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普門寺塾跡

錦の御旗製作所跡
慶応3年(1867)討幕の勅命が下り、品川弥二郎は京都西陣で材料を購入し、ここにあった養蚕所の一室で御旗の製作にあたりました。ここで製作された錦の御旗が、鳥羽伏見の戦において官軍の陣頭に立てられました。
- 山口・防府エリア

民謡「男なら」
幕末に、長州藩の武士は海防のため下関に総出していたため、萩の老若婦女子が菊ケ浜に台場を築きました。その時、士気を鼓舞するため歌ったのが民謡「男なら」です。
- 萩・長門エリア

新山口駅南口観光案内所
山口県の玄関口ともいえるJR新山口駅。新幹線口の改札隣りの分かりやすい位置に観光案内所があります。新幹線発着駅という場所がら、山口市のみならず、駅を拠点とした広範囲の案内にも案内員さんが丁寧に対応。また、外国人対応担当の方がおられ(常時ではありません…
- 山口・防府エリア

花岡勘場跡地
花岡勘場跡地は、萩藩創建期の頃に設置された都濃宰判(代官所)の跡地です。代官は年3回春秋冬に萩から出張して重要な決裁を行っていました。日頃は大庄屋が出勤して代官の代わりを務めていたといいます。付近には、御茶屋(本陣)・御番所・高札場などがあり、花岡…
- 岩国・柳井・周南エリア

三好写真館跡

山縣有朋墓
護国寺は、五代将軍綱吉の生母桂昌院の発願で天和元年(1681)に創建された真言宗の寺院で、格式高い将軍家の菩提所です。 本堂裏手は墓地になっており、三条実美、大隈重信など維新の元勲たちの巨大な墓標が競うように建てられています。 長州藩出身の山縣有朋の…
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四境の役砲撃戦跡

安部家本陣跡
安部半右衛門宅は山口の脇本陣として、毛利藩主一族の宿所にも使用されていました。小松帯刀・西郷隆盛・大久保利通らが山口に来た際、ここに泊まっています。
- 山口・防府エリア

瀬戸公園
瀬戸公園は般若姫伝説で知られる大多満根神社の境内を公園に整備したもので、展望台からの瀬戸内海の眺めは絶景です。大島大橋と雄大な渦潮をつくる大畠瀬戸、そしてその中を行き交う船、まさに動く景色を間近に満喫でき、グループや家族連れの憩いの場となっています…
- 岩国・柳井・周南エリア

響灘・厚島展望公園
響灘の沖合2kmに連なる、男島、女島、竜宮島、石島、これら4島を総じて呼ばれる厚島と、限りなく広がる響灘の水平線を眼下に一望できるビュースポット。訪れた人々を魅了してやまない一大パノラマがお楽しみいただけます。
- 下関・秋吉台・宇部エリア

中の浦海浜公園

外史公園
外史公園(がいしこうえん)には、「日本の航空とスキーの先駆者」である下松市出身の軍人・政治家として活躍した『長岡外史』(1856年~1933年)の石像が建っています。外史の長いヒゲの長さは約70㎝もあり、「プロペラひげ」とも呼ばれていました。国民宿舎「大城」…
- 岩国・柳井・周南エリア

福田貝館

萩城城下町コース
萩は現在でも「古地図で歩けるまち」で、江戸時代に形成された町割や街路、武家屋敷や町家などが多く連続して存在しています。往時の面影を残す町筋を歩き萩の歴史を体感できます。平坦で歩きやすいコースです。萩博物館→北の総門→旧周布家長屋門→問田…
- 萩・長門エリア

明倫館遺構南門
この門は、嘉永2年(1849)江向に新築された新明倫館の正門として建てられたもので、明倫館全体からみて南にあたるので南門と名付けられたが、通称表御門と呼ばれていました。門は切妻造り本瓦葺きで桁行3.94m、梁間3.15mの一間一戸の四脚門で、左右に袖があり、潜…
- 萩・長門エリア

おとどいやま森林公園

源久寺
建久8年(1197)鎌倉幕府から仁保など6ヵ庄の地頭職に任じられた平子重経が、周防に下向し、仁保の地に居館を築き、政務を執っていました。重経は正治元年(1199)将軍源頼朝の死によって、その菩提を弔うためにこの寺を建立したものです。寺号は源家の永久安泰繁栄…
- 山口・防府エリア

旧上関番所
番所とは、江戸時代に、萩藩が国境または海陸の要衝に設けた見張り所で、地域の警備や港湾で扱う積荷の検閲など行う役人の詰め所です。鬼瓦には萩毛利家家紋がついています。この上関番所は、はじめ長島の四代(しだい)に1632年(寛永9)に設置されていたものを、利…
- 岩国・柳井・周南エリア

護国神社
