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津和野大鳥居

清水寺
寺の創建は寺伝によると大同元年(806)といわれ、千手観音菩薩立像を本尊とする真言宗の寺院で、山口盆地最古の寺院といわれています。はじめ天台宗でしたが、室町時代に真言宗に改宗したと言われます。観音堂は明応2年(1493)大内政弘が建てたものといわれ、残っ…
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大村能章の部屋(アスピラート)
防府の大作曲家「大村能章」にまつわる展示室
防府が生んだ作曲家「大村能章」の作品1,000曲の検索演奏や遺品30点をパネルとともに展示しています。
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岩畠古墳
【全体概要】横穴式石室で、南に入口を開いている。南と東が道路と接しており、墳丘が削られている。 石室の全長は10.1mで山口県内でも有数の大きさである。玄室は奥行4.5m、幅2.5m、高さ2.9m。石室の石材は花崗岩で、極めて大きい石が使用されてい…
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野村望東尼終焉の宅跡及び墓
幕末の混乱した時代に、勤王歌人として、また志士の母として慕われた野村望東尼が、歌友荒瀬ゆり子宅で他界しました。宅跡は三田尻本町に、墓は桑山にあります。
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井上馨の墓
長州ファイブの1人 井上馨
井上は長州藩士井上家の次男として天保6年(1835)に湯田で生まれ、大正4年(1915)東京で亡くなりました。のちに分霊が洞春寺に祀られました。洞春寺は、永亀3年(1572)の春に毛利元就の菩提寺として、安芸国吉田の城内に創建され、幕末の頃に萩から現在…
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広沢真臣の墓

陶陶窯跡
陶陶窯跡は、須恵器を焼いた窯で、平安時代初期に使われたものと思われます。この地方の地名を陶ということからわかるように、この地では古くから窯業が盛んに行われていました。現在陶地区の北側の山裾一帯には広く須恵器の破片が散布しており、各所に窯跡と見られる…
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一棟貸しの宿泊施設 町家ステイ:上新町
庭園を囲む回廊とオープンスペース、ゆとりの町家暮らし
『津和野町家ステイ上新丁』は、昭和初期(1926年頃)に建設されたと言われており、 約90年も風雪に耐えてきた家です。 10名様までご宿泊体験が可能な施設となっており、ご希望に合わせてご夕食・ご朝食の仕出しをご案内させて頂く、泊食分離の宿泊体験施設とな…
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才谷古墳
【全体概要】才谷古墳は横穴式石室を内部主体とする小円墳で、昭和51年中国自動車道の建設に伴い発見された徳地町唯一の古墳である。古墳時代の後期の小型横穴式石室で使用石材はすべて角のとれた河原石で丁寧に組んである。
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椹野川
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朝日山

大内氷上古墳
大内氷上古墳は、5世紀頃に山口市大内御堀の地に築かれた小型の前方後円墳。大内盆地の首長の墓である墳丘の内部には、後円部中央に竪穴式石室があります。
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三田尻浜大会所跡
三田尻浜の統轄を行ったり、防長塩田の総元締めとしての役割もあった大年寄という役人がいたのが鶴浜の大会所です。現在は、初代大年寄田中藤六の碑をはじめとする5基の石碑が建立、または移設され、往時をしのぶことができます。
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正護寺
臨済宗で山号を方松山といいます。この寺は、大内氏の一族右田氏から分れた、弘賢が13世紀末にこの陶の地を領し、地名を氏とし、陶氏を名乗るようになりました。陶弘賢はこの正護寺の前方の台地に屋形を築き、政務をとりました。現在屋形の土塁の一部が残っています。…
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千八尋の滝
険しく切り立った高い山の狭間に堂々と地響きを立て落下すること約30m。下には奇岩怪石がほの暗い岩壁の間に横たわり、下流は未開の渓谷となっている。ここには小千八尋その他の滝や淵がある。千八尋の滝の名の起こりは、津和野藩主7代目亀井矩貞が隠居して徳祥院と号…
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中郷遺跡
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丸塚古墳群
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蕎麦ヶ岳
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津和野川(錦川)
春には桜鑑賞とライトアップも楽しめる!
町を貫流する川。大橋上より鯉などの魚群が楽しめます。毎年3月下旬から4月上旬には、津和野川沿いに植えられた桜のライトアップを実施しています。春の夜風に吹かれながら明かりに照らされた桜鑑賞を楽しんでみてはいかがでしょうか。 夜間は気温が低くなりま…
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