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早長八幡宮
【全体概要】江戸時代、瀬戸内海の交通の要衝として栄えた室積地域の氏神である早長八幡宮。毎年10月の第2日曜日に行われる秋祭りでは、威勢のよい「木遣り唄」が歌われながら、山車が町内を引き回されます。
- 岩国・柳井・周南エリア

相国寺
【全体概要】蛤御門の変(元治元(1864)年)で殉難した長州藩士20数名が葬られている。
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竜崎遊歩道
橘町民俗資料館を起点として竜崎半島に沿った遊歩道で、別名サンシャインロードと呼ばれています。半島に沿ってつくられているので、やさしい潮の香りと波の音が快い。【その他】※通行止めのお知らせ(H28.7.29)大雨により、竜崎遊歩道が通行不可となっています。復…
- 岩国・柳井・周南エリア

豊北・附野薬師ハイキングコース

江津川
- 萩・長門エリア

義民おどり
【全体概要】文化7年、酒米をつくる水車場を作ったため、小舟による薪炭の積み出しが出来なくなりました。村人の代表として、藩庁にとり除きの嘆願をした平助と権太が刑場でざん首され、村人たちは義に感じ、川上の二義民としてねんごろに葬り、碑を立て永く不朽の遺…
- 萩・長門エリア

舞「男なら」
【全体概要】幕末に、長州藩の武士は海防のため下関に総出していたため、萩の老若婦女子が菊ケ浜に台場を築いきました。その時に士気を鼓舞するため歌ったのが民謡「男なら」で、その民謡を舞踊にしたものです。
- 萩・長門エリア

戻路杖踊り
【全体概要】戦国時代、美濃国の墨川三輔がこの地に逃れた際、兵法武芸十八般の内、棒術の流れを汲むものを伝えたのが始まりとされます。一時途絶えていましたが、地区の人々の努力により再現されました。現在は9月の中須小・中学校合同運動会にて踊られています。
- 岩国・柳井・周南エリア

西河内神楽

和久1号古墳
- 下関・秋吉台・宇部エリア

女滝

小方謙九郎の墓、小方市右衛門の墓、小方弘徳君碑
石碑は大正2年、小方謙九郎を称えて建てられたものです。小方謙九郎は高杉晋作が結成した奇兵隊に入隊し、馬関攘夷戦に参戦した後、第二奇兵隊の参謀となり、四境の役で活躍しました。維新後は室津に帰り、室津村の第一回村会議員を務め、四階楼を建てた石碑の隣には…
- 岩国・柳井・周南エリア

かよいガイド会
青海島の通地区は昔ながらの漁村特有の細い路地や家並みが日本の原風景を感じさせる漁村です。海に生き、捕鯨を日々の糧とした鯨文化が色濃く残る古式捕鯨の里を、「くじら資料館」や鯨墓を中心にご案内します。●主なガイド先 くじら資料館・鯨墓・向岸寺・早川家●お…
- 萩・長門エリア

大人の贅沢時間!「香り豊かな珈琲の淹れ方体験」

長野神楽舞
寛永16年(1639)に創設され、享保5年(1720)より七年期となったとされます。七年期神楽舞の由来は享保年間(1716~1736)に、数年続いた大飢饉で凶作、虫害に苦しみに対し、生業発展・五穀成就・百難消滅を三地区(上・中・東長野、下長野、鳴川・中島)で蛆ヶ森(…
- 岩国・柳井・周南エリア

岩戸神楽

富永有隣の碑
維新の動乱期、数々の功績を残しながら自身の来歴を語ろうとせず、また、同志や門弟達が新政府の要職に就き脚光を浴びている時も、ひとり裏街道を歩き、隠遁と苦難の生活にあまんじた人物が富永有隣です。明治17年から生涯を閉じるまで、この場所で後進の指導にあた…
- 岩国・柳井・周南エリア

来嶋又兵衛像
【全体概要】現在の厚保小学校のプールの場所に来嶋又兵衛の家がありました。彼の妻は、厚保村(美祢市西厚保町本郷)の酒造家で永代大庄屋格来嶋清三郎の長女のタケです。結婚1年後には、妻の実家である来嶋清三郎宅横に家を新築して、ここに転居してきました。 元…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

問田益田氏旧宅土塀
萩藩の重臣で4,000石を領した問田益田氏旧宅の土塀。堀内地区は萩藩重臣の邸宅が並んでいた所で、中でもこの土塀は最もよく旧態を留めています。市指定文化財。2015年7月明治日本の産業革命遺産として世界遺産に登録された萩城下町にあります。
- 萩・長門エリア

萩往還交流施設 乳母の茶屋
昔の街並みが偲ばれる休憩所
明木市の休憩所。自由に休憩ができます。お茶屋(佐々木家)の跡地で、毛利公の乳母をした人が毛利公から茶屋を下賜されたとの言い伝えが残っています。
- 萩・長門エリア
