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吉見正頼息女の墓

【全体概要】石州三本松(津和野)城主吉見正頼が阿武郡を支配していた頃、この地に休憩所を設け、正頼の息女を住まわせていたが、天正8年(1585年)8月26日萩の指月邸において病死し、この地に葬った息女の宝篋印塔です。

  • 萩・長門エリア
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吉見正頼息女の墓

小川家長屋門

【全体概要】小川家はもと町奉行の一人で500石を領した中級武士。安政の初期, またはそれ以前の建築といわれ、扉の金具、出格子の細部など優れたもので、当時の武士の生活様式を知ることができます。

  • 萩・長門エリア
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小川家長屋門

周防鋳銭司跡

最初に銭貨が鋳造された708年から平安時代初期にかけて、鋳銭の事業の大部分が、この鋳銭司で行われました。9世紀中頃まで鋳造していたが、いつの間にか廃絶しました。

  • 山口・防府エリア
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周防鋳銭司跡

明倫館遺構南門

この門は、嘉永2年(1849)江向に新築された新明倫館の正門として建てられたもので、明倫館全体からみて南にあたるので南門と名付けられたが、通称表御門と呼ばれていました。門は切妻造り本瓦葺きで桁行3.94m、梁間3.15mの一間一戸の四脚門で、左右に袖があり、潜…

  • 萩・長門エリア
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明倫館遺構南門

宮原古墳

巨石で築造された羨道・玄室当をもつ古墳時代後期の片袖横穴式石室墳です。石棺・馬具類・須恵器などが出土しました。

  • 岩国・柳井・周南エリア
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宮原古墳

津和野今昔館

昔懐かしの品がたくさん ノスタルジックに浸ろう

昔の大きな民家を想わせる建物の中に、電話、ミシン、アイロンなど、明治・大正・昭和期の生活用具を展示しているユニークな博物館です。手回しの電話や蓄音機などを実際にさわって操作できるなど貴重な体験ができます。カメラやランプなどアンティークファン必見のス…

  • 山口・防府エリア
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津和野今昔館

法輪寺

国護山国正院と称し、本堂に虚空蔵菩薩が安置され県の指定文化財となっています。縁日大法要は2月11日。

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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法輪寺

菊ケ浜土塁(女台場)

【全体概要】菊ケ浜の南側にあります。文久・元治の頃、萩の沖合にも黒船が出没した際、海防のために築造した砲塁です。

  • 萩・長門エリア
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菊ケ浜土塁(女台場)

四境の役大島口戦跡碑

この戦いに破れた幕府軍は、翌年大政を奉還しました。

  • 岩国・柳井・周南エリア
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四境の役大島口戦跡碑

由宇歴史民俗資料館

【全体概要】かつて盛んであった廻船業を象徴した船型の資料館。酒造業、金融業、織物業、造船業、海運業など由宇町の産業のうつりかわりや、農業、漁業、商業、教育、生活など地域の歴史や庶民の暮らしを物語る資料を展示。

  • 岩国・柳井・周南エリア
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由宇歴史民俗資料館

中山神社宝物殿

太政官御沙汰文、中山忠光朝臣の遺品遺墨などを展示しています。

  • 下関・秋吉台・宇部エリア
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中山神社宝物殿

萩キリシタン殉教者記念公園

【全体概要】萩城の石垣築造に際して、五郎太石(石垣の間に詰める石)が盗まれるいう紛争が益田元祥と熊谷元直、天野元信の間で始まり、石垣築造工事が2ヶ月以上も遅延し、毛利輝元は非は熊谷、天野両氏にありとして、一族11人を討ち滅ぼしました。これを五郎太石事…

  • 萩・長門エリア
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萩キリシタン殉教者記念公園

阿武川歴史民俗資料館

【全体概要】川漁具、養蚕用具、山林作業用具、紙すき用具、醤油醸造用具、石工、土工用具などを展示しています。

  • 萩・長門エリア
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阿武川歴史民俗資料館

朝倉八幡宮

【全体概要】幕末、山口に落ち延びてきた三条実美ら七卿が湯田に滞在していたとき、尊皇攘夷の祈願のため朝倉八幡宮に度々参拝しました。

  • 山口・防府エリア
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朝倉八幡宮

早長八幡宮

【全体概要】江戸時代、瀬戸内海の交通の要衝として栄えた室積地域の氏神である早長八幡宮。毎年10月の第2日曜日に行われる秋祭りでは、威勢のよい「木遣り唄」が歌われながら、山車が町内を引き回されます。

  • 岩国・柳井・周南エリア
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早長八幡宮

蛤御門

【全体概要】蛤御門の変(元治元(1864)年)で長州藩は御所に発砲した罪で朝敵となってしまう。現在の蛤御門には、当時のものと思われる弾痕が残っており、戦いの激しさを見ることができる。

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蛤御門

籌勝院

【全体概要】長州軍は、第二次征長軍からの攻撃に備え、遊撃隊を主力として小瀬村に駐屯させた。籌勝院はその際、遊撃隊の本陣がおかれた場所である。慶応2年(1866)6月14日未明に開戦された芸州口の戦いで彦根藩を中心とする征長軍の主力部隊に対し大勝。境内には…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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籌勝院

玄答院

【全体概要】山号を放光山といい、曹洞宗の寺院です。寺伝によると開創された年月は不明ですが、天正5年(1577)に曹洞宗に改まったとあります。寛永7年(1630)この地方の領主であった益田景祥が没したことにより、古くからあった寺を玄答院と改名し、益田景祥の菩…

  • 山口・防府エリア
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玄答院

興昌寺

天正年間に曹洞宗の寺として創立され、境内には長門三十三番霊場第五番札所や、松尾芭蕉が当地行脚の際に詠んだという「うたがふな、潮の花も浦の春」の句碑があるほか、境内入り口には、二つの仁王像が立っています。

  • 萩・長門エリア
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興昌寺

吉田松陰詩碑

嘉永6年(1853)2月に吉田松陰が江戸へ行く途中、室津の日和山の砲台場を見学しました。同年10月、浦賀で黒船を見た松陰は、長崎にロシア船が来航したことを知り、密航して外国へ行くために船に乗ろうと長崎に向かう途中、ここ室津に寄り歌を詠みました。詩碑は松陰ゆ…

  • 岩国・柳井・周南エリア
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吉田松陰詩碑