墓、小方弘徳君碑

桂太郎旧宅

内閣総理大臣を3度つとめた、拓殖大学の創立者である桂太郎の…

現存する旧宅は、少年時代を過ごした地に、明治42年(1909)に新築されたもので、主屋は派手さを抑え、規模も比較的小さなもので、藍場川沿いの生活を穏やかに楽しむために作られています。藍場川の水を引き込んだ流水式池泉庭園には桂太郎公銅像が建っています。また…

  • 萩・長門エリア
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桂太郎旧宅

明月上人誕生地(願行寺)

明月上人は、享保12年(1727)日前の願行寺に生まれ、松山の圓光寺第7世法灯を継いだ人間味豊かにして逸話多き僧。20歳の頃江戸に遊学し仏儒の学を究め、徂徠(そらい)の古学を好みました。越後の良寛、備中の寂厳(じゃくごん)と共に「近世の三筆」と称せられ、「…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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明月上人誕生地(願行寺)

正護寺

臨済宗で山号を方松山といいます。この寺は、大内氏の一族右田氏から分れた、弘賢が13世紀末にこの陶の地を領し、地名を氏とし、陶氏を名乗るようになりました。陶弘賢はこの正護寺の前方の台地に屋形を築き、政務をとりました。現在屋形の土塁の一部が残っています。…

  • 山口・防府エリア
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正護寺

塔ケ森展望公園

【全体概要】海が見える展望台です。

  • 岩国・柳井・周南エリア
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塔ケ森展望公園

呼坂宿駅本陣跡

関戸(岩国)、玖珂、椙杜、今市に次ぐ近世山陽道の宿駅です。

  • 岩国・柳井・周南エリア
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呼坂宿駅本陣跡

毛利元就公歯廟

2基の宝篋印塔。毛利元政が、父元就の33回忌に元就の歯をお墓に納めたものです。

  • 岩国・柳井・周南エリア
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毛利元就公歯廟

上善寺

【全体概要】蛤御門の変(元治元(1864)年)に際し自刃した松陰門下の四天王の一人「入江九一」他7名は、越前藩の菩提寺であった上善寺に葬られている。

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上善寺

貞昌寺

毛利家一門筆頭宍戸家の菩提寺。代々の位牌と墓があります。

  • 岩国・柳井・周南エリア
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貞昌寺

明倫館遺構南門

この門は、嘉永2年(1849)江向に新築された新明倫館の正門として建てられたもので、明倫館全体からみて南にあたるので南門と名付けられたが、通称表御門と呼ばれていました。門は切妻造り本瓦葺きで桁行3.94m、梁間3.15mの一間一戸の四脚門で、左右に袖があり、潜…

  • 萩・長門エリア
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明倫館遺構南門

明倫館遺構万歳橋

万歳橋は、萩城本丸跡にある指月公園内の志都岐山神社前の庭池に架かる石橋です。もともとは藩校明倫館にあったもので、明倫館には、多くの藩校と同じように聖廟の前に泮水を巡らしてその中央に石橋が架けてありました。その遺構を移築したものです。橋は花崗岩で造ら…

  • 萩・長門エリア
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明倫館遺構万歳橋

前原一誠旧宅跡

【全体概要】明治9年10月26日に起きた萩の乱の中心人物、前原一誠の旧宅跡が山陽小野田市旦西の台地、登り窯の近くにあります。2度にわたる改築で家の様相は変わっていますが、当時からの古井戸、屋敷神、カキの古木など、往時の面影を感じることができるものと…

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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前原一誠旧宅跡

太用寺

福賀にある曹洞宗寺院で、もとは正法寺といいました。寛政10年(1798)2月28日より3月4日まで木喰五行上人が滞在しました。平成9年に建立された聖大観音像は北浦最大で、高さは8.3mもあります。

  • 萩・長門エリア
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太用寺

清鏡寺(清水宗治主従の供養塔)

豊臣秀吉の水ぜめで知られる備中吉備郡高松城の城主清水宗治の菩提寺で、「清水宗治主従の供養塔」があります。古くは吉祥寺と称していたが、分禄3年(1594年)清鏡寺と改めました。

  • 岩国・柳井・周南エリア
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清鏡寺(清水宗治主従の供養塔)

豊久丸の墓

大内義弘死後の弟の盛見は、自分の子豊久丸を水死させ、世子持世を立て後見人となりました。水死体が湛尻の岸に上がったので、有縁の地として妙湛寺を建て祭りました。

  • 山口・防府エリア
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豊久丸の墓

長寿寺(十三重塔)

【全体概要】十三塔は、“抜け寺”の名で親しまれる長寿寺本堂に向かって左側にあり、花崗岩製で相輪は失っているが、他は当初のまま残っています。高さは相輪を除き5.45mあり、実に堂々とした石塔です。下層の軒の一辺は1.17m、最上層の軒の一辺は0.75m…

  • 萩・長門エリア
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長寿寺(十三重塔)

大村益次郎医学記念碑

江戸時代、ここには長州藩の獄舎と処刑場がありました。大村益次郎がここで処刑された女囚の解剖を行い、藩の医学校山口好生堂の生徒に見学させ、講義をしました。近代医学黎明の地として記念碑が建てられています。

  • 山口・防府エリア
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大村益次郎医学記念碑

中山忠光墓

中山忠光は、もともと孝明天皇につかえていた公家でした。幕末には、尊王攘夷派として活動し、武力によって幕府を倒そうとする天誅組の首領になりましたが、その戦いに敗れて長州へ逃げ、1864年(元治1)に暗殺されました。墓は、忠光を祀ってある中山神社境内にあり…

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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中山忠光墓
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