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杉元相父子の墓所

糸根の松原
クロマツ巨樹群に圧倒されます
【全体概要】糸根地区公園内のクロマツ巨樹群約12,000㎡(クロマツの成木約90本)。当松原は、JR埴生駅南方約1.0km、埴生小学校の前方国道2号に添い、沿岸のかっての砂洲上に群生するクロマツ巨樹群である。最大のものは、目通り幹囲293cm、樹高20mの大木である。樹齢…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

大内氷上古墳
大内氷上古墳は、5世紀頃に山口市大内御堀の地に築かれた小型の前方後円墳。大内盆地の首長の墓である墳丘の内部には、後円部中央に竪穴式石室があります。
- 山口・防府エリア

大内氏遺跡附凌雲寺跡

大和屋政助の船蔵
江戸時代、富海浦は、旧山陽道の南方約18mのところに岸壁が広がっていました。記録によるとここでは、書状や小物、人を大阪へ運ぶ船頭二人乗りの飛船(とびふね)が頻繁に出入りし、「瀬戸内の飛脚船」として活躍したと残されています。当時、大和屋政助(やまとやま…
- 山口・防府エリア

山陰道
中世の旧街道が県道整備で発掘されました。津和野町中座地区で現在行っている県道整備に関連し、町教育委員会の調査で発掘した旧街道「山陰道」の石畳がいま注目を集めています。発掘した石畳は、延長150メートルで幅3メートル。石が積み重なり、隙間は土で固められて…
- 山口・防府エリア

永太院

周防明倫館兵学寮跡
長州藩士 上田鳳陽が創立した山口講習堂が山口明倫館と改称しました。山口明倫館は文学寮と兵学寮とに分かれ、文学寮には小学舎及び編集局、兵学寮には歩兵・騎馬・砲兵の三兵塾がありました。
- 山口・防府エリア

一升谷の石畳(萩往還)
江戸時代の面影が残る石畳
萩往還の一升谷は、明木から釿切(ちょうのぎり)間の約2km、標高差約300mの坂道で、昔から、あまりに急な坂道のために、「一升の炒り豆を食べながら歩くと、坂を登りきるまでにちょうど食べつくしてしまう」ことから、このように呼ばれていたといわれています。幅約…
- 萩・長門エリア

多賀社
標高330m、多賀山の山上に鎮座するイザナギノ尊とイザナミノ尊を祭り、 近江国多賀神社の分霊を勧請す、と伝えられています。延命の神様として広く知られ、多くの参拝者が訪れます。山頂からの眺望もすばらしく、ハイキングコースに最適です。駐車場手前の西側に2本の…
- 岩国・柳井・周南エリア

品川弥二郎旧宅跡

坪井九右衛門旧宅

玉木文之進旧宅
【全体概要】松陰の叔父で、松下村塾を創めました。松陰の師にあたり、乃木希典はこの家から明倫館に通いました。【その他】●周辺観光施設●松陰神社、松下村塾、伊藤博文別邸、伊藤博文旧宅、東光寺など
- 萩・長門エリア

長寿寺

大林寺

秋根一号古墳
秋根神社の境内にある6世紀中頃の円形墳で、墳丘が削られ、石室の一部が露出しています。石室は横穴式石室で、奥室と前室があり、室壁はほとんどが礫岩で一部に花崗岩が使われています。さらに石室全体は、天井部に近いほど小石を積み上げドーム状になっています。奥…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

能満寺
俵山温泉から東へ約2㎞離れた、田園の中にある真言宗の古刹です。大同元年(806年)、弘法大師が唐からの帰朝の折、この地に立ち寄って創建したと伝えられています。石段を登ると鮮やかな朱色の山門や本堂、宝物殿などが立ち並んでいます。花や鳥などが描かれた本堂の…
- 萩・長門エリア

平生町民具館
昔の民具と塩田用具は必見
塩田関係、漁労、農耕、衣食住関係約600点の民具を展示しています。創意と工夫をこらしたものがたくさんあり、昔の人の生活がしのばれます。
- 岩国・柳井・周南エリア

綾羅木郷遺跡
綾羅木郷遺跡は、本州西端の響灘に面する地域にあり、北九州とともに弥生時代の中心地域でした。発掘調査により、竪穴住居跡や袋状竪穴群が発見されています。また、遺物として、弥生時代前期前半の土器や多くの石器などが発見されています。
- 下関・秋吉台・宇部エリア

旧新橋停車場
【施設概要】イギリスで鉱山と鉄道の技術を研究して帰国した井上勝は、日本にも鉄道敷設の必要性を強く感じ、その実現を夢見ました。 その夢の第一歩として、汐留の一角に鉄道建設のための最初の杭が打ち込まれ、1872年(明治5年)に新橋~横浜間に日本最初の鉄道が…
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