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月輪寺薬師堂 附 厨子一基 棟札二枚
県内最古の木造建築物といわれ、平屋建寄棟造りの簡素ながら調和のとれた様式で、オノによる荒削りの木材を利用しています。月輪寺境内にある堂は、桁行五間(12.27m)、梁間四間(9.82m)、一重寄棟造り茅葺の建物です。寺伝によると、1189年(文治5年)俊乗坊重源…
- 山口・防府エリア

大帯姫八幡宮
由緒ある八幡宮の桜並木
柳井市の日積地区にある大帯姫八幡宮(おおたらしひめはちまんぐう)は、古くは奈良時代に歴史をさかのぼると言われる由緒ある八幡宮です。境内には桜の木が多く植えられており、毎年4月上旬には、見頃を迎え花見の名所としても有名です。境内の駐車場には市営のキャン…
- 岩国・柳井・周南エリア

遠石八幡宮
お正月には多くの人で賑わう
推古天皇の時代に宇佐八幡宮の分霊社として建立されました。下関壇ノ浦での源平合戦の前哨戦が行なわれた記録が古鐘に刻まれており、鐘は文化財に指定されています。
- 岩国・柳井・周南エリア

江龍寺

安養寺(木造阿弥陀如来坐像)
安養寺には、国の重要文化財に指定されている木造阿弥陀如来坐像が安置されています。クス材の寄木造りで、台座・光背は後補。像高は269.1cmで、いわゆる丈六仏(じょうろくぶつ)の大きさです。
- 下関・秋吉台・宇部エリア

龍蔵寺観音堂

白山比咩神社(白山神社)

国分寺
もともと長府の国分寺跡にあったものを、明治23年(1890)に廃寺となっていた大隆寺後の現在地へ移転したものです。昭和20年の空襲で、本堂などの建物は焼失したが、寺宝である「絹本着色十二天曼荼羅図(けんぽん ちゃくしょく じゅうにてんまんだらず)」と「木造不…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

北方八幡宮
もとは東岐波に宇佐八幡宮の祭神を勧請したことにはじまり、1255年(鎌倉時代)これを南北に分神させた際に、北方を当地に神殿が移されました。左右に突き出た部分をもつ優美な屋根が特徴の楼門は、大内時代の建築様式を残す県内でも珍しいものです。毎年9月敬老の日…
- 山口・防府エリア

妙円寺(月性展示館・清狂草堂)
幕末勤皇僧「月性」のゆかりの地
1817年(文化14年) に妙円寺に生まれた僧月性。九州で遊学中に長崎でオランダ船を目撃し、海防の必要を感じ、帰郷後の1848年(嘉永元年)に私塾「清狂草堂(せいきょうそうどう:別名・時習館)」を開き、子弟の教育に努めました。門下生には久坂玄瑞をはじめ、多くの志を…
- 岩国・柳井・周南エリア

広沢寺
山号は万年山、曹洞宗のお寺で、本尊は薬師如来です。この寺は大内氏26代盛見の子教幸の菩提寺で、文明年間(1470頃)の創建です。はじめ山口古熊にありましたが、明治3年現在の地に移ってきました。
- 山口・防府エリア

桜山神社(招魂社)
高杉晋作の発議により創建された殉国の志士の神霊を祀る招魂場です。吉田松陰、高杉晋作、久坂玄瑞などの高名な志士から名前のない者まで、身分に関係なく等しく、祀られています。この地は奇兵隊の調練場跡でもあります。
- 下関・秋吉台・宇部エリア

金麗社
祭神は菅原道真、旧称天満宮。1865年、藩政府軍と諸隊が大田・絵堂で戦った際に、諸隊の本陣が置かれたところです。境内には、その時の戦利品や多くの石碑があります。
- 下関・秋吉台・宇部エリア

洞泉寺
曹洞宗洞泉寺は紅葉谷公園の一角にあります。吉川家歴代の菩提寺で、寺域内には岩国藩主吉川氏の墓所があります。樹齢300年を越える枝垂れ梅「臥龍梅」をはじめ、梅の古木が約10本あり、土塀や門とともに落ち着いた景観を見せています。大変残念なことに2004年の台風…
- 岩国・柳井・周南エリア

児玉神社
児玉神社は、大正12年(1923)に地元有志の発起により、児玉源太郎を祭神として創建されました。社殿は、神奈川県江ノ島に建設されていた神殿と附属建物を移し、旧邸址である現在地に建立したものです。境内には「徳山七士碑」、後藤新平の筆による「徳足以懐遠」、児…
- 岩国・柳井・周南エリア

二尊院/宿坊えんとき
「楊貴妃伝説」で知られるお寺。宿坊では滝行・厄除けクルージ…
その昔、絶世の美女「楊貴妃」が難を逃れて小舟に乗り、この地に漂着したという伝説があります。境内には「楊貴妃の墓」と伝えられる五輪塔(県指定文化財)と、その菩提を弔うために安置された本尊である二尊仏「阿弥陀如来立像・釈迦如来立像」(国指定重要文化財・…
- 萩・長門エリア

住吉神社
山口県指定無形民俗文化財「お船謡」が代々伝承される。
住吉神社は、万治2年(1659)に勧請されました。その神幸祭に山車「お船」の上で謡われるようになりましたが、藩政時代には一般人の「お船謡」の演唱は禁じられ、演唱者も世襲的な藩の階級である「浜崎歌舸子(かこ)」の家柄の者14人に限られていました。明治以降、…
- 萩・長門エリア

教蓮寺

了円寺

御汗観音
天保3年,中島屋太郎右衛門,桂掛比丘の2人が夢の中で観世音のお告げをきき,鹿水山中から掘り出し安置したものと伝えられ,観音像が常に濡れているところから御汗観音と呼ばれている。
- 岩国・柳井・周南エリア








