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岩国市ミクロ生物館
ミクロの世界のさまざまな生き物を中心に紹介する世界初の博物館です。瀬戸内海の自然を支えている小さな生物たちから、自然保護の大切さや生命の神秘を学ぶことができます。あなたもぜひ、ミクロの世界の生き物たちと友達になってください。
- 岩国・柳井・周南エリア

木谷峡
鹿落しの滝や淵、奇岩怪石の連なる木谷峡は、別名もみじ峡といわれ、県内屈指の紅葉の名所です。白いしぶきをあげて流れる木谷川と、渓谷を覆うように色づく両岸のもみじのコントラストが大変美しい場所です。
- 岩国・柳井・周南エリア

蓮華山
岩国市周東町、玖珂町にある山です。新たに整備された西峰展望台からは、眼下に広がる玖西盆地や鞍掛山、眼前には竜ヶ岳、大黒山。条件が良ければ遠くに四国や九州国東半島の山々を望むことができます。また、北川には物見ヶ岳、三倉岳、遠くには羅漢残、寂地山、冠山…
- 岩国・柳井・周南エリア

高津川
中国地方屈指のダムの無い清流、高津川。川沿いを走る国道187号線の対岸には、緑の山々や町並みかゆったりと広がり、春の新緑、夏の鮎釣り、秋の紅葉と季節が描きだす風物詩も彩り豊か。沿線に点在する左鐙、軍馬谷、集議谷、晩越峠など平家の伝説を秘めた地名も、こ…
- 山口・防府エリア

龍泉寺 楼門とタラヨウ
龍泉寺への石段をあがったところに楼門(町指定建造物)があります。18世紀末期の特徴をそなえた端正で、均衡の取れた造形です。境内には、仏教木として植樹された高さ11mを誇るタラヨウの大木もあります。県内でも稀な大きさです。
- 岩国・柳井・周南エリア

日乃出温泉

熊谷美術館
熊谷家の土蔵3棟を改造した美術館には、熊谷家代々の当主が収集した美術品が展示してあります。主な展示品は、雪舟三幅対など書画屏風類、茶道具類、装飾用品のほか、文書資料約500点。特に、長崎において親交のあったドイツ人医師シーボルトから贈られた日本最古…
- 萩・長門エリア

六軒茶屋跡(萩往還)
萩往還は、慶長9年(1607)萩城築城後、その城下と三田尻(防府)をほぼ最短で結ぶ参勤交代道として開かれた陰陽連絡道で、延長52.7キロメートルの街道です。萩往還には旅人の休憩の場として茶屋が所々に設けられていました。その茶屋の中で、萩往還最大の難所、一の坂に…
- 山口・防府エリア

井上馨遭難の碑

魚切の滝

外史公園
外史公園(がいしこうえん)には、「日本の航空とスキーの先駆者」である下松市出身の軍人・政治家として活躍した『長岡外史』(1856年~1933年)の石像が建っています。外史の長いヒゲの長さは約70㎝もあり、「プロペラひげ」とも呼ばれていました。国民宿舎「大城」…
- 岩国・柳井・周南エリア

梶栗浜遺跡
梶栗浜遺跡は、下関市安岡梶栗浜にある弥生時代の墓地遺跡。発掘調査により、ここから鏡、銅剣、土器などの遺物が出土したが、そのうちの青銅器は、我が国の遺跡から発見された例が少ない朝鮮古代のものであることがわかっています。出土品は、下関市立考古博物館に保…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

土井ケ浜バンガロー

青海島鯨墓
鯨墓は、高さ2.4メートル、幅0.46メートルの花崗岩の石塔です。正面には「業尽有情雖放不生」「故宿人天同証佛果」「南無阿弥陀仏」と陰刻され、側面には「元禄五年壬申五月 願主 設楽孫兵衛・池永藤右衛門早川源右衛門」と刻まれています。「鯨1頭取れれば7浦が賑わ…
- 萩・長門エリア

片倉温泉

大野毛利家墓所(海前寺跡)
大野毛利二代目「就詮」が眠る
大野毛利8,600石の領主、ご一族の菩提寺(ぼだいじ)であった海前寺というお寺があった場所です。お墓の手前や右側に栗の木や黒松、くろがねもち、梅の木などの庭木があり屋敷の跡を思わせるものがあります。海前寺跡大野毛利氏の二代就詮(なりあき)ら10基のお墓が…
- 岩国・柳井・周南エリア

中ノ浜遺跡
中ノ浜遺跡は、響灘に面した下関市豊浦町の海岸砂丘にある、弥生時代の前期から中期初頭にかけて築かれた埋葬遺跡。昭和35年に発見されました。平成2年に墓地公園として整備され、一般に公開されています。
- 下関・秋吉台・宇部エリア

乗福寺
乗福寺は臨済宗の古寺で、大内氏22代重弘が開いたお寺です。元応2年(1320)3月6日重弘が死亡したため、本寺に葬り菩提寺となりました。寺運の盛んな時は、塔頭36字、末寺88箇所あったといわれますが、大内氏滅亡とともに衰廃しました。今の寺は塔頭の正寿院を転じ…
- 山口・防府エリア

児玉源太郎墓
【施設概要】児玉源太郎は、長州藩の支藩・徳山藩出身の陸軍軍人。 陸軍大学校長、台湾総督、陸相などを歴任した後、日露戦争では満州軍参謀長として全力を尽くして作戦指導にあたり、戦後まもなくの明治39年に、あたかも力尽きたかのように亡くなりました。 はじ…
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長州藩下屋敷跡
【施設概要】江戸時代初め、長州藩では江戸における屋敷が手狭になったため、幕府に願い出て寛永13年に麻布龍土町に新しい屋敷を拝領しました。 当初は27,000坪余りだった敷地は、後年には周辺の空き地も買い足して36,080坪にもなり、付近の山や谷まで…
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