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萩学校教員室
【全体概要】萩学校教員室は木造建物で、桁行12.74m、梁間7.28m一部2階建。外壁は下見板張り、軒回りは化粧軒裏天井、内部は木舞壁、しっくい塗りです。この建物は、山口県に残る明治洋風学校建築の代表的なものです。
- 萩・長門エリア

楫取素彦三田尻岡村本邸
【全体概要】楫取素彦は、その晩年を防府で過ごし、この本邸にて没しました。書簡によると、明治26年(1893年)に現在の防府市岡村町に屋敷を構えたものと推測できます。この男爵邸は、500坪敷地の大邸宅、迫戸川から三田尻港に流れる疎水に架かる御影石の立派な石橋…
- 山口・防府エリア

津和野藩藩邸跡

ほうふ名所を巡るポタリング ~のんびりと自転車散歩~(ピン…
「歴史のまち・ほうふ」で、レンタサイクルを使ってのんびりとポタリングをしてみませんか。「ほうふ」は自転車で気軽に移動できる場所に名所があります。4つの観光施設を巡る、共通超割拝観券<知っちょるCa>付です。共通超割拝観券<知っちょるCa>対象の観光…
- 山口・防府エリア

千林尼の大休・指月石畳道
千林尼の人を思う慈悲の心
【全体概要】船木逢坂の観音堂に住んでいた千林尼が、険しい坂道を行き来する人馬の苦しみを見かね、自ら托鉢をして浄財を集め、敷いた石畳道の一つで、文久2年(1862年)8月に完成した。現存の石畳道はその一部で、敷石の長さ約260m、幅1.5mである。
- 下関・秋吉台・宇部エリア

糸根の松原
クロマツ巨樹群に圧倒されます
【全体概要】糸根地区公園内のクロマツ巨樹群約12,000㎡(クロマツの成木約90本)。当松原は、JR埴生駅南方約1.0km、埴生小学校の前方国道2号に添い、沿岸のかっての砂洲上に群生するクロマツ巨樹群である。最大のものは、目通り幹囲293cm、樹高20mの大木である。樹齢…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

仁保の上古墳
有帆川の右岸、別所山尾根の突端、大字有帆字法師田にある横穴式古墳で、築造年代は6世紀末であると考えられる。墳丘は自然流失して損壊し、玄室のみとなっており、玄室の規模は直径2.06mで、須恵器片2個を出土している。市指定文化財。(昭和59年3月1日指定)
- 下関・秋吉台・宇部エリア

防府市文化財郷土資料館
防府市の歴史・文化が詰まった資料館
長年の調査で得られた膨大な資料を、多くの人々に見ていただけるよう、保管・公開しています。2階展示室では、防府の歴史文化の全体的な展示や企画展などを行っています。
- 山口・防府エリア

白須たたら製鉄遺跡
白須山北麓を流れる白須川左岸の台地上(標高約130m)に位置する江戸時代後期の製鉄遺跡。関係古文書から安政3年(1856)頃、島根県日原の豪商水津弥七がたたらを経営し、生産鉄を萩藩の造船などに供給したことがわかっています。
- 萩・長門エリア

本郷歴史民俗資料館

善福寺
室町時代に創建された寺。幕末の志士や著名な絵師の墓が残る
指月山善福寺は永享年間(1429~40)に指月山麓に創建された臨済宗の寺院で、毛利輝元の萩城築城のため、この地に移されました。天文19年(1550)大内義隆が寺領を保証した文書は「萩」の地名が書かれた最古の資料といわれています。竿の部分に人の形をした像が彫られ…
- 萩・長門エリア

岩国藩主吉川家墓所
吉川家代々墓所。岩国に入府した岩国吉川家初代広家から、六代経永を除く十二代経幹までの当主及びその一族の墓が五十一基あります。墓所裏手の山際には「みみずくの手水鉢」があります。
- 岩国・柳井・周南エリア

神福寺
大内弘盛が建久年間(1190年代)に創建した真言宗のお寺で、神宮寺といっていました。明応8年(1499)京都を追われた将軍足利義稙が大内氏を頼って山口に来て、この寺を居館としました。明治3年平蓮寺と大正5年妙福寺と合併し、現在の寺号になりました。
- 山口・防府エリア

浄名寺

入江九一・野村靖誕生地
入江九一・・・萩藩士。称は杉蔵など。明治政府の政治家となる野村靖(和作)は実弟。松下村塾で学び、吉田松陰に深く傾倒した。文久3年(1863)2月、京都に上ったが、3月、攘夷派公卿中山忠光の脱走に従い帰国した。同年6月には高杉晋作を補佐して、奇兵隊を結成する…
- 萩・長門エリア

万倉護国神社
国司信濃公を祀る神社
宇部市の万倉小学校に程近い山の上にあり、禁門の変の責任を取って自刃した国司信濃公が祀られており、禁門の変で命を落とした万倉の兵士の墓標が立っています。万倉の招魂場は、慶応3年に当時の国司家当主国司健之助純行によって昔の国司氏の練兵場であったところに…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

吉田宿
宿場の入口はT字形となっており、突き当たりに市恵比須があります。右に行けば萩、左に行けば赤間関に至る追分となっており、今も石標が残されています。藩はここに吉田宰判の勘場(代官所)を置きましたが、吉田勘場館跡には、今も建物の一部と練塀がその姿を残して…
- 下関・秋吉台・宇部エリア

了円寺

平安橋

正護寺
臨済宗で山号を方松山といいます。この寺は、大内氏の一族右田氏から分れた、弘賢が13世紀末にこの陶の地を領し、地名を氏とし、陶氏を名乗るようになりました。陶弘賢はこの正護寺の前方の台地に屋形を築き、政務をとりました。現在屋形の土塁の一部が残っています。…
- 山口・防府エリア
