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マップ

千八尋の滝

険しく切り立った高い山の狭間に堂々と地響きを立て落下すること約30m。下には奇岩怪石がほの暗い岩壁の間に横たわり、下流は未開の渓谷となっている。ここには小千八尋その他の滝や淵がある。千八尋の滝の名の起こりは、津和野藩主7代目亀井矩貞が隠居して徳祥院と号…

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千八尋の滝

大魚渓

平家伝説が残る清流の地

昔から鮎など淡水魚の大物が捕れたことから名付けられた「大魚渓」。これも、天然鮎がすみ、ダムのない一級河川としてはもう数少なくなってきた清流「高津川(たかつがわ)」の清き流れがあるからこそ。また、平家伝説が多く残っている地でもあり、大魚渓のある左鐙地…

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大魚渓

亀井家墓所

永太院の裏山にある藩主亀井家歴代の墓所。築地塀に囲まれた墓石が並びます。

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亀井家墓所

地倉沼

地倉沼は、青野山の北東方向3.5kmにある、標高約430mの天然湖沼です。この沼は、西に張り出した三角形状で、東西約250m南北150m、面積約4万m2です。沼の北側には青野火山と同系されている地倉山があり、地倉沼はそこからの溶岩が西側の中腹にある谷口を埋めた…

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地倉沼

中郷遺跡

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中郷遺跡

白石山

山頂からは、瀬戸内海、佐波川盆地が一望できます。

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白石山

八幡隊結成の地

八幡隊は文久3年(1863)9月に堀真五郎を初代総督として八幡馬場で結成された隊です。総督には当初、久坂玄瑞が推されましたが、自由な身の振りを求めて辞退し、代わりに堀真五郎を就かせました。

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八幡隊結成の地

井上馨遭難の碑

井上は元治元年(1864)中園町袖解橋で藩庁の反対勢力に襲われ重傷を負いましたが、医者所郁太郎によって一命をとりとめました。

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井上馨遭難の碑

代神楽

獅子舞と軽業を一緒にした様な観世物で旧藩時代、伊勢から伝わってきた。昔は代官所、庄屋の許可をとり悪魔払いの祈祷として、白幣と抜刀を握って舞い、連獅子、手まりの曲取りを演じていた。(嬉遊笑覧)日華時変、太平洋戦争になって、一時姿を消したが終戦後復活し…

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代神楽

狗留孫山

麓には法華寺、八合目には金徳寺跡があります(庄方観音)。

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狗留孫山

朝日山

【ビューポイント】中腹には千手観音で名高い真照院があり、山頂からは瀬戸内海をはじめとして周囲を一望することができます。

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朝日山

白石山ハイキング

【コース概要】標高541mの白石山には、山中に巨岩が散在するハイキングコースがあります。山頂付近に点在する巨岩からの眺望がすばらしいです。

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白石山ハイキング

木戸山

  • 山口・防府エリア
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木戸山

山陰道

中世の旧街道が県道整備で発掘されました。津和野町中座地区で現在行っている県道整備に関連し、町教育委員会の調査で発掘した旧街道「山陰道」の石畳がいま注目を集めています。発掘した石畳は、延長150メートルで幅3メートル。石が積み重なり、隙間は土で固められて…

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山陰道

杜塾美術館

日本家屋の木のぬくもりと、陰影に富む空間。 津和野藩の筆頭庄屋屋敷を往時のままに復元し、中尾彰、吉浦摩耶画伯の心和む絵画を展示しています。故 中尾彰氏は、1905年津和野生まれ独立美術協会員。1年の半分を蓼科高原に住み、創作活動を続けていました。また展示…

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杜塾美術館

大村能章の部屋(アスピラート)

防府の大作曲家「大村能章」にまつわる展示室

防府が生んだ作曲家「大村能章」の作品1,000曲の検索演奏や遺品30点をパネルとともに展示しています。

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大村能章の部屋(アスピラート)

雨乞い踊り

もともとは、東大寺の用材を筏にして、佐波川を下る折に沈んだ坊さんの追善供養のため催されていました。後に、雨乞い踊として早魃年のみ行うことになったものです。

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雨乞い踊り

広沢真臣の旧宅跡

広沢真臣は萩の城下町で生まれ、藩庁が山口に移された際、現在の山水園の裏あたりに住みました。旧宅跡を示す石碑が残されています。

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広沢真臣の旧宅跡

津和野町/主水畑

元和3年(1617)亀井政矩が4万6000石で津和野に入封、以後250年間亀井家がこの地を治め明治維新を迎えました。藩政を支えたのが親戚筋の家老多胡真清の他三兄弟で、以後も多胡家は代々藩主を助け、城下町の整備と産業の育成に辣腕を振るいます。今も町内に残る段々畑は…

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津和野町/主水畑

闘鶏踊り

頭に鶏冠をつけ、胸前へ太鼓、腰輪をつけて踊ります。

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闘鶏踊り