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周防鋳銭司跡
最初に銭貨が鋳造された708年から平安時代初期にかけて、鋳銭の事業の大部分が、この鋳銭司で行われました。9世紀中頃まで鋳造していたが、いつの間にか廃絶しました。
- 山口・防府エリア

錦の御旗製作所跡
慶応3年(1867)討幕の勅命が下り、品川弥二郎は京都西陣で材料を購入し、ここにあった養蚕所の一室で御旗の製作にあたりました。ここで製作された錦の御旗が、鳥羽伏見の戦において官軍の陣頭に立てられました。
- 山口・防府エリア

三田尻浜大会所跡
三田尻浜の統轄を行ったり、防長塩田の総元締めとしての役割もあった大年寄という役人がいたのが鶴浜の大会所です。現在は、初代大年寄田中藤六の碑をはじめとする5基の石碑が建立、または移設され、往時をしのぶことができます。
- 山口・防府エリア

吉田松陰と寺嶋忠三郎訣別の地
【全体概要】安政6年(1859)吉田松陰が萩の野山嶽から江戸に護送される途中、弟子の寺嶋忠三郎と師が無言の別れを告げた場所です。 師弟それぞれの思いを詠んだ歌碑が建てられています。(周南市指定文化財)
- 岩国・柳井・周南エリア

周防灘干拓遺跡 高泊開作浜五挺唐樋
切石による精緻な樋の構造と技術に感嘆
高泊の浜五挺唐樋は、江戸時代における周防灘での干拓の実態を示す貴重な遺跡であり、また、切石による精緻な樋の構造は、当時の土木技術の到達点をよく示しています。高泊開作は、小野田の高泊湾を干拓したもので、1668年(寛文8)に完成。樋門は幅10.81m、総高6.18…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

吉田松陰東送の碑
【全体概要】安政6年(1859)5月25日午前9時ごろ、江戸幕府により東送を命ぜられた吉田松陰は、唐丸籠に乗り、食事ができる程度にゆるく手を縛られ、小雨の中萩を後にしました。途中、小休止をとった萩往還沿いの夏木原で、日本の現状を憂い、行く末を案じて詠んだ詩が…
- 萩・長門エリア

日置峠山の須恵器窯跡

周布政之助の碑
【全体概要】周布は藩政の主導権を幕府の考え方に従おうとする俗論等に奪われた責任を取り、自刃しました。その場所の近くに功績を伝える碑が建っています。
- 山口・防府エリア

唐樋札場跡(萩往還)
萩市の中心部、唐樋(からひ)町に位置する「札場跡」。藩府・萩と防府三田尻を結ぶ、萩往還の起点となる場所です。周防・長門両国の一里塚の基点とされました。また、幕府や藩からの「御触」(法令や規則など)が掲げられた高札も立っていました。
- 萩・長門エリア

吉田松陰防長路惜別の地
吉田松陰の歌碑が建っています。安政の大獄で、幕府の召喚をうけた吉田松陰が籠で護送される途中、広島県との境である小瀬川に差し掛かかった際、防長二州と最後の別れを覚悟して惜別の歌を詠みました。現在、小瀬川にはこの歌を刻んだ吉田松陰歌碑が建てられています…
- 岩国・柳井・周南エリア

奥阿武宰判勘場跡
【全体概要】勘場跡は、貞享4年(1687年)から明治11年の初めまでの200年間、奥阿武宰判の代官所として、むつみ村、阿東町、須佐町、田万川町、阿武町(奈古を除く)を統括し、政治・文化の中心地でした。現在は、敷地及び周辺の石組みが残っています。
- 萩・長門エリア

伊藤井上両公上陸の碑
文久3年(1863年)、「長州ファイブ」の一員としてイギリスにいた伊藤博文、井上馨は、英米仏蘭の4ヶ国連合艦隊が下関を攻撃するとの情報に接し、英国留学を中断して帰国の途につきました。両名は、元治元年(1864年)6月24日に富海に上陸し、飛船問屋入本屋磯七の宅…
- 山口・防府エリア

萩焼古窯跡群
【全体概要】江戸時代初期、萩藩主である毛利家は、文禄・慶長の役(1592~98)で連れ帰った朝鮮人陶工に命じて松本村中の倉(現萩市椿東)に御用窯を開きました。御用窯はそののち大津郡深川村三ノ瀬(そうのせ・現長門市湯本)にも分かれたため、それぞれの窯品を「松…
- 萩・長門エリア

野谷の石風呂
1186年(文治2)ころ、俊乗房重源(しゅんじょうぼうちょうげん)が東大寺を建て直すための役割を担い、佐波郡の山中から多くの建築用材を奈良に送る仕事をしました。野谷の石風呂は、作業をする人たちの病気治療のために重源がつくった施設の一つです。石風呂は石を…
- 山口・防府エリア

寺島忠三郎関連史跡
寺嶋忠三郎は、天保14年(1843)近習寺嶋太治郎の二男として生まれました。16才で松下村塾に入り吉田松陰の弟子となり、尊王攘夷運動に尽くしましたが、禁門の変に際して久坂玄瑞とともに自刃しました。顕彰碑と辞世の碑が建てられています。
- 岩国・柳井・周南エリア

大和屋政助の船蔵
江戸時代、富海浦は、旧山陽道の南方約18mのところに岸壁が広がっていました。記録によるとここでは、書状や小物、人を大阪へ運ぶ船頭二人乗りの飛船(とびふね)が頻繁に出入りし、「瀬戸内の飛脚船」として活躍したと残されています。当時、大和屋政助(やまとやま…
- 山口・防府エリア

立石孫一郎の碑
第二奇兵隊幹部の立石孫一郎は、倒幕を急ぐあまり仲間を引き連れて隊を脱走し、倉敷代官所などを襲撃しました。その後、幕軍に追われることとなり、慶応2年(1866年)藩命に背いたとされ千歳橋の橋上で暗殺されました。その場所の近くに、石碑と小さな祠が建てら…
- 岩国・柳井・周南エリア

室積台場跡
江戸時代末、四国艦隊の報復攻撃に備え沿岸に砲台場を築いたもの。当時の長州藩は男手が不足し、後に残った婦女子が中心になってこれを築きました。このことから、通称「女台場」といわれています。市指定史跡となっています。
- 岩国・柳井・周南エリア

明倫館遺構聖廟(海潮寺)

四境の役大島口戦跡碑








