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八幡隊結成の地
八幡隊は文久3年(1863)9月に堀真五郎を初代総督として八幡馬場で結成された隊です。総督には当初、久坂玄瑞が推されましたが、自由な身の振りを求めて辞退し、代わりに堀真五郎を就かせました。
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山口県文書館
藩政文書(毛利家文庫ほか)、諸家文書、行政文書(重要文化財「山口県行政文書」ほか)、行政資料(リーフレット・ポスターほか)、特設文庫などの資料が閲覧できます。
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円龍寺

陶の腰輪踊
8月28日に、陶の八雲神社(荒神社)の神事として境内で舞われる踊り。八雲神社に所蔵されている「当屋名寄帳」によると、およそ400年以上前から、念仏踊りとして行われていたことが分かります。この踊りは、馬の病難除けを祈るための舞いで、踊り子が御幣を下げた竹の…
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平清水八幡宮本殿
社伝によると吉田、恒冨の鎮守として、大同4年(809)に豊前の宇佐八幡宮から神霊を迎えて創建したものとされています。平清水の社号は、神殿の右側にある泉が、日照でも、豪雨でも、水量が一定していることからつけられたといわれています。本殿は、三間社流造りで、…
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広沢真臣の旧宅跡

広沢真臣の墓

大村益次郎生誕宅跡

小鯖代神楽舞
毎年秋の小鯖八幡宮例祭の時、神社の境内で舞われる代神楽舞。江戸時代の初期に、住民の家内安全・繁昌を祈って、宮内の名子(農民)を伊勢に参らせ、伝承を受けたと言われ、古来、氏神八幡宮の所在地である宮河内地区に伝わり、恒例として、毎年4月16日と10月16日の…
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周防鋳銭司跡
最初に銭貨が鋳造された708年から平安時代初期にかけて、鋳銭の事業の大部分が、この鋳銭司で行われました。9世紀中頃まで鋳造していたが、いつの間にか廃絶しました。
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広沢寺
山号は万年山、曹洞宗のお寺で、本尊は薬師如来です。この寺は大内氏26代盛見の子教幸の菩提寺で、文明年間(1470頃)の創建です。はじめ山口古熊にありましたが、明治3年現在の地に移ってきました。
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長寿寺

陶陶窯跡
陶陶窯跡は、須恵器を焼いた窯で、平安時代初期に使われたものと思われます。この地方の地名を陶ということからわかるように、この地では古くから窯業が盛んに行われていました。現在陶地区の北側の山裾一帯には広く須恵器の破片が散布しており、各所に窯跡と見られる…
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山口県埋蔵文化財センター

岸見の石風呂
岸見の石風呂は、東大寺再建の用材を切り出した時の遺跡で、人夫の保養のため重源上人によって作られたものです。地元の花崗岩石を積み上げた幅4.4m、奥行3.6m、高さ1.8mの石室からなり、土間には石が敷きつめられており、石室は木造茅葺きの覆屋により保護されて…
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鷺流狂言
山口市の鷺流狂言は長州藩お抱え狂言に発しています。能楽とともに室町時代にできあがりました。その後、狂言師春日庄作が、明治20年頃に市内野田に能舞台が創設されたのを機に山口に定住し、芸を伝えました。
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大村益次郎墓
大村益次郎は、1825年(文政8)吉敷郡鋳銭司村(現山口市鋳銭司)の医家に生まれ、蘭学・医学を学び、兵学をもって萩藩に仕えました。四境戦争(1866年(慶応2))では、優れた戦術をもって幕府軍を破り、討幕の機を早め、戊辰の役にも参謀として活躍。明治維新後は軍…
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長沢の池

長沢池
国道2号線そばにある周囲約6㎞の大湖。慶安4年(1651年)頃、代官東条九郎右衛門の在役中に築かれたもので、天保年間には鋳銭司村、名田島村、台道村の田畑に堤水を供給し、他村が干ばつにみまわれても、長沢堤を利用する村々は干ばつを免れました。現在では、春は桜…
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見島ジーコンボ古墳群
国境警備の武人の墓所・国指定史跡
萩市見島の東南部海岸一帯の小石の海浜に、比較的大きい玄武岩を用いて造られた 200基近い積石塚の密集した群集墳。7世紀後半から10世紀初頭にかけて造られたと推定され、新羅(しらぎ)の侵入に備えて見島に駐留していた武人の墓といわれています。ジーコンボとは、…
- 萩・長門エリア
